6撃目.異常親子②

 とても深く、そして綺麗なお辞儀だった。

 有無を言わせぬお辞儀である。なんというか完成された映画を見ているようで、そのお辞儀する背に向かって声をかけるのは、とてつもない度胸を必要とした。


「そうかい。丁寧な自己紹介をどうも」


 探偵には、物を言う度胸があったらしい。



「私はご存知の通りシャーロット・ポラーレ・シュテルン。

 大事な大事なお連れ様の首を締められて、今にもクレームを入れてやりたい気分のお客様だ」


 俺を指さして笑っていたことは忘れ、俺を出汁に、つかつかと沙友里に近づいていく。


「事情くらいは聞きたいところだね。教えてもらえると嬉しいんだが」

「それは……」


 お辞儀したままの沙友里は口ごもった。


「そそ、それは、オメたちが悪いんだがね!」


 しかし、その隣の大旦那は直情的に全てを語りだした。探偵はにやりとした。




 首を吊っていた人間の名前は、『甘瀧 市子あまたき いちこ』。


 喚く大旦那『甘瀧次郎衛門』の母にして、この甘瀧温泉の女将である。

 市子は、今日の朝に姿を消した。


 次郎衛門が旅館の中をいくら探しても、母の市子は見つからない。

 そこで次郎衛門は、妻の沙友里から、市子が滝の方へ行ったのを見たと聞いたのだという。

 そうして滝の方を見に行ったところ……。


「市子さんの死体と、野山から出てきた私たちを見つけた。か」

「そ、そうだ。この旅館には、オラが考案した送迎ヘリがあるんだぞ! なのに徒歩で、こげな、こげな山奥まで来る客が怪しくない訳がなか……オメらが犯人に決まっとろォ!」


 言われてみれば、俺たちは凄まじく怪しかった。

 疑われるのも無理はない。

 送迎ヘリがあるのになんで言わなかったんだ探偵め許さねぇぞ。……といった悪態が口を突くよりも先に、大旦那・次郎衛門の動きが荒ぶりだした。


「い、い、い……今に、オメらも同じ目に遭わせてやる……ッ!」

「次郎衛門さま」

「く、くく……くれない様がっ! ぜったいに、お前たちを…………ッ」


 次郎衛門は訳のわからない言葉を喚いた。


 沙友里の宥める声も、届いている様子は全くない。

 その姿は明らかに正気ではなかった。全身がぶるぶると震えて、その四角い顔には血管が浮かび、今にも俺たちに襲い掛かってきそうな前傾姿勢になっている。



 そして、その身体の震えに合わせてどこからか……鈴の音が聞こえた。



「探偵さん、下がった方が良いんじゃあないですか」


 探偵を押しのけ、次郎衛門との間に入る。

 見れば、次郎衛門の着物の帯から、金の鈴が下がっていた。その鈴には見覚えがあった。

 首を吊っていた人間……市子の指にもぶら下がっていた、金の鈴である。

 アクセサリーまで母親とおそろいらしい。


 家族を喪った次郎衛門の暴走は、とても凄まじいものになりそうだった。

 俺が思わず身構えると、今にも襲い掛かってきそうだった次郎衛門の肩に、そっと、沙友里の手が触れる。


「お待ちください、次郎衛門さま」

「ぬぅ……沙友里! んだどもォ……」

「朝からお義母さまを探し回って、お疲れでしょう。今はお休みになってください。きっと気が立っているのです。一度落ち着くのがよろしいでしょう」

「じゃっど……こいつら……」

「もう警察も呼びましたから……お座敷へ参りましょう。ね?」

「……ぬぅ」


 次郎衛門の震えが止まり、その肩を落とす。まるで水をかけられた犬のように、シュンとした表情で俺を見て、次郎衛門は旅館の中へ消えていった……今にも襲撃してきそうだった大男が、凄まじい変わりようである。


「お騒がせいたしました、お客さま。たいへん申し訳ございません」


 また深いお辞儀をする沙友里。

 荒れた大男を追い払った直後にしては、信じられない落ち着きようだった。


「主人は……次郎衛門は、生まれつき心の病を患っているのです」


 見れば分かる。と答えそうになった。


「見れば分かるよ」


 探偵は普通に答えた。俺は正気を疑った。


「重ね重ね申し訳ございません……宿泊費は全て、当旅館が負担させていただきます。お望みでしたら、代金の払い戻しのうえ、今すぐ帰りのヘリも手配いたしましょう」


 探偵が正気でなくて助かった。


「やりましたね、探偵さん。帰りましょう。今すぐ帰りましょう。帰りはヘリですって。遊覧飛行ですよ。上から見る紅葉はそれはそれは綺麗だろうなぁ」

「やだね」


 俺は探偵に投げつける灰皿を探した。見つからなかった。かなしい。


「……それは、当館に宿泊なさるということですか?」

「そのつもりで来たんだよ。チケットも貰ってしまったことだしね。それに、ヘリで送迎してもらえるくらいのセレブな旅館なんて、一生に何度も泊まれるところではないだろう」

「俺は一生に何度も泊まらなくていいです」


 探偵が俺の口を義手で塞いだ。鉄の味がした。


 それを見て、沙友里は少し考えこんだように見えた。唇に手を当て、何かに思考を巡らしている。そんな姿さえどこか色気があって、なんというか、底知れない女である。


 一刻も早く離れたい。

 そう思った俺に、探偵が耳打ちした。



「小遣い増額」



 探偵が俺の口から義手を離した。


「いやぁー! 不幸な事件でしたけれどね、えぇ。あの紅葉は見事ですよ。なんせ人がぶら下がっても枝が折れない。きっと空気が良いんでしょうなぁ。そんな立派な紅葉をね、え? いえいえ、あんな立派な紅葉を上から見るだけなんて勿体ない! そんなのは人生の損失ですよ。損失! 人間、損だけはしたくないものですな!」


 ほぼ条件反射であった。

 俺という人間はどうにも、タバコと金にだけは逆らえない。

 沙友里は俺の言に、困ったように眉をひそめた。


「……ですけれど、警察の方がいらっしゃれば、せっかくの紅葉が踏み荒らされてしまうかもしれませんし……景観を損ねてしまいますよ?」

「そのくらい構いませんよ。せっかくですし、警察の方ともお近づきになりたいですね!」


 俺は何を言っているのだろうか。探偵が俺の肩に顔を押し付けて笑いをこらえているので、最悪の事態にはなっていないだろう。なっていないといいな、と思った。

 ともかく。俺の金につられた声で、沙友里は納得したらしい。


「少し慌ただしくなるかもしれませんが……それでしたら、当館は精一杯、お客さまをおもてなしさせていただきます」


 深いお辞儀だった。

 探偵はグッジョブのポーズをしていた。俺はタバコを吸いたくなった。


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