第四章 3話
いつもより早い時間に登校すると、小豆が数人の女子生徒と歩いているところを目撃した。
その中に琥珀はいないが、仲良さげに笑顔で歩いていく小豆の表情からは敵対しているようには思えなかった。一緒に歩いている女子生徒からも小豆のことを悪く思っている空気感は流れていない。傍からすると『仲のいい女子グループ』にしか見えない。
それに安心して心が落ち着いたのか、絵馬は久しぶりに頭が軽いまま授業を受けることができた。
一日の授業を終えて校舎を出ると、絵馬は一人だけやや背丈の高い一年生グループを見つけた。楽しそうに談笑する琥珀の姿は、小豆と同様に友人同士の距離感に思える。
あらかじめ設定されたグループかのように琥珀はグループの雰囲気に遜色なく振る舞っている。
そんな琥珀に表面上でも変化があった。
目元にかかりそうだった前髪を留めるシルバーのヘアピン。
それには見覚えがある。
小豆が見つめていた髪留めだ。
「あ、先輩」
そんな中、琥珀が絵馬に気が付く。
琥珀だけが足を止めて、他の三人は絵馬のことを気にかけながらも談笑を装っていた。
「よっ、どうした?」
「え、どうしたって、……あれ、どうして声かけたんですかね?」
「いや知らねえから。オレがお前の思考を知ってたら怖いだろ」
「あ、確かに!」
琥珀は後ろを振り返り、「ごめん、先に帰ってていいよ」と三人に告げた。三人からは驚いた視線の他に妙な期待と温かい好奇心が伝わってくる。それにも気が付かずに琥珀は絵馬に向き直していた。
「すみません、いきなり」
なぜか謝罪をされる。
「……仲、良いみたいだな」
「え、あ、はい。話しかけてくれてお昼も一緒に食べました」
「へえ良かったな。良い子たちそうで」
「はい、そう思います」
頬を緩めて綺麗にはにかむ。
「で、どうして先に行かせたんだ?」
「へ、……あ、そうだ。先輩には履歴書を書くのを手伝ってもらいたくてっ」
嘘だと丸わかりだ。本当に『そうだ』と言うらしい。小豆の言っていた通りだ。
「本当は?」
観念したやつに、口先が尖る。
「……これまでに何人の男子と付き合ったのかって話になったので、その、逃げたくて……」
「あーね、そういう」
「別に嫌とかではないんですけど。でも私がいると冷めちゃうかなって」
おずおずと目線を泳がせている。琥珀が異性との関係に疎いことは、容姿からは想像もつかない。付き合ったことがないなら告白されたことは? という話題に発展することもあるだろう。
それを察したうえで琥珀は逃げたいようだ。
「でも大丈夫だと思うぞ」
「えええ、無責任……。だってドーナツの中に紅しょうががあったら冷めるじゃないですか」
「何言ってんだ」
この場合は琥珀が紅しょうがになるのだろうか。よく分からない。
「でも、本当に仲良くしたいなら、それも正直に言った方がいいぞ」
「え、どうしてですか?」
「付き合ったことないなんてイケてないから友達になるのやめよ、って思う奴はいないだろうし、いたとしてもそれまでだろ。大半の子は、はじめに全部を曝け出しとけば、今後はそんなことも気にせず笑ってくれる」
「……別に気にしてはないですけど」
「見栄を張るところじゃない。ていうかさ、」
「はい?」
話題を変えようとしたが純情な琥珀の顔に言う気が失せた。
小豆の気持ちを尊重するなら、ここで絵馬が小豆の名前を出すことはお門違いだ。
「いや、やっぱりなんでもない」
「そうですか?」
「ほら、戻って正直に言ってこいよ。私は男子とろくに話したことなくて、バレーはできるけど数学ができない文武片道の世間知らず女だけどよろしくお願いしますって」
「むかつきますけど行ってきます。さよなら!」
琥珀はぷんすかと怒りながらも小走りで三人に混ざっていった。絵馬との関係を勘ぐられているのか風が発生するほど手と首を横に振っている。
それはどこにでもある普通の女子高生の景色だった。
「……皮肉なもんだな」
小豆と琥珀。なし崩しに距離が離れた二人の関係がどうにも苦しい。小豆はともかく、琥珀はどうして小豆と話さないのだろうか。長い時間を過ごしてきた二人の終焉としてはあっさりと進んでいる。
「……」
なぜだろうか。
何かを見落としている。
