第4話

 子作り、女役、奉仕。

 俺は壁際まで一気に後ずさった。とは言え六畳ほどの部屋なので大して離れられる訳でも無い。

「おっさんと子作りしろっての!? 嫌に決まってんだろ!」

「まあ……そうだろうな」

 むすっとして頷くが、ああそうですかと納得出来る訳もない。

「大体、本来女の人がやるってなんだよ! そんなん可哀想だろ! なんでそんな酷いことすんだよ!」

「罪人の女が罪滅ぼしに長い事勤めている事もあったが……本来は何年かごとの持ち回りだったんだ。夜這いの相手が毎晩違うのと変わらん」

 夜這い。

 もうダメだ全然着いていけない……同じ日本でもたかが二、三百年でこんなに文化が変わるのか。

 俺は頭がクラクラするのを感じながら言った。

「……俺の時代はそういう不特定多数との子作りはしないんだよ」

 啓秀は訝しげに首を傾げる。頭に疑問符が見えた。

 訳わかんねぇのはこっちなんだよ……

「なるほど……それでは村は維持できないだろうな。子を増やすには効率が悪すぎる」

 村の維持。人口の事だろうか。

 他所の村から人を連れて来るんじゃダメなのか?

「子供も普通は結婚してから夫婦で作るし、……いや例外はあるけど」

夫婦めおとの間に子供が出来なくても他の相手なら出来ることもあるだろに。そもそも子供は、誰の子だろうと村全体で育てるものだ」

「はあ……でも稀流人神は未婚の若い子がやるんだ?」

「嫁入りした女は家の事もやらなきゃならんだろう」

「何でそこは譲れないのに他所の男との夜這いはOKなんだよ……」

 多分この話は一生平行線だろう。

 小さなコミュニティを維持するのに、この頃はこういう事が当たり前だったらしい。

 現代と違って医療技術も進んでいない筈だ、閉鎖的な村の中で人口を維持するには、とにかく増やすしか無いんだろう……

 そうか、わかった。

「……そっか、ここは村の外から来た人との子供を作るための場所なのか」

 啓秀は少し驚いた顔をして、頷く。

「その通りだ」

 俺の居た時代でも、兄妹や親子で結婚して子供を作る事は出来ない。倫理的な問題もあるが、何より、産まれてくる子供が遺伝的に弱くなってしまうからと聞いた事がある。いとこ同士なら結婚出来るが、何代も続いたら流石に良くないだろう。

 世界史の先生が淡々と、「ハプスブルク家の青き血が――」と語っていたのを思い出す。

 あれも、親戚同士で何代も結婚した結果、最終的に一族が滅んでしまった話だった筈だ。

 閉鎖的な環境で子供を増やし続けたら、どんどん血が濃くなり遺伝的に弱くなってしまう。その弊害を避けるための装置なのだ、稀流人神は。

「でもそうしたら、こんなまどろっこしい事しなくても単に旅人を村に入れておもてなし? をすれば良くない? 何も女の子を一人でここに置かなくてもさ、普通に危ないし」  

「そうだな……」

 啓秀は目を伏せる。何か嫌な事を思い出したのか、赤い目尻が切なく歪んだ。

「そもそもなんで、今は誰も居ないの?」

 啓秀は立ち上がり、行灯の笠を退けて、多分油の入った皿を持つと、土間に降りた。

 袖から取り出したのは火打石だろうか、土間にあった藁を少し置いて、ガリガリと石を擦った後、カン、カン、と強く打ち付ける。火花が赤く舞うのを見て、気がつけば部屋の中が随分暗かったことに気が付いた。目が慣れていたらしい。

 しばらく繰り返すと、藁から微かに煙が上がる。

 啓秀は頬が土間にギリギリ当たらないくらい顔を近づけて、慎重に息を吹きかけた。チリチリと藁の先が赤く染まり、やがて小さな火が着いた。それを藁ごと慎重に持ち上げて、行灯の油から出た糸に移す。

「……油はここにある。竈門にも使うから、火は絶やさぬようにしてくれ」

 時代劇みたいだ。まるで映画を見てるみたい。

 やっぱり、俺の居場所はここじゃないのだ。

 行灯の笠を戻せば、部屋はふわりと薄明るくなった。和紙を張った中の、小さな明かりが微かに揺らめいている。オレンジ色の滲んだ様な、柔らかな明るさ。

 なんとなく、母と行った灯篭流しを思い出して切なくなった。灯篭は河から海に向かって、弔いを乗せてゆく。

 死んだ人は帰って来ない。でも皆、逝ってしまった人への祈りを込めて、明かりを灯すのだ。

 啓秀はくるりと振り返る。

「……死んだんだ、病で」

「なに……?」

 弔いの想像と、現実の言葉が交差する。彼は恐ろしく平坦な表情で、その凄惨な内情を淡々と語った。

虎狼痢コレラで、村の半分が死んだ。俺の母も父も死んでしまった。もう随分前の話だ。一気に流行って、一気に終わった。俺も罹ったけれど、たまたま死ななかった」

「なんだって……?」

 コレラ、俺だって名前だけなら知っている。

 世界中で多くの死者を出した伝染病だ。何せ薬もワクチンも無いような時代である。小さな集落で広まったらひとたまりもないだろう。

 悲惨な話は淡々と続く。

「あんまり一気に子供が死んだものだから、村にはちょうど良い年頃の未婚の女が居ない。でも稀流人神は居てもらわなきゃならん」

「どうして? 俺じゃ赤ちゃん出来ないのに?」

 村の半分が死んだ、それはもう、壊滅的なんじゃないか?

