エピローグ (1)

 空は真っ赤に染っていた。関東平野、冬の薄い縮れ雲は地平線までを渡っている。

 俺はこの学校の、屋上からの夕日が世界で一番綺麗だって、本気で思ってる。

 晴れた日は遠くにスカイツリーと、更にその奥に雪を被った富士山が見える。

 高台にある学校の屋上は、俺たちの格好の溜まり場。

 無論立ち入り禁止だが、何故か佐伯が鍵を持っていた。

 佐伯は俺の横に座って、ぼおっと真っ赤な空を見ていた。お互い、無意識に探していたのだろう。コンクリートの上で指先が出会い、掌を辿って、きつく繋ぐ。

 屋上は寒くて、綺麗で、どうしようもなく二人っきりだ。

 俺達は息を白く吐きながら、ふと見つめ合う。佐伯の頬と鼻先が、寒さで赤くなっていた。面影を感じて、少し懐かしい。

 きっと冷たいんだろうな。

 それを確かめるべく、猫の挨拶みたいに鼻をくっつける。お互い冷たくてよく分からなかった。

 唇が触れる、確かめるみたいに擦り合わせて、佐伯の手が俺の背中に回るのを感じる。

 抱きしめられて、唇を貪られるのは堪らない。

 肌の熱と脳の奥が溶けるみたいな興奮。自分の下半身も切なく熱を持つ。きっと佐伯もそうだろう。

「……ねえ、佐伯ってさ」

「なに……? 」

 こくんと唾液を飲み込んで、結構前から思っていた事を、そっと聞いてみた。

「……俺とセックスしねぇの? 」

 途端、ぱっと離れた佐伯は、顔を赤くしたまま膝を抱えて、どうしていいか分からないという顔で俺の事を見る。

 なんだ、可愛いじゃんか。

と、思わないでもないのだが、お互い身体を清く保ったまま、痛みを伴い必死に触れ合った記憶だけを抱えている状況に、俺だって戸惑っている。

 そう、修学旅行が終わり、夏休みが終わり、秋も通り過ぎ、もうすぐ冬休み。

 俺たちは未だキスだけの清い交際をしている。

  

 佐伯が「啓秀けいしゅう」と呼ばれていたのは二百年も昔の事で、俺が頃はとっくに「大人の男」だった。

 年齢的には二十歳前後だと思うが、当時からしたら世帯を持ってもおかしくない歳だし、何より俺に性的なおもてなしを教えるくらいだから、当時の夜這い文化の中で、セックス自体は沢山していたはずだ。