そんな気がしてならない。
それほど同級生と会話する琥珀の表情は妙に自然すぎた。
————私なんて、いなくなればいいのに
ふと、小豆の言葉がよぎった。
————琥珀に、私はいらない
小豆が口にした逃避を催す言葉。
「……いや、そんなわけ」
嫌な汗が体表に滲んでくる。
体内で生成された熱が深部にまで到達して精神に熱い衝動を急き立ててくる。
首元から体にかけて熱が広がっていく。
————それでいいと思いますよ。琥珀が考えたことなら
「……っ」
ふらつく体が琥珀のもとへ向かおうと足を踏み込んだ。
だが、二歩目はついてこない。
地面から剥がしたはずの足を下ろすとまた縫い付けられる。全身の筋肉が強張って、神経が脳からの情報を末梢部に伝達しない。
確信はない。ないが、動かなければいけないと本能が言ってくる。ただ理性が追いついた。
これが小豆の望んだ世界なのだと脳が呼び止めたのだ。
「ちっ、なんでだよ……」
絵馬は反射的に校舎へ走り出していた。
まだいるだろうか。いや、いてくれないと困る。絵馬の仮説が正しければ、絵馬が走っている世界は、過去の思い出を消し去った非情で真新しい世界になる。
「あああ! だっるい!」
二人の顔を浮かべて心から叫んだ。
肩の力で酸素を取り込み、絵馬は階段を一つ一つ上がっていく。校舎内はまだそれなりに生徒が残っていた。その生徒たちを避けながら絵馬は上の階へ向かっていく。
「あれ、美空さん。どうしたんですか」
一年一組には小豆の姿があった。
教室には誰もいない。
絵馬はゆっくりと中へ入り、呼吸を整えると単刀直入に言った。
「なあ、白波は衛藤を忘れているのか」
「……」
絵馬の言葉を小豆は静かに噛み締める。
「変なことを言っているのは分かってる」
「……」
「でも、教えてくれ」
喜怒哀楽もなく、小豆は口元で微笑むだけだった。
「確かに変なことですね」
「昔から個性的とはよく言われてた」
「良いことだと思いますよ。個性は大事です」
いつも通りの明るい声が薄暗い教室を埋めていく。小豆は絵馬を嘲笑して嬉しそうな顔を作る。
「美空さんはやっぱりおかしいです」
「……そう、だな。忘れてくれ」
「そんなこと、思っても普通は聞いてこないですよ」
「……」
「琥珀と目が合わなかったんです」
逃げ道はないと踏んだのか、それとも絵馬に問われたら最初から応えるつもりだったのか……小豆の声は穏やかだった。
「そっ、か」
「それが四日も続いたら、嫌でもそう思う」
四日。
つまり小豆と琥珀が衝突した日からだ。
二人は常に一緒だった。絵馬といるときも常に琥珀は小豆を、小豆は琥珀のことを考えて、その話が中心となっていた。
それは中学の頃から積み重ねてきた二人だからこその距離感なのだと絵馬は思っている。そんな二人に四日という日数はあまりにも長い。
「私、夢を見ているんですよ」
「夢?」
「起きてからの出来事が夢になって見えるんです」
絵馬は黙って耳を傾ける。
「夢の中で琥珀は私を見えていないんです。私が話しかけても琥珀は振り返らないし、反応もしていなかった」
軽口を挟む気になれなかった。語っている小豆の表情は真摯なものだったのだ。
「本当に夢の出来事が学校でもそうなって。見ていた夢が本当になったんです」
「……」
「すごくないですか? 予知夢ってやつですかね?」
嬉しそうに笑っている。
「でも、これでいいんですよ。だって私が望んだことなんですから」
「衛藤は、それで良いのか?」
小豆は歩き出して絵馬の近くまで来る。
「良いに決まってるじゃないですか」
そしてけろっとした口調で言い切った。
「……そっか」
「はい、だから気にしないで大丈夫ですよ。美空さんには感謝しかないですから」
小豆が教室からいなくなり、絵馬は一人で一年生の教室に残される。
言葉が頭の中で反響して、小豆の背中を見届けることもできなかった。
琥珀も幸せに過ごしていて、小豆も琥珀のことを考えなくて済む。
琥珀が小豆のことを忘れる。
これが小豆の考えて導き出した答え。それなのに、二人が幸せになるはずの世界が絵馬には良い世界に思えなかった。
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