8撃目.座敷牢の依頼人①

 別館に忍び込むのは簡単だった。


 いわゆる、武家屋敷というものだろうか。

 本館を出て、少し山の中を上へと歩いたところにある、その別館。

 高い塀があり、来る者を威圧するような瓦屋根付きの門があり、広い庭には玉砂利が敷かれ、池やら石やら、堅牢な土蔵まである。どこまでも古風な金持ちの空気だ。


 俺は塀を飛び越えて、その中庭に忍び込む。

 目指すは、庭の端の土蔵。

 俺は細心の注意で足音を殺しながら、土蔵へと歩み寄った。


 土蔵の鍵は開いていた。


 セキュリティが無いのを確認してから開けると、暗闇。

 土蔵上部の空気窓は完全に閉まっており、光源が一切ない。目に映るのは、扉の隙間から差し込む細い光が照らす土の床と……その先にある、畳の縁だけ。


 俺は闇の中、目を凝らした。

 すると、しゃん……という、鈴の音が聞こえた。


 俺は次郎衛門が隠れているのかと警戒した。しかし、聞こえた声は、次郎衛門のそれとはまったく違っていた。



「たんていさま……で、ございますか?」



 舌足らずな、子供の声である。


 十歳未満の女子のものにも、変声期前の男子のものにも聞こえる絶妙な声。

 幼い声は、土蔵の、闇の奥から聞こえている……。

 土蔵の闇に子供の声が響いているのはひどく不気味だ。俺は警戒をゆるめずに、応える。


「……いえ、俺は探偵の遣いです」

「たんていさまは、ここには……いらっしゃらないのですか?」

「はい。探偵はこういったコソコソとした仕事はできませんので、今は本館に」

「んむぅ……」


 不満そうな声である。

 俺だって不満だ。だが、探偵は潜入するタイプの仕事に向かない。義手が邪魔なため、塀を飛び越えたり足音を殺したり、監視カメラをかいくぐったりする仕事ができないのだ。

 だからこそ、こういったコソコソとした仕事は俺の担当だった。


 ……相手が依頼人なら、堂々と会いに行けばよいのに。しかし、そう簡単な状況ではないのだと、俺は次の瞬間に理解した。



 ぽッ……っと、土蔵の中に灯りが点く。



 蝋燭に火が灯されたのだ。

 揺らめく照明が照らし出したのは、土蔵の中の、異様な光景だった。





 そこは―――玩具で埋まった、座敷牢。





 土蔵の中心に畳が敷かれ、その畳の四方が木の格子で囲われている。

 格子の中には無数の玩具……ブリキの飛行機や、戦闘機のプラモデル。ぬいぐるみに、ソフビ製のヒーローの人形……が溢れ、その真ん中に、手燭を持った何者かが座っている。


 依頼人。

 華やかな着物を着て、顔をてるてる坊主のような白い布で覆った……子供。


「……その姿」


 首を吊って死んでいた、甘瀧市子の死体によく似ていた。

 違うのは、蝋燭が載った手燭を持つ、その手のみずみずしさ。そして、白い布の下から出て、畳の上にまで垂れている長く艶やかな黒髪だった。


「かおを見せぬごぶれいは、お許しくださいませ……しきたり、なのです」


 舌足らずな声は、その頭を覆う白い布の下から発されていた。


「わたくしは、あまたき……『甘瀧慶四郎あまたきけいしろう』ともうします」


 依頼人は名乗り、深く座礼をする。




「おつかいさま。たんていさま。どうか…………母さまを、おまもりくださいませ」




 その礼の深さは、若女将・沙友里によく似ていた。

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