32撃目.優しい犯人①

 都内、某高層ビル五十二階。


 高級フレンチレストラン・スティロプリューレ。

 その窓からは、東京の夜景を一望することができた。


「可南子、メモとるならしっかりしろよ。予約とるの大変だったんだから」

「……クリスマス、当日だもんねぇ」


 窓際の席に座った来島は、可南子の相槌を受け、自慢げにうなずいた。

 クリスマスである。

 見下ろす東京では、道という道が輝いている。


 ビル街のはざまを流れる遊歩道にはイルミネーションが鮮やかに明滅し。

 行き交う車の灯は蛍の宴にも似て、冬の澄んだ空気の中で、地上に現れた星空のようだ。


 地上の灯りに、黒く塗り潰された空。

 星空のような、人工の光の海。


 その狭間、窓際の席で、景平可南子と来島満は向かい合っていた。

 夜景を楽しむために最低限に調整された照明が、卓上のコース料理と、物憂げな可南子の表情をうっすらと照らしていた。


「……浮かない顔だね、可南子。ファミレスでなにか食べちゃった?」

「い、いや。このあとディナーって聞いてたから……」

「おっ、偉い。そういう所はしっかりしてるな」


 来島は、ほがらかな笑みで可南子を褒めた。そして、その調子のまま尋ねた。


「じゃあ、探偵から何か聞いたのかい?」


 可南子は、膝の上のバッグをぎゅっとした。

 来島が可南子に尋ねる調子は、とても軽いものである。

しかし、可南子はそう思えなかった。

 笑みのままため息を吐く、来島。


「……あぁいう人間と関わりすぎるのは、正直どうかと思っているんだ」

「ど、どうして?」

「探偵っていうのは、小説の上だったらヒーローだろう。でも、実際には他人の死体のまわりをうろついて荒らして、金をせしめるだけの連中さ。ハゲタカみたいなもんだよ」


 ひどい言いぐさだと思ったが、可南子は否定しない。


「……北斗さんの部屋を荒らされて、正直、少しつらい」


 可南子も同じだろう? と、来島は問いかける。

 だが、可南子は答えず、押し黙ったままだ。


「なぁ、可南子。聞いてくれ」

「……なに?」

「僕に、お前を守らせてほしい」


 それは唐突な、しかし予定されたプロポーズだった。


 少しの躊躇を感じる震えとともに、机の上へ、来島が小箱を置く。

 小箱の中身は誰が想像しても同じだろう。来島の震える指がそれを開けば、予想通りのものがそこにある……指輪だ。ダイヤモンドが輝く、婚約指輪だ。


「なっ……そそ、そんな、急にいわれても……!」


 うろたえる可南子に、来島は畳みかけた。


「可南子。お前は危なっかしすぎるんだ」

「へ?」

「今回だって、物音の正体が分かった時点で話しは終わっていたのに……探偵の口車に載せられて、余計にお金を払うことになったじゃあないか」

「く、口車?」

「偽物のダイイング・メッセージだよ。あんなの、インクを仕込むついでに探偵が指示することだってできただろう。あれは詐欺だ。詐欺に決まってる」


 お前はまだ子供なんだ。だから騙されてしまったんだ――

 言外に、そう言いたげな言葉の羅列。

 涙目になりはじめた可南子に、来島は、小さな子供に言い聞かせるように、告げた。



「北斗さんの代わりに、僕が、お前を守るんだ」



 故人の名前である。

 可南子は少しうつむき、震える声で、尋ねた。


「……父ちゃんは、最期まで、執筆していたんだよね。来島さん」

「? あぁ、立派な人だった。最期の瞬間まで万年筆を手放さないなんて……」

「じゃあ」


 なんで、と可南子は尋ねた。



「……万年筆のインクは、空っぽだったんですか?」



 来島は柔らかく微笑んだ。

 そして、笑みを浮かべたまま、指輪の入ったケースをしまう。

 ケースをしまう指は滑らかに動き、懐から何かを取り出し……カタン、とテーブル上へ置く。



 拳銃。

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