 なのにこの佐伯と来たらどうだ。

「……だって、した事ないし……」

「覚えてないの?」

「……覚えてるからこそ自信無いっていうか……」

 成程、リアル過ぎる性体験の記憶があるせいで、実物を目の前にした時にその通りにできるか不安という事らしい。

 いや、エロ漫画読みすぎて童貞を拗らせてるみたいになってないか、大丈夫かこいつ。

 少々不安になりながら、黒い髪をわしわしと撫でてやる。最近短めに刈り込んだ黒髪は、かつての啓秀に似ている。

 あと二、三年もしたらあんな風に逞しくなるんだろうか。時代が違うしちょっと分からないが。

「お前今週の土曜日塾無いよな?」

「無い」

「母ちゃん夜勤だから泊まりに来いよ」

 バッと顔を上げた佐伯はなんだかもう笑ってしまうくらい真っ赤だ。でも目が座っている。

 やる気はあるんじゃねえか、安心したわ。

 二人きりなのにひそひそと耳に囁いてやる。

「俺ゴムとローション買っちゃった」

 ドラッグストアで買うの恥ずかしかったなあ。佐伯は目を見開いたが、やがて、酷く弱々しく聞いてきた。

「……優希は怖くない? ……痛いのは優希だろ?」

 啓秀も優しかったなあと思い出してしまう。それでも大分痛かったが、まあそれはそれで必要な事だったんだろう。

「舐めんなって。女のコだって最初は痛いっていうし、そういうもんでしょ」

「…………なんか…………お前ばっかり余裕ある気がする……」

「いやほんと拗らせてんな?」

 いっそ恨めしそうに見てくるのが面白かった。俺だって、あの痛みが怖くない訳じゃないのだ。

 でもそれを悟られたら、もう一生触ってくれないような気がして言えなかった。


 土曜日。

 夜になり、看護師をしている母を送り出した。帰ってくるのは明日の朝の十時くらい。

 念入りに風呂で身体を洗い、そわそわと待っているとチャイムが鳴った。

 出迎えた佐伯はコンビニのビニール袋を下げて、何だか見た事ない複雑な表情をしている。照れているのか、恥ずかしいのか。

「晩飯食べた?」

「食べた。あとコンビニでちょっと買ってきた……ポテチとかアイスとか……」

「あっ俺もモンスター飲みたい!」

「二本あるから好きな方飲みな」

 ふふっと笑ってしまう。

 佐伯からも風呂上がりの良い匂いがした。なんだか上手くいく気がする。

 何より、一晩中佐伯と居れるのは嬉しかった。

 

 「村」において、初めての性体験というのは基本的に人から「教わる」ものだった。所謂筆下ろしだ。

 同世代の子供が居なかったから自分の時しか知らないが、相手はそれなりのお家のご婦人で、詳細は省くがちゃんと順を追って手とり足とり教えて貰えるものだった。

 それは多分女性達も一緒で、初めての相手というのは「好きな人」では無く「慣れた人」であったと思う。善し悪しでは無く、そういう時代だったのだ。

 だからこんな風に、好きあった子供同士が、お互い清い身体を捧げ合うなんて事は基本的に発生しない。と、いう記憶がある中で、今横に居るのは真っさらな身体の優希なのだからとんでもない。

 色の抜けた金髪を、当時の自分は神様みたいだと思って見ていた。今はと言えば、伸び放題で肩にかかる長さのそれを無造作に結んでいるのが可愛くて仕方ない。

 女のコがくれたのであろう大きなハートのパーツが着いたヘアゴムには、ビーズだかなんだかキラキラしたものが入っていて、少し首を傾ける度中身が動くのか、チャラチャラと小さな音がした。

 耳のピアスは今はどうやら全て外れていて、ピアス穴が微かに存在を主張している。

「佐伯はさ……」

 ほら、首を傾げて、ハートがキラキラ瞬く。

「何時から俺のこと好き?記憶がちゃんと戻ってから?」

「………………」

 どうだろう。

 夢みたいだった過去世の記憶がはっきりしてからは、それはもう手が届くのが奇跡と思うくらいに好きだ。キスだけでも、生きている体温を感じられるだけで胸が張り裂けそうになるくらい。

 じゃあその前は?

「……笑うなよ、俺、お前で夢精してしばらくお前の顔見れなかった事ある」

「ええ……?」

 笑われなかったがちよっと困惑されてしまった。

 これに関しては俺も大層驚いたというか、何より夢の中で、泣きながら俺を受け入れる優希の事が愛しくてたまらなかった。……で、起きてから真っ青になった。

 今にして思えば、それは俺の物では無い思い出だったのかったかもしれない。でも。

「……正直意識はしたけど、俺ゲイって訳じゃないし、お前もゲイじゃ無いと思うし……女の子も好きだよな?」

「うん。女のコ可愛い」

「どうにかなる予定は無いから、意識はしてるし、一緒に居て楽しいとか、可愛いとか思ってたけど、友達のままやり過ごして、好きにならない様に気を付けてた……みたいな感じかな」

 それって結局好きだったんじゃないか?

