第11話

 先行く義父の背中を追いながら、とぼとぼと村中を歩いてゆく。そこかしこに咲いた満開の紅花。遠くの方に酷く腰の曲がった爺様が、山吹色の紅花を摘むのが見える。その近くを小さな子供が二人、駆け回って遊んでいる。

 一見したらのどかな光景だ。

 だが実の所、村には俺くらいの年齢の男女が、ストンと欠けるみたいに居ない。小さい頃に疫病が流行って、その頃子供だったのが、自分を除いて皆まとめて死んでしまったからだ。

 一家全員死んだ家を燃やし、掘った穴に死体を集めてはまた燃やし、ずっと燃やして。そうして土を被せ、弔いに紅花の種を撒く。俺の生まれた家も燃えて無くなり、その跡は紅花が咲き誇った。

 今は花が多い。子供らが大きくなって、家が必要になったら花を刈り取り、そこにまた家を建てるだろう。

 そうして何代もやってきた。

 目の下に紅が入っているのは、何十年も前の疫病で生き残った者の証だ。

 花は消えない。元は弔いに植えたのが、いつの間にか鎮魂と共に、生活の糧ともなり根付いている。

 畑にも出れなくなった老爺が、幼子をあやしている。その皺枯れた目の上下は紅い色に染まっている。

 父も母も死んだ。同じ年頃の子も居ない。寂しくて仕方なかったが、病に勝った強い子供は神社の宮司としての勤めを得て、この年になるまでずっとそうしてきた。

 俺が目の上を染めるのは、先の疫病に犯されながらも打ち勝った者の印。

 今村に居る子供は、皆あの大禍のあとに出来た子で、大体十歳より下。

 いつかその中から稀流人神を選んで、またそれが旅人の子を産んで、そうしてゆっくり、回復していくしかないのだ。

 養父の静かな背中を追って行く。

 稀流人神は、優希の前は独身の老婆が担っていた。やはり目の上を染めており、もちろん子は望めなかった。

 それの死後、昼の間は俺が社に詰めていたが、商人と最低限のやり取りはして、旅人は一切断った。

 何せ、俺が病を得るとまた村が窮地に立たされる。

 そして優希が流れてきた。

 村としては、やはり俺と商人がやり取りするのも望ましくは無いし、何より稀流人神の社を廃れさせる訳にはいかない。

 旅人の子が必要なのだ。

 このままいくと、村の血がどんどん濃くなってゆく。濃い血は澱みを孕み、濃くなればなる程、更に泥沼に嵌ってゆく。

 何処かで止めなくてはならない。だから寂れた集落程、新しい血を求めるのだ。

 屋敷に上がる。

 神棚を背にして、壮年の村長むらおさは紅く塗られた目の周りの皺を更に険しく、深くしていた。

 そうして語られた言葉に、俺は背筋を凍らせた。

「隣村から女子おなごを娶る算段がついた。こちらに着いたらそれを稀流人神とする」

「なんですって……!?」

 宮司の長である義父が、「黙っていろ」と静かに言う。親同然に育ててくれた人とは言えど、そればかりは聞けなかった。

「ならば、今の稀流人神様はどうなさるおつもりですか!」

 村長はそれには答えず、俺を射殺す程にじっと見る。

「女子は、お前と交換だ。貴重な女子を貰う代わりに、強い男子であるお前が行って、あちらで子を成すのだ。こちらの村の娘が年頃になって稀流人神ができるようになれば、女子は村に返すから戻って来れる」

「そんな……!」

 仕方ない、と心のどこかで声が聞こえる。

 大禍の後、どこの村も若い男女は貴重で、いかにして子を増やすか必死に考えているのだ。そうしないと、村が、故郷が、無くなってしまう。

 でも。

「あの子はどうなるのですか……! 身寄りが無いのを良いように利用して、男の相手まで覚えさせて放り出すつもりですか……!」

 沈黙。聞きたくない。言わないでくれ。あの子の優しい横顔と、染み一つ無い白い肌と、かるたを見せる輝くような笑顔が脳裏に煌めいていた。

「……お前が決めよ、啓秀。元の河に帰すか、人買を頼るか、お隠れいただくか」

「……殺すか売るか決めろと仰るか!」

 憤りのまま掴みかかろうとするのを、義父が引き倒し、恐ろしい程強い力で持って、後ろ手に床に縫い付ける。

「すまない、……すっかり情が移ってしまった様だ、若造め、稀流人神に魅入られたか」

「義父様……! あの子はそんな、人を誑かす様な子では無いのです……! それに、知識だけ良いように掠め取って殺してしまえなどと……! 神に仕える者がする事ですか!? 御神体の前で同じ様に仰れますか……!」

