◯渡会颯太の話 夢
その晩、颯太は夢を見た。
前日の大雨で増水した川で、なすすべなく流されている夢である。
茶色く濁った水に四方からぶつかられ、身動きが取れない。それは、彼がまだ幼い頃の記憶で、何度も夢に見た光景だった。
――いや、違う。あの時、溺れていたのは自分ではなく、名も知らぬ別の少年だった。実際には自分に川を流された経験など無い。
そのあたりの記憶が混乱しているのは、なるほど夢らしいなと颯太は思う。
場面は唐突に切り替わる。颯太は川べりに立ち、救急車で搬送されていく少年を眺めていた。
颯太の隣にはびしょ濡れになった男性がいて、上半身のシャツを脱ぎ、水を絞っている。
――生前の父だった。
「――父さんは、なんで危ないのに怖くないの?」
「いや、怖いぞ? めちゃくちゃ怖い」
颯太の問いかけに、父は笑いながら答えを返す。
「でもさ、父さんはでっかいし強いだろ? だから、その分、人が困ってたら助けてあげないと。……それが、警察官ってやつだからかなぁ」
父は笑いながらシャツを大きく振って、シワを伸してから羽織り直すと、右腕を上げて力こぶを作ってみせた。
「……俺も! 俺も大きくなったら、父さんみたいなけーさつかんになる!」
「おお、颯太ならなれるさ。父さんよりも立派な警察官にな」
父は目を輝かせる颯太の頭をわしゃわしゃと撫でると、白い歯を見せて笑った。
暗転。
何もない真っ黒な空間にひとつだけ、ぽつんと箱が置かれている。
大人の頭部ほどのサイズで、豪奢な刺繍を施された白い布のカバーがかけられている。
それが何か、颯太は知っていた。――骨壺を入れるものだ。
「ねえ、お兄ちゃん」
妹の声が聞こえた。
「お父さんが死んじゃったのはさ――私のせいだったんだよね」
――違う。颯太はその言葉を否定しようとするが、喉が潰れたように声が出せなかった。
「ごめんね」
颯太が口をパクパクさせている間に、妹の声は小さく、遠くなっていく。
「だから……もう、帰れないや」
――その声は、骨壺の中から聞こえていた。
◇◇◇
リン
「――ッ!」
鈴の音に、颯太は飛び起きる。
全身が汗でびっしょりと濡れていた。酷い悪夢に、起きてもなお心臓が大暴れしていた。
前半は十年前の出来事だ。家族で訪れたキャンプ地で、子どもが川に流された。誰もが狼狽える中、真っ先に颯太の父が川に飛び込み、木の枝に引っかかっていたその子を引っ張り上げたのだ。
颯太の父――逸夫は、そんな人間だった。困っている人間がいれば損得関係なく、誰よりも先に身体が動く。
だから幼い颯太にとって、警察官の父は紛れもなくヒーローだった。彼が亡くなった後もずっと。
後半は初めて見る夢だった。骨壺の箱は、父の葬儀で母が抱えていたものだろう。――そこからなぜ、妹の声がしたのかは考えたくなかった。
「お前のせいじゃねぇよ……」
左手首を額に当てて、声を絞り出す。
父が死んだのは、妹のせいじゃない。そして――自分のせいでもないと、言い聞かせるように。
◇◇◇
「……おはよ、母さん」
憂鬱な気分で階段を降りた颯太は、ぼんやりと食卓に腰掛ける啓子に起床の挨拶をする。返事が返ってこないのを不審思い彼女の顔を見て、その青白さにぎょっとした。
「どうした? ……なんか、あった?」
まさか。先ほどの夢が脳裏によぎる。妹に何かあったのではないか、最悪のシナリオを想像する颯太のほうを、母はゆっくりと見上げてかさついた唇を開く。
「佐々木…………先生、亡くなったって」
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