 自分に問いかけるが、答えは帰って来ない。自分の気持ちなのに、根っこの方に違う男が居るような気がするのは、結構気分が悪い。

「そっかぁ……俺は修学旅行の時まで何とも思って無かったかな……いやどうだろう、特別な友達みたいな気がしてたかな? ほら、俺ら雰囲気違うけど一緒に居て落ち着くだろ?」

 活発で派手な優希と、パッと見真面目そうと言われる俺は傍目にも不釣り合いらしく、つるんでいると良く不思議そうな目で見られる。

 優希は奨学金を借りてデザイン系の専門学校に進むらしく、成績も内申もそこまで気にしていないらしい。俺は大学受験に向けて目下勉強中。

 共通点はあまり無い。でも、お互い一緒に居ると楽しくてしょうがないし、一緒に居たくて堪らない。

 優希が頷いた。

「落ち着く。あと、もうちょっと一緒に居たくなるっていうか……」

「わかる」

「……今は? ……それだけ?」

 とすん、と優希がもたれかかってきた。ヘアゴムもカシャっと音を立てて、金色の髪が頬をくすぐった。

 ごくり、唾を飲む。

「佐伯は違うかもだけど、……俺は佐伯にいっぱい触りたいって思ってるよ」


 どうして今まで触れずに居られたんだろう。

 俺と佐伯はお互いの服を酷く性急に剥がした。Tシャツに引っかかって、クラスの女の子に貰ったヘアゴムがカシャンと音を立てて落ちる。

 佐伯は中学の時は剣道部だったと言っていた。筋肉は落ちているのだろうが、贅肉が無くて、綺麗な筋肉に皮がぴたりと張り付いている。

 啓秀のような逞しさは無いが、無駄が無く、滑らかで綺麗だ。露出した肌を擦り付け合うみたいに抱き合う。

 ずっとこうしたかった。

「あったかくてきもちい…………ん……」

 唇を吸われて、舌が差し込まれる。じゃれるみたいに絡ませると、上顎をなぞられてゾクゾクする。

 俺は夢中になって佐伯の肌を辿った。

 硬い肩甲骨を確かめ、背骨の数を数えるみたいになぞる。

 薄く目を開けた佐伯の視線を感じながら唇は舌を吸って、脇腹に手を入れて肋骨の形を確かめた。

 ちゅ、と音を立てて、唇が離れる。

「……それ、楽しい?」

「楽しいよ、硬くてさらさらで気持ちいい」

「そう……」

 佐伯は俺の首筋を確かめ、鎖骨をなぞる。

「……ん……」

 くすぐったくて、ちょっと声が出てしまった。佐伯の顔を薄目で見ると、ふー、と荒い息を抑えるみたいに呼吸をしている。

 気が付いたらベッドに押し倒されていて、太腿に佐伯の張り詰めたものが当たっていた。俺のもズキズキと熱を持ち、佐伯の腹を擦っている。

 布団汚れると気まずいし、ゴムした方がいいかなぁ……

「あっ……!」

 そんな事を悠長に考えていたら、ぱくんと乳首を食べられた。女の子じゃないんだからおっぱいなんて感じないだろうと思ったが、舌でくるくるなぞられるとゾワゾワする。変な感じ。ちょっと怖い。

