第2話 (1)

 ここはどこだろう。

 何もしないのも不安になり、小屋の中を歩き回ってみる。

 土間に降りて扉を引いてみたが、やはり閂がかけられておりビクともしなかった。土間の隅には竹で編まれた籠や素焼きの小さな壺など、生活用品らしきものが寄せてある。

 そして壁から何故か、綱が二本伸びていた。近付いて見てみると、青色と赤色。年季が入ってくすんだ色のそれは、古い布を依って出来ているらしい。

 辺りのものを勝手にさわるのも気が引けて、仕方無く畳に座っていると、ガタッと閂が抜かれた音がした。

 慌てて立ち上がる。時間にして二時間くらいだったと思うが、時計も無いので分からない。

「お待たせ致しました」

「あ……お、おかえりなさい?」

 戻って来た男は、手に大きな籠を抱えている。土間から草履を脱いで上がると、木綿をかけた籠から包みを取り出す。

 竹の皮の包みを開くと、玄米のおにぎりが三つに、沢庵が添えてある。そこで初めて空腹に気がついた。

 目の上に赤色を入れた不思議な男は、濃淡の薄い、低い声で言った。

「お召し上がりください」

「……食べていいの?」

「貴方様へのお供えです」

 ビクッと手が震えた。

 やっぱり自分は死んだのか? でも感覚もあるし、お腹も空くのだ。

 恐る恐る手を付ける。

「ん、美味しい、俺玄米って初めて食べたかも……」

「初めて……?」

 おにぎり三つで足りるかなと思ったが、初めて食べる玄米はプチッと弾けるような食感と、薄皮に独特の歯ごたえがあって、腹持ちは良さそうだ。

 漬物の塩辛さも丁度良くて、あっという間に食べてしまった。

 昨日のお昼はガッツリとしたハンバーガーを食べていたのに、あまりにあっさりしたご飯である。でも、不思議と物足りなくは無い。

「……普段は何をお召しになっていたのですか?」

「ん、ふつーの白いご飯だよ?」

「左様でございますか……」

 男は口元に手を当て、なにかじっと考え込んでいる。声をかけようとして、名前すら知らない事に気が付いた。

「ねぇ、お兄さん名前は?」

 男ははっとして、畳に手を着いて丁寧に頭を下げた。

「は、申し遅れました、私は啓秀と申します。村の神社で宮司を務めております」

 ああ、そうか。神社の人だから白い着物に袴なんだ。昨日行った神社の社務所にも、同じ様な白い着物のおじさんが居た気がする。

「俺は鳥海優希とりうみゆうき。ねぇ、啓秀さん」

「私の事は啓秀とお呼びください」

「じゃあ啓秀、……俺はやっぱり死んじゃったのかな?」

 啓秀は眉毛を寄せて、どう答えていいか分からないという顔をする。

 態度からして、死後の世界という訳では無さそうだ。

 でも、河に落ちたのに濡れていない服、傷の無い身体。どう考えても俺は不自然な存在で、何よりこの小さな小屋と俺は、明らかに時代にギャップがある様に感じた。


 鳥海優希、それが稀流人神様になる方の名前だった。

 苗字があると言うことは、それなりの出自の証であるし、白米しか口にした事が無いなんていうのはそれこそ力のある武家か、豪農の子息かという所である。

 しかし育ちの良さは感じないし、何より見た目が異質すぎる。

 肩に着くほど伸ばされた金の髪は光に透けて輝き、耳は穴を開けて、無数の銀の飾りで彩られている。

 野良仕事などしたことが無いであろう白い肌と、女子の様に細く華奢な手足。

 何より、生まれてこの方見たこともない奇妙な着物を着ている。

 食事をして少し落ち着いたのも束の間、随分幼さの残る顔は、また不安げに俯いた。

 気の毒に思ったが、ここにお祀りするとなると色々と覚えて貰うこともある。

 なにより今日は身体を清めて検め、身支度を整えなければならない。

「貴方様が何処からいらしたのか、私にも分かりません。……湯を用意します。まずはお身体を清めないと」

 とにかく、自分は自分の役目を全うするより他無い。

 何か物言いたげな稀流人神様を横目に、俺は土間に降りて木桶を手に取る。水を汲みに行かねば。

「あの、手伝おうか?」

 おたおたと立とうとするのを手で制する。

「いいえ、貴方様はこのお社からは一歩も出てはなりませぬ」

 逃げる気も無いのか、不安げに畳に座り込んだのを確認して、俺は社を出た。

 目の前の土手を降り、不安定な石を踏んで水を汲み手早く担いで戻る。

 風呂を整えるのは明日で良いだろう。

 とにかく今日中にお役目を終えねばならない。

「何するの?」

「少々お待ちを」

 早々に戻り、畳を横切って鉄鍋に水を空ける。残りを水瓶に移すと、置いてあった火打ち石で手早く釜に火を入れた。火種と薪が湿気ていなくて良かった。

湯が湧くまで しばらくかかる。

 少し離れたところで、彼……いや、稀流人神様はその一連の仕草を興味深そうに見ていた。

 ようやっとグツグツとしてきたが、沸いたばかりの湯では流石に熱すぎる。柄杓ひしゃくで差し水をして桶に湯を空け、持ってきた真新しい木綿のさらしを浸す。

 湯の加減は平気そうだ。

 桶を抱えて稀流人神様の元に戻ると、そわそわと顔を上げ、首を傾げた。

「失礼致します」

 とりあえず、着物に手を掛けてみる。

 さて、これはどうやって脱がすのが正解なんだろう?

