27撃目.幽霊の不在
探偵の指示で、部屋の電気は消されていた。
真っ暗な部屋。鼻をつく、インクとコーヒーの混ざった匂い。
壁に手を伸ばせば本の表紙に触れる。それは真昼と同じだ。
しかし……部屋の奥から、知らない音が聞こえる。
シャーッ、シャーッ、シャーッ……と。
なにかをひっかくような音だった。
俺は闇に目を凝らす。
廊下側から差し込むほのかな明かりが、何かに反射するのが見えた。
景平北斗の、作業机の上の、なにか。
動いている。
俺は電気を点けた。下手人がいると分かったならば、こそこそと動く必要はない。
照明が照らせば、きっとその正体も見えるだろう。
お化けじゃあるまいし。
机の上――――万年筆が、ひとりでに動いていた。
お化けだと思った。
より詳細に言えば……万年筆だけが、動いているのである。
作業机の上。広げられた原稿用紙の上に、まるで人間が動かしているような自然さで、万年筆が動いている。
金色の装飾が、照明を受けてぬるりと光っているように見えた。
文字を書いているのだ。
誰もいない部屋、作家の死んだ空間で、勝手に、万年筆が。
俺の背後で、来島が茫然と呟いた。
「北斗……さん?」
故人の名前である。俺はまたタバコを落とした。さすがに、もう拾うことはない。
代わりに――俺は、力強く踏み込んだ。
「てっ寺嶋さん!?」
飛び込むは、景平北斗の作業机。
俺は全体重を乗せて、その上の空白に殴りかかった。
「悪霊退散ッ!」
推理は完璧だと思われた。
お化けなんて存在しない。
しかし万年筆は動いている……つまり、見えない何かが動かしているのだ。
その事実とお化けの不在は矛盾しない。
全身サイボーグの俺が居るのだ。透明ロボットだっているだろう。
透明ロボットでなくとも、なんか糸とかあるだろ。ほら。
しかし――俺の推理は、完全に外れた。
「なっ」
空振り。透明ロボットも、万年筆を操る糸も、俺の拳には掠らなかった。
ならば下しかない。
俺は作業机ごと、万年筆を殴りつけた。
「あぁもう無茶苦茶だっ!」
来島の悲鳴も、飛び散る木くずも、ひっくり返るインク壺も気にならない。
問題は……叩き割った机の下にも、犯人らしき手ごたえがなかったことである。
「――!?」
さすがの俺も動揺するしかなかった。
タバコが吸えていないため、制御できない脈拍が内臓を傷つける感覚に襲われる。サイボーグ化していない頭から冷や汗が流れた。
床の上で、万年筆が動いている。
俺の、全身サイボーグの全力を受けても、傷ひとつ付いてない。
俺はすかさず、床で動く万年筆を追撃した。全て命中する。しかし、サイボーグの拳と万年筆の間で発生するのはガキンガキンという金属音だけ。痛覚を遮断しているというのに、段々俺の身体の方が痛くなってくる。
困った。お化けである。
物理攻撃が通用しないタイプの、ガチのお化けである。
動揺する俺の肩に……背後から、手が触れた。
お化けだと思った。
振り向いた。
「……ごめん、辰弥くん」
探偵である。
探偵はそこはかとない呆れ顔だった。
「そんなに怖がると思ってなかったんだ。私を許してほしい」
「たっ、探偵さん! 下がってください、こいつ、殴っても殴っても…………!」
悲鳴同然の声をあげる俺に向かって、探偵は静かに首を振った。
探偵の肩越しに、ドン引きしている来島と可南子が見えた。
「犯人はお化けなんかじゃあない」
「は?」
探偵は俺の横をすり抜け、床の万年筆をひょいと拾った。
「ロボット万年筆だよ」
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