「まって、佐伯……まって、! 」

 そう言っているのに、佐伯の指先が俺の尻を辿る感覚がして、震える。ちょっと待って欲しい。爪先が入口を微かに引っ掻いている。荒い息が胸にかかる。

 なんだろう、違和感を感じる。

「佐伯、待ってってば!」

「あ…………」

 乳首から唾液が糸を引いて、佐伯と目が合った。なんだか焦ったような、ちょっと必死すぎる顔をしている。そこでやっと、違和感の正体に気が付いた。

「よっしゃわかった、佐伯お前、ちょっとそこに横んなれ」

「は?」

「早く」

 おろおろとしながらも、佐伯はベッドに横たわる。

「何、どうすんの優希」

「いちゃいちゃすんの。お前、今俺の事お役目っぽく触ったろ」

 なんていうか、手順を踏んでいる気がした。

 ぎくりとするのを見下ろしながら、俺は佐伯に跨って言ってやった。

「ちょっと大人しくしてろ!  俺が全力で可愛がってやる」


 お役目っぽさ、ってなんだろう。

 優希はベッドに横になった俺の上に跨って、目を閉じて熱っぽい息を吐いた。

 自分のと俺のものを一緒くたに両手で握り込み、貪欲に擦り上げ、その度クチュクチュと卑猥な音が立つ。

 下半身を走る快感に、息が上がる。

 汗が滲み、しっとりとした腿に手を這わせると、それすら快感に変わるみたいに、切なく吐息を漏らした。

「きもちい」

「ねぇ、俺ももっと触りたい……」

 懇願すると、とろりと溶けた目が俺の心の奥を探っている。

 薔薇色の頬、薄い唇、華奢な体躯、白い肌。

 全部触れて、中までいっぱいにして、どろどろになった優希はどんな顔をするのだろう。

 記憶に無いわけでは無い。でもそれは、本当に俺がこの目で見たものでは無いのだ。

 目の前の、本当の彼を、滅茶苦茶にしてしまいたい。

 優希は何かを感じ取ったのか、おいで、とばかりにベタベタになった手を広げた。

「いいよ、いっぱいさわって」

 俺はお許しが出るや否や、がばっと腹筋だけで起き上がって、乗っていた優希を抱きしめた。

 温かい肌が密着する。硬く立ち上がったものが互いの腹で擦れる。堪らない。薄い唇を吸うと素直に口を開いて、濡れた口腔は熟れた果実みたいだ。

 ちゅぱ、と音を立てて離れて、ぎゅうぎゅう抱き締める。しっとり汗ばんだ肌が愛おしい。

「優希……好き……かわいい……」

「……俺はかっこいいんだよ?」

「かわいい…………」

 お役目っぽい、とは多分心が繋がらないような、噛み合わない様な状態では無いだろうか。さっき優希は「まって」と言っていた。俺はそれを耳に入れつつ、性急に段取りを進めようとしたから止められたのだ。

 俺は少し考えて、ちょっとかっこ悪くても良いからちゃんと聞いてみる事にする。

「優希ん中入れたい、……痛くしないからお腹の中触っても良い?  ……怖い?」

 優希はちょっと悪い顔をして、俺の頭をわしわしと犬みたいに撫でた。かわいいと思うが、可愛がられている感じもする。

 お互いフラットな立場なのだから、それで良いのだ。

「……いいよ、俺も結構ちゃんと準備したから、あの時ほど辛くないと思うよ?」

 準備。というのは多分200年前のやつだ。それはもう一度きりだと思って、なるべく傷つけない様にうんと時間をかけて、でもやっぱり痛くて辛い思いは免れなかっただろう。

 でも今回は彼なりの準備をしてあるらしい。一人でとんでもない事をしてくれている。一体いつからだろう。

 俺は傍らに置いてあった開封済みのローションのボトルを取り、粘度の高い液体をトポトポと手に垂らした。

 

 焦る気持ちを抑えつつ、ぬめる手で優希のものを上下に擦り上げてやると、膝立ちになっている内股がビクビクと震えて、甘えるように頬を肩に付けてきた。

「…………っ………………」

「……ごめん、ちょっと冷たかったな……」

「平気…………」

 そのしとどに濡れた手を、背中に回して、小さな尻の割れ目を辿った。すぐ見付かってしまった窪みにローションを擦り付けて、中指の先をそっと沈めてみる。

「…………大丈夫だよ」

 息を殺すような囁きが耳に注がれた。優希の中は記憶しているよりずっと柔らかくて、温かく指を包んでいる。きっと一人で、何日もかけて良く慣らしたのだろう。想像すると健気で、堪らなかった。

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