26撃目.嵐の前の

 夜が来た。



 俺は件の部屋の前で、寒さに震えて体育座りしている。

 暖房は廊下まで届かない。探偵と可南子は、一階のリビングでぽかぽかの様子だった。楽しそうにおしゃべりしている声さえ聞こえる。

 食事の匂いもした。ちゃんこ鍋的ななにかだろう。

 楽しそうだなぁ、と思った。


「……本当に夕食はいいんですか? 寺嶋さん」

「あ、はい。消化酵素って買うと高いので……」


 対して、俺の隣には男。

 来島である。

 金がある成人男性らしい、温かそうな服だった。俺はよれよれのスーツのままだ。

 来島は俺の貧乏発言に微妙な笑みを見せて、話題を切り替えた。


「……お二人が来てくださって、助かりましたよ」

「まだ何もしてませんよ。俺と探偵は」

「いえ。家にいてくれるだけで、ずいぶんと楽です」


 意図が読めなかった。


「未婚の男女二人きりならアウトですけど、団体なら、北斗さんも許してくれるでしょう」


 俺は納得したような気持ちになった。


 お化けの音がしだしたのは二か月前。その間、未婚を理由に泊まれない来島は中々に歯がゆい思いをしていたらしかった。

 中島が生真面目なのか、可南子の父が厳格だったのか。

 恐らくはその両方だろう。


「可南子、一人じゃ何もしないんですよ。音の原因も調べないし、メシも食わないし、運動もしないし、風呂にも入らないし、ずっとパソコンで小説を書いて……親子そっくり」

「……飯も風呂も運動も、あなたが面倒を?」

「はは」


 来島は笑ってごまかした。肯定以外のなにものでもなかった。


「……とりあえず、クリスマスまでには決着がつきそうでよかったです」

「クリスマスに予定でも?」


 世の中不平等だ。

 来島は少し頬をかいたのち、答えた。


「その……可南子に、プロポーズをしようかと」


 世の中、本当に不平等だ。

 俺はタバコを吸いたくなったが、他人の家の中なので我慢した。えらいと思う。

 何もかも面倒くさくなった。適当に相槌を打つことにする。


「お幸せに」

「いえいえその、まだ、はい。成功した訳ではありませんので」


 自分から切り出しておいて、どこか気恥ずかしそうな表情をしている来島。

 三十代一般男性の照れ顔に価値はない。

 妙に腹が立って、結局俺はタバコを咥えた。他人の家だろうが知ったことか。

 ……しかしライターの点きが悪かったため、吸えなかった。探偵に投げつけられた所為である。諦めた。つらい。

 俺が廊下の壁を虚無の気持ちで見つめていると、来島は尋ねてきた。


「あなたたちの方は……どう、なんです?」

「は?」


 尋ねられているのは、俺である。

 しかし、当の俺はその質問の意図が一切理解できない。思わず出たのは間抜けな声で、その反応が、来島にとっては意外だったらしい。


「あ、いえ。他意はありません。あなた達が、かなり親しい仲に見えたものですから」


 慌てたように言いつくろう来島に対し、俺は、口に咥えたタバコを落とした。

 勿体なかったので即座に拾ったが、口は開いたままだったと思う。

 親しい仲?

 俺と、探偵が?


「浅い関係ではないのでしょう?  さっきだって机の下で足を踏んで……」

「ただの仕事仲間ですよ」


 俺は咥えなおしたタバコを噛み締め、食い気味に否定した。


 恋愛脳の三十代男性ほど救いがたい存在はないと思った。

 自分が異性へのプロポーズを目前に控えているからといって、周囲の人間まで恋愛について思考していると思わないでいただきたい。

 俺と探偵はそういった仲では決してないし、俺が探偵に対し、そういった感情を抱いたことは一度たりともないのだから。


 探偵が美少女なのは、その外見だけである。


 俺は彼女の出生地も誕生年も知らないが、まず確実に外国人で後期高齢者だろう。

 経歴の一切合切が不明であるが、先日の紅葉に擬態するロボットにも動揺していない辺り、ありふれた人生を歩んできた訳ではないのだろう。


 あの右腕、変形する義手の出どころだって、知れたものではない。


 好意的な人間であるどころか、近づいてはいけない人種。それが探偵である。


 時折見せる、儚げな碧い瞳も。

 降り注ぐシャンデリアの破片にきらめく、純金色の髪も。

 『これが解答だ』と、射貫くような自信にあふれた、その笑みも。

 今一階から聞こえる楽しそうなおしゃべりの声も、立ち姿も、彼女の良い匂いも。


 探偵の全ては……そこまで考えて、俺は自分の思考を止める。

 俺は改めて、念を押すように宣言した。



「ただの、仕事仲間ですよ」



「あー……頑張って、ください」

 来島はなにを思ったのか、意味の分からない声援を俺に贈った。


 理由は不明だが腹が立つ。しかし依頼人側の人間を殴る訳にもいかない。俺はなかなか点かないライターをカチカチと鳴らした。オイルが切れているのかもしれなかった。


 そこで、物音が聞こえた。


 件の部屋。可南子の父が仕事に利用していた書斎、その中からである。

 俺は渋々、ライターを懐に戻した。


「聞こえましたか?」

「……は、はい」


 来島が唾をのんだ。

 俺は体育座りから立ち上がり、ドアノブにゆっくりと手をかけた。


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