10撃目.座敷牢の依頼人③
「……修行?」
はい、とてるてる坊主めいた依頼人はうなずいた。
「わたくしは、目が見えませぬ」
「え」
「この布、ほんとうに、なにも見えないのです。ろうそくは、あなたのために点けました」
慶四郎の細く白く幼い指が、慶四郎自身の顔をなでた。
白い布である。てるてる坊主のように顔を隠す布……なるほど、言われてみれば、布を被っていれば前は見えないに決まっている。ごくごく自然なことだ。
だが、それが修行とやらと、なんの関わりがある?
「甘瀧の子は、せいじんするまで、ずっとこれを着けてすごします」
「……宗教上の理由かなにかで?」
「そうともいいます」
やばい宗教だろうか。
「甘瀧の子の正装にございますから……ふふ。おかしいでしょう? わたくし、おとこのこですのに。こんなふりふりのお着物まで着せられて……」
「は、はは……」
伝統的、あるいは宗教的な話題というのは、いつも反応に困るのでやめてほしい……といった内心を読み取ってくれる相手ではなさそうだ。
俺が抱いている違和感について何も触れず、慶四郎は答えた。
「目が見えぬぶん、しゅぎょうするのです……みえなくても、音でわかりまするように」
言われてみれば単純な話だ。目が見えないから、耳をよくする。修行という行為自体はひどく現実離れしているが、筋は通っている。俺はそれで納得することにした。
「……ひとつ尋ねても?」
「んぇ? かまいませんが?」
納得しようとしたが、できないこともある。
最初は依頼を聞くという目的があったために流したが、気になってしまったのである。
「この座敷牢は、いったい?」
「たんなる座敷にございます」
「……ここで生活を?」
「とてもたいくつです」
慶四郎はうなずいてみせ、白い布の下でため息を吐いた。
「……けれど、母さまがオモチャをもってきてくださるのです。おはなしもしてくださりますから、くるしくはありません」
「……」
「ですから、どうかおつかいさま。たんていさまに、母さまをお守りくださいますよう」
お願いします、と。
慶四郎は再び、若女将を思わせる深いお辞儀をした。
俺はこの甘瀧温泉という旅館から、不快な何かを感じはじめていた。
家のしきたりとやらで顔に布を被せられ、監禁される子供。その姿をなぞったように死んでいた、甘瀧市子。命を狙われているという、旅館の若女将……。
俺が言葉に詰まっていると、慶四郎がなにか呟いた。
「母さまは、『くれないの鈴』を、よくわすれてしまいますから……」
「くれないの鈴……?」
お辞儀から身を起こす慶四郎。それにつられて、しゃんと鈴の音が鳴った。
音の源は……慶四郎の着物の帯。
提げられた、金の鈴だ。
甘瀧市子の死体が手に持っていた、甘瀧次郎衛門とおそろいの、金の鈴。
「すいません、その鈴はいったい……」
尋ねようとした次の瞬間――蝋燭の灯が、ふっと消えた。
「なっ」
灯を指でつまんで消したのは、慶四郎その人だった。
「父さまがまいります。とても、とても荒れていらっしゃるようすです」
甘瀧慶四郎が父と呼ぶ、人間。俺は即座に、自分のスーツの襟首を掴んで首を締めてきた、あの大柄なやばい奴を思い出した。
「……次郎衛門さんですか?」
「はい……あら、もうおしりあいで?」
きょとんと尋ねるような声に苦笑で返した。
土蔵の入り口が、外からガンガンと強く強く叩かれる。
なるほど。慶四郎の耳が土蔵の外の音を拾えるならば、同じ甘瀧の子である次郎衛門が、ここに俺が居る事を分かっても、まったく不思議ではない。自分の母を殺した(と、次郎衛門が思い込んでいる)相手がいると分かれば、何をするかは想像に難くない。
「? 父上、なんで、てっぽうなんて……」
今鉄砲って言わなかったか、このガキ。
俺はこれ以上、慶四郎と会話している時間はないと判断する。
「……では、探偵にはよく伝えておきます」
「あっ」
俺が土蔵の上の窓を開けて逃走するのと、土蔵の門が開かれたのは、ほぼ同時だった。
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