第二話 少年は甦る

 心臓の音が聞こえる。

 遅れて、緩やかな呼吸音が続いた。


「……やっぱり」


 雛罌粟クオンは、ため息をついた。拳銃を下ろし、眼前の床に倒れ伏す緋縅真秀の姿をじっと見据える。

 真秀の頭部から流れ出た血は、すでに逆流を始めていた。床に広がっていた鮮烈な赤は、徐々にその範囲を縮小させていく。それは髪の毛を伝い、傷口へと流れ込んで――やがて、すべてが夢であったかのように、緋縅真秀は元の姿を取り戻した。傷口は消え去り、衣服に染み込んでいた血液すら、綺麗さっぱり抜かれている。

 クオンは再度ため息をついて、もう一度、真秀の頭に向けて銃口を突き出した。だが、引き金を引くことはなく、そのままの状態で数秒静止し、やがて腕の脱力とともに銃を下ろした。


「ほんと……、同情するわ。あなたには」


 その言葉とは裏腹に、呆れたような目を真秀に向けて。クオンは、穏やかな寝息を立てる彼の横を通り過ぎ、部屋を出た。廊下を渡り、玄関のドアを開けて、外へ出る。夏の日差しは一際眩しいが、彼女の被るとんがり帽子のつばは広く、そこまでの暑さは感じない。

 クオンは拳銃を掲げ、つぶやいた。


「――変異メタリィス魔杖ワンド


 その言葉に呼応するように、拳銃は光を放ち――一瞬ののちに、その姿を変化させた。今は、十センチほどの長さの木の棒になっている。今度はそれを掲げ、また別の言葉を紡いだ。


座標指定クォードセプタ――転移ポートレス


 その言葉に反応して、彼女の足元に、幾何学模様を組み合わせた円形の図が現れた。それは光を放ち、クオンの姿を呑み込んで――やがて彼女を取り込んだまま収束し、その場から消え去った。


   ◆


 果たして、あれは夢だったのだろうか――通学路を駆けながら、考える。

 間違いなく、僕は死んだ。頭を撃ち抜かれて。その実感はある。別に、黄泉路を歩いたというわけじゃないけれど、死ぬというのはこういうことなんだと、ある種の悟りがあった。

 けれど、僕は今生きている。生きて、こうしていつも通り、学校へ向かっている。これもまた、実感がある。夢心地ではない。地に足をつけて、確かに心臓が鼓動を鳴らしているのがわかる。

 いつも通りの、朝の光景。夏の澄んだ、濃い青を映す空の下、じりじりと日に焼かれながら、コンクリートの上を駆ける。こめかみににじんだ汗も、教科書のほとんど入っていないかばんの重さも、全部本物だ。

 ならば――と。話は最初に戻る。

 果たして――あれは夢だったのだろうか?


雛罌粟ひなげしクオン……」


 彼女の名前を口にする。それで何がどうなるわけでもないけど、あの不思議な格好をした彼女の姿が、頭に浮かんで離れなかった。記憶の中で、栗色の瞳と目が合って。突きつけられた銃口が、閃光を放つ。


「…………」


 ……やっぱり、あれが夢だとは思えない。全てが突拍子もない展開だったけど、僕があれに対して感じ取ったものは、間違いなく現実リアルだった。

 撃ち抜かれたはずの、けれど傷跡なんて微塵もないひたいに手を当てて、あの時の衝撃を思い出す。強制的に意識が途切れる感覚。思考を置き去りにした、『死』という直感。今でも、怖気がする。


「僕は――一度いちど死んだ」


 そして、生き返った。


『――あなたは、何者なの?』


 雛罌粟クオンの言葉が、脳裏に木霊する。


「そんなの……、僕が知りたいよ」


 投げやり気味に、そう呟いて。

 思考を振り払うように、強く地面を蹴って――僕は、ひたすらに走った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青春と幻想 うらとも @uratomo_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