第13話
真っ暗闇が身体を包んで、突然の浮遊感。
しばらくすると、明るい光が視界を焼いて、消毒液の臭いと、まだ泣いている啓秀の声がした。
ゆっくり目を開ける。
「おい、目が覚めたぞ! 鳥海、鳥海、先生が分かるか!?」
真っ白な部屋。病因だろうか。近くで先生が叫んでいてうるさい。啓秀。どこだろう。
泣いている声がする。
「けいしゅう……」
喉が酷く乾いていて、情けないくらいか細い声だったが、彼は椅子から立ち上がり、ベッドに縋り付いた。
「ごめん、ごめんな、優希」
良かった、やっぱり離れなくて済んだんだ。手元にかるたは無い。いや、最初から無かったのだ。でもそれで良い。
啓秀は、佐伯は、ずっと一緒に居てくれた。
そして、お医者さんを呼びに行った先生が戻って来ても、ずっと手を握って泣いていた。
俺は佐伯とイタズラをしようとして森に立ち入り、足を滑らせて転落。頭を打って搬送され、丸一日目覚めなかったらしい。
母もこちらに向かっているが、遠方なのもありまだ到着していないとの事だ。
佐伯は一緒に居た経緯もあり、罪悪感を感じて俺から離れなかった、という事になっているらしい。
ある程度繋がれた機器を外して貰えたが、まだ安静にとの事だ。点滴だのなんだのが着いていて動きにくい。しかし誰も居なくなったのを見計らって、部屋の隅に座っていた佐伯にそっと声をかけた。幸い個室の様だ。
「……なんで俺の事落としたの?」
「……会いたかったから……」
ベッドの脇に座り、横になったままの俺の胸にぽふんと顔を埋めた。少し震えている。
「……今こうやって会うんじゃダメだった?」
「思い出して欲しかったのかも知れない……」
眠っていただけなのに、くたびれたみたいに動かない手で、よしよしと頭を撫でてやる。
啓秀と手を繋いでいた時の感覚が残っている様な気がしたが、単に先程佐伯が手を握っていたからかも知れない。
「……お前地元この辺?」
「地元じゃないけど、……親戚は結構居る」
やっと顔を上げた佐伯は、ぐしゃぐしゃの目をしていたが、その顔立ちは確かに啓秀に似ていた。切れ長の目なんて、良く見たらそっくりだ。もう少し大人になったらもっと似るだろう。
偶然なのか何なのか、たぶん名前の字も一緒なのだが、普段苗字で呼ぶものだから全然気が付かなかった。
「そっかあ……痛いなあ、動けないなあ、困ったなあ……どうしよっかなあ……」
「俺、どうしたらいい、どうしたら許してくれる?」
またグズグズ泣き出す佐伯を見ると、少し気分が良い。
色々やらかして修学旅行をめちゃくちゃにしてくれたのだ、このくらいの嫌味は許されるだろう。
「落っこちる前の続きして」
そう言ったら、佐伯は飛びつくみたいに、俺の口にキスをした。
それはもう、塩っ辛くて、泣きたくなるくらい必至な、二百年越しの想いだった。
きっと啓秀の想い。
……幸せなのに、少し不安になった。佐伯はどう思ってるんだろう。
「でさ、いつから俺のこと覚えてたの? どっかで思い出したの?」
佐伯の表情は依然として曇っている。そりゃ、自分の記憶と自分じゃ無い記憶が絡み合っているんだから、どうしていいのか分からないのかもしれない。
少し落ち着いて、俺たちはお互いの話を擦り合わせてみる事にした。何せ、一晩眠っていた間に二百年も転がり落ちた俺と、その二百年前の記憶を持った友達だ。……いや、今友達だろうか?
今しがたまでキスをしていたし、二百年前は最後までやっているし、でも今は啓秀じゃなくて佐伯だし、身体は清いままだ。色々とこんがらかっている。
そもそも昔から、一見真面目な佐伯とチャラチャラしたお前がなんでそんなに仲良いんだ? と良く言われていた。
何でと言われると気が合ったからなのだが、今となっては違う気もする。
「なんか……ぼやっと記憶みたいな、夢で見た事あるなあ……みたいな感覚はあったけど……肝試しの時、河のとこに看板あったの読んだ?」
「やー……見てないな」
佐伯の顔は年相応だと思うが、やはり顔立ちは啓秀に良く似ている。もう少し背が伸びて、あの年頃になったら本当にそっくりになってしまうのかも知れない。
「……昔あの辺は稀流人神様って人を祀ってて、旅人を泊めたり、疫病封じの祈願とかをしてて。最後の稀流人神様は混血で、子供の識字教育なんかにも尽力したけど、結局世を儚んで使用人と駆け落ちした上、崖から身を投げて亡くなった。
使用人は一緒に逃げたけど、途中で狼に襲われて亡くなった。
んで、それ以来その二人を忍んで、稀流人神様のお社は無くなって、それと同時に村は外からの人を受け入れる様になってめでたしめでたしみたいな……んで、その最後の稀流人神さんって人が作ったカルタが、全部じゃ無いけど郷土資料館に残ってますよって……」
「全然違ぇ!」
思わず大声で突っ込んでしまった。
ご都合主義とは正にこの事、なんか上手いこと書いてあるが、要するに俺も啓秀も居なくなって、他所の村の女の子も呼べなかったから、仕方なくというかむしろなし崩しに村の門を開けて、色んな人が出入りできるようにするしか存続の道が無かったんだろう。
んで、たまたまその後大きなトラブルもなく、今に至るという。
「だろ? 『はあ!? 嘘つくんじゃねえ!』ってなってそこではっきり思い出した。そんで、……ちょっと俺も、その日の看板見た後の事、上手く思い出せなくて……気が付いたら優希が落ちてた。多分俺が落としたんだ……」
しょげる佐伯はちょっと可愛い。が、可哀想なので訂正しておく。
「多分お前じゃなくて、押したのは啓秀だよ」
それは佐伯の想いから生まれた幻かもしれないが、その二百年前に、確かに彼はそこに居たのだ。
木のうろに入っていた御札みたいなもの、あれは多分、啓秀の持っていたカルタの成れの果てだ。あそこで狼に襲われて亡くなったのだ、彼は。
寂しいけど、悲しいけど、目の前には佐伯が居る。不思議だが、それでいいのかもしれない。
「……あの時あの場所で、……ほんのちょっとでも戻れる可能性があればと思って、俺一人で落としてくれたんだろ?」
実際、俺は戻ってこれた。啓秀が手離してくれたお陰だ。
「うん。俺が抱いてたらきっと一緒になっちゃって戻れないと思った」
多分それは、天啓めいた直感だっだんだろう。
はっきりした答えに、胸がスッとした。
「ありがとう」
ああ、あの木のうろの中の、一人ぼっちで残されたカルタ。
二百年もの間、朽ち果てる事もなく、ボロボロになりながら、きっと俺を待っていたんだ。
続
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