 でもそれを自分から口に出すのはあまりにも気が引ける。おろおろしていると、啓秀がそっと口を開いて、少し目を逸らして、また押し黙った。

 何か言おうとして、止めたのが分かる。きっと、俺に聞かせたら都合が悪い話だろう。

 教えてはくれないんだろうか。

 啓秀の役目は、俺を上手く使って村を守る事だろう。だったら、俺に教えない方が都合が良いのか……または言えないほどに酷い理由か。

「……もういい、もてなし方を話す。実践は心の準備が出来てからでいい。今日は口で言うから、よく聞いてくれ」

 聞きたい事は山ほどあるのに、何も口には出せなかった。

 この男の後ろにある村とやらは、俺には想像もつかない様な、陰惨な過去を背負っているのだろう。


 そして、その夜は淡々とした口調で啓秀からおもてなしの事を説明された。

 それはもう、赤面どころか逐一ギャーギャー悲鳴を上げる様な内容で、結局聞き終わった後も、俺は眠れずにグルグルする頭を持て余していた。

 


 少し色の薄い瞳が、寂しげに俺の顔を見詰めていた。

 稀流人神……優希にとって、この現状はまるで夢物語なのだろうし、知らない事ばかりが溢れているのはさぞかし不安だろう。

 しかし、これは、口に出すにはあまりに惨たらしい思い出だ。

 幼い頃、この辺り一帯、流行病で大勢の人が死んだ。

 嘔吐、吐血、下痢、下血。強烈な腹痛と熱、死はどろりと重たくすえた臭いで、しかし衰弱していく身体は最早それにも嫌悪感を抱けない。

 両親が痩せて落ち窪んだ目で、俺に寄り添い横になり、酷く優しい目で俺を見ている。繋いだ手は細くて、まるで枯れ枝の様。 

 ああ、父も母も俺も死ぬのだ、と思っていた。

 死にたくない。死にたくない。死にたくない……もっと生きたい。

 もっと生きて、大人になって、そうして……

 そんな祈りが通じたのか、俺だけは、何とか回復して生き延びた。

 いや、一人生き延びてしまったのだ。

『おとうちゃん、おかあちゃん、いやだよう、おいてかないで、……』 

 冷たくなった両親に縋って身体が枯れる程に泣き、いつの間にか意識も無くなってしまったらしい。

 気が付けば、神社の長の所で眠っていた。そこでも父と母が居ないと言っておいおいと泣いた。

 しかし、それでも身体は生きようとしていた。

 久しく何も口にしていなかった所に出された重湯が、体が痺れる程に美味かったのを鮮明に覚えている。

 そうして卑しくも、子どもが皆死んだ中、俺だけは生き残ったのだ。

 目の上のべには生き残った者の証。村のそこかしこに植えられた紅花は、生活の糧であると共に、死んで行った者への弔い。

 目まぐるしく変わる景色に着いていくのに必死で、その頃の記憶は所々抜けてしまっている。

 ただ、大人達が大きな大きな穴を掘って、母も父も大人も子供も、皆まとめてそこに入れて。

 そうして火をつけた時の、そのなんとも言えないおぞましい風景と臭いは、今でも忘れる事ができない。

 何日も何日も火は燃え続けた。日々死人が出続けたからだ。一家全員死んだ家も燃やした。

 とうとう生き残りは半分まで減った。

  

 そうして神社に引き取られた俺は、この「お役目」を預かる宮司となったのである。一度かかった流行病は、殆どの場合二度はかからない。

 俺たちは病を憎んだ。

 そうして形ばかりだった稀流人神の社は、より堅牢な、この村の砦となったのだ。

 一人の人間の尊厳を奪い、神と呼ぶ事と引き換えに。


 しかし。

 ようやく眠った優希の髪を、さらりと撫でる。

 俺にはもはや母も父も居ないが、この子には家に待つ母が居るのだ。

 俺には役目がある。だが、あのやるせなさ、寂しさ、悲しさを、忘れた訳では無い。

「なんとか……家に帰してやりたい」

 白い頬につうっと涙が流れていった。

 恐ろしい夢を見ているのだろうか。

 さぞ心細かろう、あの幼い頃の俺のように。

 


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