3撃目.最初の死体①

 ファミレスから即夜行バスに乗って出発し、高速道路を五時間走り、そこからローカルのバスで二時間走って、そこから一時間くらい歩いて……午前十時。

 俺は、スーツ姿のままで、山を登っていた。


「探偵さん」

「どうしたんだい、辰弥くん」

「ここは一体」


 俺の前を軽快に登っていく探偵は、ふふんと口で言った。


「長野県の山奥だよ」






 甘瀧温泉は秘境にあるらしかった。

 どのくらい秘境かというと、筆舌に尽くしがたい。

 昨日雨が降ったらしい地面は完全にぬかるみ、道らしき道は獣道すらなく、岩場はコケとキノコ。そこら中で木の根が不気味にうねり、油断した人間の足首と命を絡めとろうとしている。


 鼻を突くのはむせかえるほどの湿気と、森の匂いだけ。

 耳に届くのも、森のざわめきと、微かな水の音ばかり。


「……探偵さん」

「文句は聞かないぞ、辰弥くん」


 こんなクソ田舎というか未開の地に説明もなく連れてきやがって、といった文句は先回りで潰された。探偵の足取りのように軽やかな弁舌である。


 あぁ、探偵の足取りはとても軽快だ。

 登山に慣れているから、だけではないだろう。

 探偵の荷物は、全て俺の背にあった。


 リュックサックの中は探偵の着替え、探偵の身だしなみ用品、探偵の整備道具、探偵のスマホのバッテリー、他。俺の荷物はスーツの内ポケットのタバコとライターだけだというのに、その全てを俺が背負っている。探偵が身軽そうでなによりだ。畜生。


 俺は苛立ちのあまりタバコを吸いたくなったが、森に灰皿はないので、吸えなかった。


 目的地に着けば吸い放題だ。我慢する。

 目的地はまだか。

 早く俺にタバコを吸わせてほしい。


「おっ」


 切なる願いが天に届いたのか、突如、探偵が明るい声をあげた。

 俺は期待を込めて尋ねた。


「到着ですか?」

「そうとも言えるし、そうでないとも言える……」


 探偵はあやふやな言葉を吐いて、立ち止まった。俺は重い荷物を背負ったまま追いつき、隣に立って、探偵が見ているものを見た。


「……おぉ」


 絶景があった。

 眼の前で落ちる、荘厳な滝。

 その上にバっと広がる、無数の紅葉。

 少し湿った風が紅葉を躍らせ、その枝葉で音を奏でる。


 ちょうど照ってきた午前の太陽が、滝から弾ける水の一粒一粒をきらきらと照らし、その光が紅葉の紅を引き立て、緑一色の森山とは全く違うきらびやかな雰囲気を纏わせる。


 まるで絵画のような、テレビで特集されるような、素晴らしい絶景。

 俺は、この景色を知っていた。


「……チケットに載ってた滝ですね。旅館も近いんでしょうか?」


 探偵に見せてもらったチケットの写真にも、この滝は映っていた。つまり旅館が近いということで、旅館が近いということは、タバコが吸えるということだ。

 俺は少し浮足立った気分で、探偵の方を向いた。



「すまない」



 探偵はため息と共に、何かに謝罪した。

 誰に対しての謝罪か、どういった理由でのため息か。俺はなに一つ分からなかったが、探偵の言動が理解不能なのはいつものことである。俺は探偵を無視し、周囲を改めて見回した。


 ……すると、しゃん、という鈴の音が耳に届く。


 俺は不意に、鈴の音がした方向を見る。









 ――――人が、首を吊っていた。


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