第5話

 啓秀の説明を聞くに、稀流人神としての俺の仕事は、こうだ。

 馴染みの行商から荷受をし、中身をあらためて合っているか確認をし、その時に次の注文書を預けること。そして最後に支払いをすること。

 それで、荷受が終わって行商が立ち去ったら、土間にある青色の紐を引くこと。これは外の鳴子と繋がっていて、音がしたら啓秀が荷物を取りに来る。その時に次の支払いの金銭を預かる。

 金銭は少し多めに預けられていて、旅人に路銀が足りないと言われたら、少額なら渡しても良いと言われている。

 まず硬貨の価値もよく分からないと文句を言ったら、啓秀が旅人に一度に渡す分を取り分けてくれた。

「何でお金なんか渡すの? ここに来れば貰えるって噂が流れたら、いくらあってもあっという間に無くなっちゃうんじゃない?」

 そう聞くと、啓秀は首を振った。

「神さまの前で嘘をつくとばちがあたる」

「そんな迷信皆信じてる訳無いでしょ? 俺どう見ても人間じゃん」

「まあ建前上はそうなっているんだ……実際問題、相手が本当に路銀が尽きていたとして、そうしたら最悪、野垂れ死ぬのもやぶさかじゃない。それでも渡さなかったら、優希を殺してでも奪う事になりかねない。だから路銀を渡しても良い事にしている」

 そこまで聞いてブルっと身震いしてしまった。

 啓秀は俺の背を慰めるように擦る。温かい大きな手だ。少しだけ安心する。

「後は……宿を求められれば旅人を一晩泊める。行商以外の者が来たらこの赤い方の紐を引く。これは音が違うんだ……ちょっと引いてみてくれ」

 俺は靴を履いて土間に降りると、恐る恐る、赤い布……多分古い着物の端切れが巻かれた太い紐を軽く引いた。ガラガラガラッと、少し低くて耳障りな音がする。

 もうひとつ、行商が来た時の青の紐も引いてみると、こっちは引くとカラカラカラっと高い、細かい音がする。

 多分だが、この間俺が暴れた時は、この鳴子が反応して鳴ったのだ。

 鳴子は恐らく竹か何かを削って作ったもので、その厚さや大きさで音を変えているのだろう。

 ……最も、ここから出して貰えない俺に、それを確かめる術は無いのだが。

「旅人は食事を出して風呂を沸かして、布団を敷いてもてなす。風呂の掃除なんかは俺がやりに来る……それで、求められれば身体に奉仕する」

「うげぇ……」

 露骨に否な顔をしてみせると、啓秀も諦めたように首を振った。

「正直、余程好き者でなければ男とは寝ない。ただ、求められたらそれなりの事をしないと、逆上される事もあるだろうな。一応鳴子で知らせが届けば様子を見には行くが、俺も夜は出られないし、余所者がいる間はここに入れない」

 整理してみると、俺の仕事は村の人と余所から来た人がなるべく顔を合わせないよう間に入ることらしい。

 だんだん流れが分かってきた。

「ねえ、俺わかっちゃったんだけどさ、稀流人神様って要するに村の検疫所でしょ? 病気とか犯罪者が入って来ないようにここで全部食い止めて、ついでに子供が出来ればラッキー……ラッキーってわかんないかな、棚からぼたもちみたいな感じでしょ?」

