◯森下さくらの話 行くよ

 颯太は必死に訴えた。この写真の女に会ったこと。その後、彼の妹が消えたこと。やはり二人の失踪には何か共通点があること。

 一連の話を聞いたさくらは、興味なさげに腕を組んだまま、小首を傾げただけだった。


「……………………で?」

「で………………って。森下さんも、お母さんを探したいんじゃないですか?」

「別に」


 唖然とする颯太を一瞥し、さくらは振り返ると和室から出て行った。去り際にぽつりと吐き捨てるように、言う。


「……みんながみんな、渡会くんの家みたいに仲良いわけじゃないよ」


 それは本心からの言葉だった。颯太はぽかんとして――気まずそうにその視線を彼女から逸らす。


「そう、ですよね。ごめんなさい。……そりゃそうだ」

「へぇ、わかってくれるんだ」


 皮肉のつもりで言った言葉は、弱々しく項垂れる颯太に真正面からぶつかってそのまま霧散した。

 ――さすがに罪悪感を覚え、さくらはそっぽを向く。


「……私なんかに頼らずに、正攻法で探したほうがいいよ。警察には通報してるんでしょ?」

「――ッ!」


 「警察」――その言葉に反応したように颯太は勢いよく顔を上げた。その勢いに驚いて、さくらは大きな目をさらに大きく見開く。


「あんな奴ら、……信用できるかよ」


 目に、燃えるような怒りを宿して、颯太は憎々しげに吐き捨てる。それまで一貫して丁寧な態度を崩さなかった彼の変貌ぶりに、さくらは思わず後ずさりする。

 

「…………あ……すいません。……つい」


 さくらの様子に、颯太は我に返って謝罪する。彼女が無言で首を振ると、颯太は弱々しい笑みを浮かべ、ぽつぽつと語りだした。


「……妹、最近までストーカーから付け回されてて。……その時も警察は何にもしてくれなかったんです。だから引っ越して、学校も変わることになって。……ようやく立ち直ってきてた。なのに」


 ストーカー、という単語が出た瞬間、さくらはハッとした表情で息を呑む。けれど、視線を床に向けたままの颯太はそれに気づくことなく、絞り出すように話を続けた。


「……警察には遠回しに、家出じゃないかって言われました。ストーカー野郎のことも言いましたけど。でも……『白昼堂々連れ去れるわけもないし、無関係でしょう』なんて……言いやがって」


 颯太は呻くようにそこまで言うと、手のひらでその顔を覆って黙り込む。そして、長い、長いため息をひとつついた。

 段ボールが散乱する和室の中に、重苦しい沈黙が満ちる。

 

 ――先にその沈黙を破ったのは、さくらだった。


「……名前、なんて言うの」

「え?」

「妹ちゃん。なんて名前?」

「……凉香。涼しいに、香るって書いて、すずか」

「涼香ちゃん、か……」


 さくらは、凉香の名を確かめるように何度か呼ぶと、その口元を綻ばせた。初めて見る彼女の表情に颯太は目を見開いて、その顔を凝視する。

 彼女のそれは、決して手の届かない何かを、遠くから見るような――淋しげな微笑みだった。

 

「いいね。まともなお兄ちゃんがいて」


 そう言って、颯太に背を向けた。


「ちょい、そこで待ってて」

「え? なんで?」

「いいから!」

 

 さくらは強い口調でそう言うと、二階への階段を軽快に駆け上がる。自室に入りドアを閉めてすぐ、部屋着のスウェットを脱ぎ捨てて手早く外出着に着替える。

 防寒用のニット帽とダウンジャケットを引っ掴み勢いよくドアノブに手をかけたとき――背後から聞こえた声に、さくらはびくりとその身を震わせた。


「――なぁに、その格好。はしたない」


 ――母の、声だ。


「全身真っ黒じゃない。なんなの? その不良みたいな服は。…………かわいげのない。もっと可愛らしい格好しなさいよ。――そうねぇ、恵麻ちゃんみたいなのはどう?」


 何度も、耳にタコができるくらい聞いたセリフだ。そして、続く言葉もこれまたいつものセリフだった。

 

「高校生のくせに、そんな短いスカートなんて履いて。――だからあんな、」


 さくらは振り返って――棚の上に飾ってあった写真立てを掴み、「それ」に投げつけた。

 

 ガラス製の写真立ては、そこにいた「何か」にぶつかった。ガシャンと大きな音をたてて破片が飛び散る。


「――なにすんのよ、あんたのせいなのに」


 消えてしまう少し前に見えた姿は、まるで母の形をしていなかった。茶色くしなびて枝のようになった四肢はわなわなと動き、消える寸前まで憎らしそうにこちらを睨みつけていた。


 さくらは虚空を睨み返すと、踵を返して廊下に出る。もう、邪魔は入らなかった。



 ◇◇◇

 


「お待たせ。行くよ」

「え?」


 愚直にその場で待っていたらしい颯太は、ぽかんと口を開いてさくらを見る。何故着替えてきたのか――問いかける視線が、彼女のミニスカートから覗く太腿のあたりで一瞬止まり、慌てて逸らされた。その動きが面白くて、さくらは少し笑うと一人で玄関へ向かう。スニーカーに足を入れ、まだ立ち尽くしている颯太を振り返ると、ちょいちょいと手招きした。

 

「えと、あの……話が読めないんですけど……」 

「協力したげるって言ってんの。――涼香ちゃん探すの」


 さくらはそう言って颯太を見上げる。あんぐりと口を開く彼に向かって、赤い唇を弧にしてにやりと笑った。

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