5撃目.異常親子①

 良いニュースはひとつ。旅館は滝のすぐ上にあった。やっと落ち着ける。

 悪いニュースもひとつ。


「オメ……ッ! オメが、オメがおっかぁを殺したんだろォ!?」


 俺は、黒い着物の大男に襟首を掴まれていた。





 甘瀧温泉、玄関。

 時代を感じさせる木造。でかくて、通路は石畳。要所要所に紅葉が飾られ、玄関にかけられた暖簾の文字は堂々とした達筆。平時ならば子供でも緊張で息を止めてしまいそうなほどに立派な、高級旅館らしい玄関である。

 だが現在、そこには沈黙を許さない怒声が轟いていた。


「ま、まぁ落ち着いてくださいよ。誤解です。誤解ですったら。俺は通りすがりの」

「誤解な訳ねぇがッ! おっかぁが、おっかぁがオラ置いて死ぬ訳がぁねぇんだァ……! おっかぁは、おっかぁはオメが殺したに決まっとろぉが!」


 話が通じない。


 俺の襟首を締めつつ『おっかぁ』と連呼する大男は、外見だけなら五十代後半。


 一目で上物だと分かる黒い着物を着ていて、その胸元を押し上げる大胸筋はマッチョ。ヒゲも白髪まじりの髪も整髪料でしっかりと整えられており、子供のような癇癪を起してさえいなければ、熟練の柔道家か大旅館の大旦那か、といった風貌だ。


 そして、俺の印象は間違っていなかったらしい。


「大旦那さま!」

次郎衛門じろうえもんさま、どうか落ち着いてくださいまし……!」


 その大男『次郎衛門』とやらに、旅館の仲居さんが数名がかりで縋りついていた。

 大男は、ここ甘瀧旅館の支配者、大旦那らしいのである。

 こんな奴が大旦那で大丈夫か?


「大丈夫ではなさそうだね。明らかに正気を失っている」


 探偵は、さらりと俺の胸中を読んだ。

 怒声の中で俺の心を読む余裕はあっても、俺を助けてくれる気はさらさらないらしい。

 助けないどころか、探偵は俺を指さして笑っていた。


「オメ……金髪! オラの、甘瀧の何がおかしいだァ!」

「やばっ、こっち来た」


 よし、飛び火が行った。


「落ち着いてくださいまし、次郎衛門さま」


 しかし、仲居さんを振り払って探偵に向かうかと思われた大旦那は、新たな人物……美女の登場によって遮られた。


 一目みた感想は、美魔女。


 外見だけなら二十代後半。しかし、着物のこなれた感じと、その細く白い首筋のなんとも言えない色気が放つ雰囲気は、人生に熟達した四十代と言われても納得できる。

 上品に結われた黒髪に、黒い着物。

 大旦那より華奢な身体つきなのに、そのプレッシャーというか、飲み込まれそうな感じは、もしかするとマッチョな大旦那より強そうだった。


「お、おぉ。沙友里さゆり……んだど、んだども悪いのはこいつらで……」

「こいつらではありません、次郎衛門さま。お客様です」

「ぬぅ……」


 『沙友里』と呼ばれた美女は、こほんという咳払いで大旦那の次ぐ言葉を止めた。

 そして、その咳払い一つで仲居さんたちが旅館の中に慌ただしく消えていく。

 旅館の玄関が一瞬で、その女に支配されたようだった。


「……お騒がせして申し訳ありません。ポラーレ・シュテルンさまと、そのお連れさま」


 大旦那は不満げに俺の襟首から手を離し、美女の隣に立つ。



「わたくしは沙友里。甘瀧 沙友里あまたき さゆり……。

 当館、甘瀧温泉の若女将にございます」

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