 啓秀は背中を撫でる手を止めた。顔を覗き込むと、眉根を寄せて真っ青な顔をしている。目の上の赤いラインすら、肌を透かしてくすんだ色に見えるくらいだった。

 どうして分かった、と言いたげではあるが、自分の時代にもそういうものはあり、また病も蔓延した。

 一生懸命頑張って、誰かを危険に晒しながら非常線を張って、それでも力及ばず、沢山の人が亡くなる。いつの時代にも起こりうる事だ。

 実際、全部を聞くまでもなく、そうだろうなと思っていた。結局人間なんてちっぽけな存在で、どんなに医学が発展しても歴史は繰り返すのだ。

「最悪、俺一人死ねば村は守れる。そういう事でしょ?」

 夏なのに、このお社はとても涼しい。漆喰には抗菌作用があると、病気が流行った時にテレビで言っていた。

 多分このお社も、全部の壁が漆喰で塗ってある。この蔵みたいな風体は、少しでも病に抗おうとした名残だろう。

 諦めたような、重苦しい溜め息が聞こえた。

「……すまないが、そういう事だ」

 最初散々下半身を確認されたのも、皮膚の病変や、性病を持っていないか確かめた為なんだろう。

「お客さん、いつ来るのかなあ……」

 俺はぼうっと、高所に設けられた通風口から空を見た。

 外からならば開く扉だ。

 旅人が立ち寄った時に、咄嗟に逃げられるかもしれない。現金も価値はよく分からないが、きっと持って行ける。

 でも、外に出て、それからどうするのだろう。この世界は到底、俺を受け入れてくれそうに無かった。

 啓秀が、畳に手を着いて深く頭を下げた。

「申し訳ない……」

「いいよ、啓秀が呼んだって訳じゃない。俺が勝手に来ちゃったんだ」

 なんであの時、俺は崖下に落ちたのだろう。一緒に居た佐伯は何処に行ってしまったんだろう。

 心の中で、ずっと否定している事がある。

 佐伯は俺の親友だ。

 突き落とす筈が無い。

「……この辺りに伝わっている神隠しを、今調べている」

「……え?」

 啓秀は懐から紙を取り出した。和紙だろうか、ざらざらした薄茶色い紙に、筆で走った様な文字が書いてある。達筆すぎて読めはしないが、多分四人、名前が書いてある。

「詳細が分かるのだけだが……消えたのは三人、そのうち戻って来たのは一人、あとは突然現れたのが一人」

「字が上手すぎて読めないんだけど……」

 長い指がザラついた紙をなぞった。

「消えたままなのは子供が二人、消えて戻ってきたのも子供だ。子供は消えていた間の記憶が無くて、ただ何処かで眠っていたと言っていたらしい」

「消えた二人は……誘拐とか……? 人攫いに遇ったとかそういう可能性は無いの?」

「……ははっ」

 乾いた笑いが零れる。慌てて見上げると、啓秀は眉根を寄せて、泣き笑いの様な顔をしている。

「ここに年が書いてあるだろ?どちらも酷い不作の年だったんだ、……誰も言わんがな、この子らは十中八九、口減らしだ」

 ぞっとして、その文字を辿る。年齢は五歳と三歳、昔は数え年で、実年齢はもう一、二年幼かったと聞いたことがある。……よっぽど小さい、一番可愛い頃の子だろう。

「可哀想だな……」

 今更思いを汲むことも出来ないが、それでも亡くなった子を思うと胸が傷んだ。

「どうしようも無い事はあるものだ……この戻って来た子供、これはもしかしたら迷い子かも知れん。居なくなって三日後、河で泣いてるのが見つかったらしい……でも、散々探した所だったらしいから、確かに妙な話ではある。あと、この何処から現れた女も、やはり河にいたらしい。年頃の娘で、稀流人神として迎えたそうだ」

「俺と同じ?」

 啓秀は戸口の方を……むしろ、戸口の先にある河の方をじっと見た。

「……河は、あの世とこの世、そして常世をつなぐ場所だ。水神の住処であり、穢れを流し、死者の魂を運び、そして生者の生きるための水源でもある」

 静かに語る内容は、ちょっと俺には理解し難い。河はただ上流から水が流れる場所だと思うが、啓秀達からすると信仰の対象なのだろうか。

「えと……俺たちの時代にも灯篭流しとか、そういう行事はあるよ」

 何とか話についていけないかと思ったが、やはり彼の言う事の半分も理解できない。

 内心頭を抱えていると、啓秀は比較的優しい声で言った。

「優希も、河が運んできたのだと思う。……しかし、上流から来たものをまた流しても、元の場所には戻れないだろう、下流に下流にと流されていくだけだ」

 じゃあ、また河に入ってみても現代には戻れないのだろうか。

 何かきっかけやスイッチみたいなものがあるとして、それは何だろう。そもそも来た時も、偶然と言うより何かの力が働いていたと思う。

 それは俺を帰してくれるのだろうか。

「……俺、やっぱり帰れないと思う?」

 薄々気がついてはいる。

 俺はもう来た時に着てきた洋服ではなく、啓秀が持ってきた薄手の紺の着物を着ていた。

 少しづつ、この時代の人になっていくみたいだ。いずれ色褪せた髪を切り落とせば、すっかりこの場所に馴染んでしまうかも知れない。

「……分からない、でも出来ることはしよう」


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