15撃目.見えない犯人②

 探偵が部屋を出ていくと、また雨が降り出した。

 山の天気は不安定なものだといっても、少々やりすぎではないだろうか。


「探偵さまのこと、不安ですか? 寺嶋……さま」


 窓の外を睨んでいた俺に、沙友里は不安げな声をかけてきた。


 俺は振り向いた。沙友里は、ひどく憔悴しているようだった……仕方のないことである。命を狙われているかもしれない、という状況でリラックスできる人間は、そう多くない。

 それが自分だけではなく、自分の息子も狙われているという状況では、とくに。


 ……沙友里は、自分の息子を案じているのだろうか?


 そう考えると、ほんの少しだけ、俺は彼女を安心させてやりたいと思った。


「探偵さんとは……長い付き合いです。今更、心配もなにもありませんよ」


 俺は話術に明るい方ではないが、人を落ち着かせる話し方は……自分の不安を落ち着かせるための語り方は……探偵との長い付き合いの中で、そこそこ鍛えていた。

 しかし、沙友里の表情は晴れない。


「犯人は強いのでしょう? きっと、とても……」

「どうしてそう思うのですか? 沙友里さん」


 沙友里は目を伏せた。誰かを思い出しているようだった。


「主人はその……とても、とても大きな男でしたから」

「あぁ」


 言われてみれば、沙友里が不安がる理由が分かった。

 甘瀧次郎衛門は、凄まじく良い体格をしていた。

 しかも、年下の若造である俺相手に猟銃まで握る戦闘精神のあるタフガイである。頭はおかしかったが、身体は強かった。


 そんな男が、一方的に殺され、紅葉に吊られたのだ。

 犯人はきっと、怪物かなにかに違いない。


「……一緒に行かなくて、よろしいのですか?」


 沙友里は探偵よりも、俺を案じているようだった。


 きっと、俺は不安な表情をしていたのだろう。探偵が怪物に襲われる妄想。探偵は手の細い、湯上り姿が綺麗な、小さな少女。

 それが、猟銃も効かない恐ろしい怪物に襲われる……。

 不安でないといえば嘘になる。実際、表情に浮かぶほどなのだから。

 けれど、俺はまだ、自然に微笑むことができた。

 タバコは必要なかった。




「あの人に、砕けない謎はありませんので」




 沙友里は、あっけにとられた顔をした。


「……解けないならまだしも……砕け、ない?」


 言われてみれば、だいぶん妙な言葉選びである。しかし、それ以上に最適な言い回しは、残念ながら探偵ですらない俺には思いつかなかった。


「今に分かります」


 しかしなんとなく、そんな予感がしていた。

 上手い言葉では表現できないが、きっと、すぐに目にすることができる……。


 沙友里は確信を抱いた俺を見て、小さなため息を吐いた。

 意図の読めないため息である。

 呆れか侮蔑か、はたまた感嘆か……美女のため息というのは、どことなく不安になる。きっと、内心では俺の想像も及ばないようなことを考えているのだろう。

 俺はその思考を邪魔したくなくて、窓の外を向いた。


 紅葉の山に、雨が降っていた。

 しゃん、と鈴の音が聞こえた。背後からだ。

 俺は振り向く。


「――――ごめんなさい」










 ガラスの灰皿が、俺のこめかみに叩きつけられた。

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