◯ふたりの話 栄永神社
森下家を出てから小一時間後、颯太とさくらは濃い緑の匂いがけぶる山道の中、傾斜のきつい石段を一歩一歩登っていた。
「ほんッ、とに、こんなところに――その『すごい人』ってのが、いるの!?」
荒い息をぜぇぜぇと吐き出しながら、颯太は先を行くさくらに声をかける。
「本当だってば。……だらしないなぁ。このくらいの階段でさ」
凉香を探すのに協力する――そう宣言したさくらに連れられて、颯太は町外れに位置するこの山の上にある、という神社を目指している。彼女曰く、そこにはオカルト関係の相談をするのに最適の「すごい人」がいるという。
「だらしない……って……もう三十分は登ってるぞ……。さすがにキツイって、これは」
これまでの間に、さくらに対する颯太の口調はだいぶ砕けたものになっていた。同い年なのだし畏まるなと言われたこともあるが、今この瞬間に関しては単純に余裕がないことが原因だ。颯太はとうとう立ち止まって滲んだ汗を拭う。
後ろを振り返ると、長い長い石段が地面に向かって伸びていた。その高さに身震いし、慌てて上を向き直す。
――二ヶ月間も、帰宅部をしていたつけがたたったか。教材のたっぷり入ったスクールバッグを持っているとはいえ、同い年の女子に体力勝負で負けたのはショックだった。しかし、黙々と舗装の甘い石段を上り続ける苦行に、彼の身体は限界寸前だった。
「……森下さん、めっちゃ体力あるね。鍛えてる?」
「趣味は登山。あと筋トレ」
「すげぇ……」
「部活は美術だけどね。お母さんのゴリ押しで」
颯太は、少し先で涼しい顔をするさくらを羨望の眼差しで見る。情けないとは思うものの、一度止めてしまった足を再び動かすのは難しかった。
がたがたと笑う膝に手を当てて、項垂れる。荒い息に焼かれた喉が、ひどく渇いていた。
「ほら、がんばれ。あとちょっとなんだから」
「限界……。せめて……水……」
「お水、ほしい?」
「ああ、ほし――」
返事をしかけて――颯太は顔を上げる。視線の先には、さくらがその顔を強張らせて立っていた。見開かれた大きな瞳は颯太を通り越し――その背後を凝視している。
「ねぇ、ほしい?」
その声はさくらのものではなかった。颯太の背後――石段の下から聞こえている。
さっき振り返ったときには誰もいなかった。こんな山中に似つかわしくないあどけない声が、笑いを含んで颯太に話しかけてきた。
「ねえねえ」
「おみずいらないの?」
「いっぱーいのおみずだよ」
「井戸いっぱいのおみずだよ」
さわさわと、密やかな笑い声と木の葉が風にそよぐ音が颯太の周りから聞こえてくる。
――一人じゃない。たくさんの「何か」が、周りで彼を見て――笑っていた。
「――ほしいなら、あげるよぉ」
その声が、そう、言った瞬間
「……ッ!」
「渡会くん!?」
颯太は首元を押さえて、石段に膝をつく。
――突然、息が、できなくなった。
口の中に、泥臭い汚水の味が広がる。まるで耳が塞がれたように周りの音がくぐもって、遠くに聞こえる。目も霞んで、石段が歪んで見える。 水中にいるみたいだな、と変に冷静な頭の片隅で考えた。
「……が……、ご……ッ……ぼ……!」
酸素を求めて口を開くと、そこからごぼごぼと大量の汚水が吐き出された。水は彼の口の中からとめどなく流れ、服を汚し、石段を流れ落ちていく。
「渡会くん! 渡会くん……! やだ、ねぇ、ねぇってば!」
駆け寄ってきたはずのさくらの声が、どんどん遠くなっていく。
息ができない、怖い。
こんなところで――溺れる?――――――苦しい、つらい
たすけて
声にならない悲鳴をあげた、そのとき
パン
大きな、澄んだ音が山の中に響き渡る。周りの木々から、驚いたらしいカラス数羽、バサバサと飛び立った。
――と同時に、颯太の口から溢れ出す汚水がピタリと止まる。
「……ッぐぇ……! っほ、げほッ……」
気管に入り込んだ水に颯太は涙目でむせ返る。しかし、苦しいながらも呼吸はできるようになっていた。ひとしきり咳き込んだあと、颯太は音のした方――石段の上に視線を上げる。
そこには、藤色の着物を身にまとった白髪の老婦人が、手を合わせて立っていた。先ほどの音は、彼女が大きく手をたたいた音だったのだろう。彼女は険しい表情で眼下――ふたりの背後を睨みつけている。
「……おばあちゃん」
隣にしゃがみ込んださくらが、涙声でぽつりとこぼす。その声に、婦人は視線を彼女へと向けると、表情を和らげて微笑んだ。
「よう来たねぇ。さくら」
そして――隣の颯太に視線を移す。さくらに祖母と呼ばれたその顔は、なるほど彼女とよく似ていた。
「はじめまして、渡会颯太くん。――さくらの祖母、|森下雅代と申します」
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