◯ふたりの話 急転

 伽耶からの電話は突然切れて、その後は何度かけなおしても繋がることはなかった。


「……どうしよう」


 スマホの画面を見つめるさくらの顔は青ざめて、悲痛に歪んでいる。颯太も言葉を失って、彼女の手元を見つめることしかできなかった。


 雅代が倒れたのは、佐々木という名前の人間の家だという。それが凉香のストーカー教師と同一人物だと、颯太はほとんど確信していた。


 佐々木は凉香を追いかけて、どういう手段を使ったかはわからないがこの町にたどり着いた。そして、あのショッピングモールに行き、そこで何かが起きて、自殺に至った。

 

 あの場所に残る、犬坂兼秋という男の妄執。そして彼が祀ったという、「いぬおぼご」と呼ばれる気味の悪い何かの力は、時を超えてなお人に仇なすのに十分だったらしい。

 

 ――そして死んだ佐々木の魂は、どういうわけだかショッピングモールに残り、人に害をなす側に回った。

 雅代がどこまでわかっていたかは不明だが、彼女は何とかしてくれようとしたのだろう。妹を助けたいと願った颯太のために。


 なら――現状は、自分のせいだ。

  

「……ごめん」


 絞り出すような謝罪の言葉に、さくらは力なく首を振った。伏せられた長い睫毛が、彼女の目元に濃い影を落とす。


「森下さんは家に帰って。後は俺が一人でやる」

「……でも、やるって、どうやって」

「……それは……」


 その問いかけに颯太は言葉を濁した。その時


「さくら? ……渡会くん?」


 背後から彼らの名前を呼ぶ声が聞こえた。


「恵麻……?」


 振り向いた先、不安げな面持ちでその場に立っていたのは、さくらの友人で颯太のクラスメイト――本田恵麻だった。


「やっぱりさくらだ! もう! 心配したんだからね! 連絡してもほとんど反応ないし、どうしたのかって」


 足早に駆け寄ってきた恵麻はさくらに抱きつくと、大袈裟なほど涙を溜めた目を潤ませる。


「……ごめん。色々あって」

「ううん、会えてよかった」

「でも……なんでここに?」

「……それが。ネットで……変な動画がバズってて……学校で見て気持ち悪くなっちゃって、早退してきたの」

「動画?」


 恵麻は口元を抑える。何かを思い出したように顔面は蒼白にその色を失くし、体は僅かに震えていた。

 

「……あのショッピングモール、やっぱり変だよ。おかしい」

「え?」

「もう行かないで。……行っちゃダメ。絶対」

「ちょ、ちょっと。どうしたのよ、恵麻。一体」


 恵麻はほとんど錯乱したようにさくらの腕を掴み、懇願する。大きな瞳に溜まっていた涙がぼろりと溢れ、乾いた地面に染みをつくった。

 この状態の彼女を一人にしてはいけないのは明らかだ。颯太は好機だと思い、口を開く。

 

「森下さん。本田さんについててあげな」

「……でも」


 不安げに彼を振りあおぐさくらに向かって、颯太は無理やり笑顔を作ってみせる。


「俺のことなら大丈夫だから」


 そして、右手の竹刀袋を強く握りしめた。


 ◇◇◇


「――ちょっと、颯太! あんた、今日学校サボったって!?」


 出ようか出まいかさんざん迷って、コールの長さに根負けした着信の、第一声はこれだった。


「ごめんって、母さん……。でも、これには事情が」

「まさか、あのショッピングモールにいるんじゃないわよね」


 図星の指摘だった。正確には、いた、であるが。

 さくらと別れてこの後、もう一度その場所へ向かおうとしていることは間違いない。

 颯太の無言を肯定と受け取ったか、電話越しの母は大きく溜息をついた。


「心配なのはわかるわ。でも、凉香のことは、お母さんと警察に任せなさい。あんたが責任感じたり、何かする必要はないの」

「……警察が頼りになんねぇのは、母さんも知ってるだろ」


 今度は母が言葉に詰まる。しばらく迷うような間をおいて、母はぽつりと呟いた。

 

「……行ってほしくないのよ、あの場所には」


 何故か。それを訪ねるまでもなく、母はぽつぽつと語りだす。

 

「……忘れようと思ってた。十年も経ってるし、ショッピングモールはむしろ被害者で……。もう終わったことなんだから、凉香が、あんたたちが行きたいっていうなら、無理に反対することもないって……」


 それは颯太に聞かせるというよりはむしろ、独り言のような語り口だった。


「……なのに……お父さんだけじゃなくて、凉香まであそこで、なんて」

「待って、父さんがって? ……何のこと?」

「……やっぱり、覚えてないのね」


 ここで母は、少し笑ったようだった。疲れたような、淋しげに掠れた笑いだった。


「お父さんが亡くなったの、あの場所よ。……ショッピングモールはまだ、建ってなかった頃だけど」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る