 義父は溜息を吐き、村長に、

「人を何人か貸してくれ、少し頭を冷やさせる」

と言ったかと思うと、俺はあっという間に縛られた。

「連れ帰るのも骨が折れよう、家の奥の牢を貸してやる」

 そしてそのまま担がれ、納屋の座敷牢に放り込まれたのである。

 

 売るか、殺すか決めろと大人たちは言った。

 何せ娘の様に白くて華奢な子だ、あの子を売ると言ったら、あっと言う間に陰間にされて、宿場町か何処かで色を売らされるんだろう。運が良ければ、年季明けに通いの客が取り立ててくれるのかも知れない。

 しかし運が悪ければ、あっという間に病をうつされ、痛み苦しんで死ぬだろう。

 まして、男に色を売らせるなんて……

 そう思った所で、合点が行ってしまった。

 俺がそういう風に彼を仕込んで、そうして神様の振りをして、男に抱かれろと言いつけたのだ。

 むしろ、今まで運良く俺にしか抱かれて居ないだけで、いずれ陰間と変わらない生き様を送ったかも知れない。

 年長者達は分かっているんだ。俺が、売るという選択しか出来ないことに。


 結局その後二日経っても、啓秀は来なかった。彼に会う気まずさとはまた違う不安が過ぎる。食糧がかなり少なくなっている。米はあるが、野菜がもうほとんどない。

 俺は最後に残った大根の尻尾の方を食べるか悩んで、辞めた。もしもくたびれた旅人がまた立ち寄ったら、味噌汁でも出してやりたいと思ったのだ。 

 玄米を粥にして飲み、そっと置いて、ぱたんと畳に横になった。動いていないせいか、あまりお腹も減らない。

 母はちゃんとご飯を食べているだろうか。家に帰りたい。帰れない。

 水の流れる音が、家の中に居ても聴こえてくる。

 あの河。

 もしもずっと孤独だったら、一度飛び込んでみても良いと思ったかもしれない。

 このままここで老いるのを待つより、余程母の元に早く帰れる気もする。最も、母は俺に気が付いてくれないだろうけど。

 でも、今は啓秀が居る。どうしようも無く離れ難い。

 啓秀の持たせてくれたカルタをじっと見つめる。離れていても心は一つと彼は言った。

 でも、今はとてつもなく一人だ。毎日来てくれていた分、会えない日があると孤独が募る。

「忙しいのかな……」

 もしかしたら、あの時セックスなんてするべきじゃ無かったかもしれない。肌と肌がぴったりと重なって、体液といっしょに想いまで注がれるみたいな交わりだった。

 啓秀は、興奮の最中でも、俺がなるべく傷つかない様に、時間をかけて大切に扱ってくれた。

 それが、泣きたくなるくらい嬉しかった。


 ゴトン、と閂が抜かれる音がして、俺は飛び起きた。

「啓秀?」

 慌てて居住まいを正すと、ガラリと乱暴に戸が空いて、大きな男が入ってきた。猟師だろうか、厚手のくすんだ色の着物は酷く汚れ、背には弓を背負い、腰には短い刀を差している。

 刃物だ、怖い。

 本能的にか冷や汗が背中を伝うような心地がした。

「稀流人神様のお社で間違いないか!」

 腹から出た様な大きな声はまるで威嚇するみたいで、俺は一瞬凍りついたが、はっと我に返る。

「は、はい!」

 慌てて土間に降りて、赤い紐の鳴子を鳴らす。

 緊張して思わぬ力が入り、ガラガラガラッというけたたましい音がした。啓秀が気が付いてくれるだろうか。

 いや、もうすぐ夜になるし、村から来たらその日のうちに帰れなくなってしまう。そうすると、来ても朝一番か。

 ……朝までこの男と二人きり?