「ちょ、え!?ななな何すんのいきなり!?」

 帯の無い着物を捲り上げると、ばっと下に引き下ろされた。まだ説明が必要か。

「まずは身体をお清めします」

「自分でやるから!」

 顔を真っ赤にしてそう言われても、しきたりなのだから、聞く訳にはいかない。

 社に入って、最初の手入れはがするのだ。

「では、自分で脱いでください、早く」

 言外の圧に飲まれたのか、稀流人神様は半ば涙目で着物を脱いでいった。

 複雑な縫い方の着物をついまじまじと見てしまう。間もなく、白い薄い肌が顕になった。

 ほんの少し、見入ってしまう。

 自分の知っている男の身体では無い。やはり背丈の割に娘じみた、中性的な身体だ。

「……下もです」

 おず、と細い袴に手をかけて、するすると脱ぐ。足袋も一緒に脱いで、後は褌に当たるであろう衣が残った。身体に張り付く程薄い袴の様だ。

「あんまりジロジロ見ないでよっ……男同士でも脱ぎにくいって…………」

「わかりました、ではもう良いです」

 一瞬ほっとしたその隙を突いて、薄衣を一気に足から引き抜いた。

「ちょ、見んなって、やだって!」

「稀流人神様、お静かに……まずは手を退けてそこに横になって」

「ま、まれひとがみって何……!? ちょ、ヤダってば!」

 全て脱がせて、敷いてあった木綿に横になるように促すと、最早泣きそうな目でこちらを見てきた。

 可哀想だが仕方ない。

 言外の圧に負けたのか、仰向けになって横たわると、無防備な裸体を守るように手で股間を隠している。

 何か一瞬変な思考が過ぎったが、これは自分のお役目だと胸に言い聞かせた。

 湯に浸した木綿を絞り、まずは爪先を丁寧に拭きあげる。怖いのかくすぐったいのか、時折ひくんと跳ねる身体をなだめながら、くるぶし、膝へと拭き清め、一度また湯で絞って、腿に手を入れて拭く。

 変色している皮膚も、疱瘡も無い。

 尻を吹くと可哀想な程に震え、更に股間の手を退けようとすると身を捩って嫌がった。

「やだ、ちょっとまって!あとで、あとでやるから……!」

「そうおっしゃいましても待てないのです、ご容赦を」

 そうして無理に手を退ける。

 見れば、そこには薄く生えた下生えと、少し鎌首をもたげた男根が、小さく震えていた。

「……なんでそんなジロジロ見るんだよ! しょうがないだろ! あんたがベタベタ触るから!」

 いよいよ火が出そうな程顔を赤くして、稀流人神様はボロりと涙を零した。

 俺はと言えば、下生えが気になって仕方ない。

「下は……黒い毛なんですね」

「う、うるさいよ!ほっとけ!」

 そうだ、とにかく身を清めねば。尻の穴から蟻の門渡り、小さな袋も、丁寧に拭きなが、目を凝らして確認する。

 病の痕跡を見落としてはならない。

 何か一つでも怪しいものがあれば、可哀想だがこの場で|。

「……ふっ、……ぅ……」

 見れば男根は幼いながらにピンと立って、健気に雫を零していた。これではいくら清めても汚れてしまうだろう。

 ならば、一度極めて落ち着いて貰うしかあるまい。

 取り敢えず、腹から上半身、首、顔、肩から指先までを丹念に磨きながら目を通す。

 その間、稀流人神様は目を潤ませ顔を赤くして、羞恥に震えていた。

 ……気の毒に。これからもっと気恥ずかしい、大変な事を覚えなければならないのだ。

 しかし、今日は身体をしっかり確認して、皮膚病を防ぐ為に清めるのが第一である。

 最後に残った、つゆを僅かに零す竿をなるべく痛みの無いように握り込む。

「……や、やだ! 触んな変態!」

「どうかお静かに。清めなければ終われないのです」

 何とか逃れようとするのを、肩と足に体重をかけて組み敷いてしまう。軽い身体だ、造作もない。

 最早観念したのかそれとも怖くなったのか、稀流人神様は手で顔を隠して震えている。

「失礼します……」


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