「お粥なら直ぐご用意できるんですが……少し待っていただければお味噌汁くらいは」

「結構、自分の食い扶持は自分で何とかする。それより、一晩宿を借りたい」

 壮年の男は何だか威圧的で、苛立っている様にも見える。身体が大きくて、本能的に恐ろしい。男自身が熊のようだった。

「あの、じゃあ、お風呂に入りませんか?直ぐ支度しますから」

「……お借りしよう」

 俺は逃げるようにして風呂場に引っ込む。居間では猟師がたすきを解いて、弓を下ろしている。

 何だか血なまぐさい。臭いもそうだが、気配が殺気立っている。

 不安を振り切るように、俺は風呂釜に火を入れた。早く温めなくてはと思い、竹筒で息を吹き込む。

 あったまってもらって、早く寝てもらおう。そうしたらきっと前に来た旅人みたいに、何事もなく送り出せる。

 そうして火を見つめながら湯の温度を確かめて、しばらく待つと入れるくらいの温度になった。

「あの、お風呂、良かったら……」

 居間でじっとしていた猟師は、無言でバサバサと服を脱ぐ。洗った方が良いだろうか……そう思う間もなく、全裸の猟師は目の前まで来た。

 傷痕の多い筋肉質な身体。下の方に、大きなものが青筋を浮かべて立ち上がっている。

「ひっ……!」

「先程猪を狩った、捌いたのを持ってきたから、明日味噌で煮て食うといい……」

 言うや否や、引き倒される。

「昂りが治まらぬ。男児とは驚いたが、ここに居るならば男を慰める術はあろう、なにとぞ」

「や、あの、お願いです、ちょっと待ってください……! ……や、ッ!」

 為す術なく、一重の着物が引き裂く様に剥がされた。男の大きなものが腹に擦り付けられ、あろう事か直ぐに重みのある体液が吐き出された。生ぬるい滴りがへその辺りに溜まり、気持ち悪さよりとてつもない恐怖が襲う。

「お願いします、待って……」

 お役目だ、ちゃんとしなくては、せめてもう少し落ち着いて貰って、布団まで行って……行って、そうしたら、どうするんだっけ?

 男の太い指先が、無理に身体を暴こうと食い込む。

「痛……っ!」

 何とか苦痛を訴えようとしたのに、男の目は血走って、ただ荒い呼吸を繰り返す。まるで飢えた野生の獣だ、言葉が届いている気配もない。

 このままここで犯されるのか。

 そういう、お役目なのだ。これは。

 後はもう目を閉じ、なるべく感覚から目を背けて、心を守るしか無いのだ。

 啓秀の事を考える。あの長い指とは似ても似つかないざらついた太い指が肌にくい込んで、獣臭い臭いは現実から夢に逃してはくれない。

 熱い塊が、少しもゆるんでいないそこにすりつけられる。

 怖い…………!

 

 ガンッ

 

「ぐあ、……」

 物凄い音がして目を開ける。直後、男の体がズシッと重くのしかかってきた。

 何とか頭を躱して見上げると、そこには啓秀が息を切らして立っていた。どうやら、男の頭に閂を振り下ろしたらしい。

「けいしゅ……」

 彼はどたんと畳に膝を着いて、ゼェゼェと息をしながら、持っていた太い閂を、ゴトンと投げ出す。

 まさか死んでしまったのかと思い焦ったが、幸い脳震盪を起こしただけのようで、息はちゃんとしている。立ち上がったままのものに申し訳なさを感じつつ、なんとか男の下から這い出ると、恐る恐る声を掛けた。

「啓秀、……どうしたの? あの、この人は今日のお客さんで……」

「……服を着ろ!」

「服って言っても……」

 自分は男の精液でドロドロだ。仕方なく沸いていた風呂でかけ湯をして適当に拭いて、猟師の為に出してあった寝巻きを着た。

 啓秀はよく見ると、沢山怪我をしていた。切り傷や擦り傷から、痛々しく血が滲んでいる。

 いつも着ている白い着物と薄い青の袴も土や血で汚れ、見る影も無かった。

「ねえそれ、手当しないと……」

 啓秀は、切り傷だらけの手を見て、泣くような、苦く笑うような、不思議な表情をした。何だか違和感がある。よく見ると、いつも必ずしていた目の上の化粧が無い。

「もう良いんだ、ここから出るぞ」

「なに……?」

 言うが早いか、啓秀は俺の手を引いて、土間で草履を引っ掛ける。俺も隅に置いてあった靴を履いて、手を引かれるまま、戸を潜った。

 夜だ。月のない、満天の星が夜空を埋め尽くす様な、真っ暗な夜。

 遠くで獣の遠吠えが聞こえる。

 俺はそこで初めて、死を覚悟した。きっと啓秀も一緒だと思った。


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