第四章 2話

 


「どこか行きたいところはありますか?」


 駅に着くと小豆が意見を求めてくる。


 前回ここに来たときは、本屋に足を運んだだけだった。ただ今回の目的はバイトの下見ではない。純粋に楽しむことを目的に来ている。

 その証拠に案内板を見る小豆の頬が嬉々として緩んでいた。


「ないなら、ここに行ってもいいですか?」

 小豆が指をさしていたのはレディスの店。

 どこへ行くことになろうが絵馬が考えていた反応は一つだ。

「いいんじゃね。行こうぜ」

「あれ、意外と気乗りですね。そんなに私のファッションショーが見たいんですか?」

「ん、ああ、うん。めちゃくちゃ見たい」

「なんですかその棒読み。男子ってこういうのを喜ぶんじゃないんですか?」

「それは男子を低く見過ぎ。でも水着なら喜ぶと思うぞ。あっ、あんなところに下着の店があるけど寄ってみ————」

 小豆は絵馬を置いてすでに歩き出していた。


「私、美空さんの服を私好みにコーディネートしてみたいです」

「別にしなくていいよ。ちょっと怖いし」

「何か言いましたか?」

「あずきん、センス悪そう」

「失礼な言葉が強化されて返ってきた……」


 大分駅の西側出口に向かうのではなく手前にある分岐部を左に曲がり、本格的に商業施設の入り口に足を踏み込んでいく。

 ここからは駅の雰囲気は一つもなくなり、どこからどう見てもファッションビルという名がふさわしい構造になってきた。


「これめっちゃ良くないですか。チェックのスカートと合わせたりして」

 ラフなアザラシが貼られた半袖の白シャツ。単体では可愛いかもしれないが、チェック柄のスカートとは絶対に合わないと言い切れる。

 おかげで小豆のセンスのなさを露見してしまう一着となってしまった。


「あー、うん。……いいんじゃね?」

「え、なんですか。その『もうこいつ終わりだな』みたいな顔」

「そういえば、アザラシって水中で二時間も息を止められるらしいな。哺乳類のくせに水中に潜ってばかりとか、こういうのが来世で人間になって女子更衣室とかに潜り込むんだろうな」

「うっわぁ。この人、終わりだなぁ」

「……終わりなのはお前のセンスだ」

「へ、センス?」

「自覚がないなら大丈夫」

「ええ、だからなんですかぁ」


 拗ねたようにタイツに包まれた脚の振り出しが早くなっていく。その脚は、またすぐに一つ隣のマネキンの前で動きを止めた。


 店頭に置かれた店内の雰囲気を纏ったマネキン。この店ではどういった服を扱っているのかが一目で分かる看板のような役割をしている。この系統の服があるなら、と入っていく人もいるだろう。小豆はその戦略にまんまと引っかかっていた。

「スタイル良いなぁ……」

「マネキンって買えるのか?」

「いやいやマネキンなんて買いませんから。スタイルが良くないと着ることができない服ってことです。だからこは……、私には無理そうです」

 言葉を改ざんすると、また小豆は違うマネキンに惹き込まれている。


 可愛らしいロゴスウェットに綺麗なサテンスカート。カジュアルだが大人っぽさを含んだ春コーデだ。スタイルが良い人が履くというよりは大人が履かないと背伸びしているように見えそうだ。高校に入学したばかりの小豆なら尚更のことに思える。

「でもこのスカートは可愛いですよね」

「君の方が可愛いよって言ってやろうか?」

「うん、絶対に今じゃないですね」

 小豆は呆れながら店内に入っていく。


 商品を見ては目移りし、違う商品を見ては目移りを繰り返している。絵馬はそれを後ろから金魚の糞のようについていくしかなかった。

 

 小豆も絵馬のことは気に留めていないようで自分の好きなように店内を回っていく。これなら絵馬と一緒に行く意味はあったのだろうか。

 下着の店で待っていた方がよっぽど充実した放課後になる。


「これ、……」


 足を止めた小豆の意識はヘアピンに注がれている。シルバーに輝く細長い髪留め。

「買うのか?」

「いえ、何もないですよ」


 小豆はまた重心を前方に進める。

「ねえ美空さん」

「うん?」

「私のこと、捨てないでね」

 真摯に向けられた声音は冗談には思えなかった。店員の美脚を見ていた絵馬は小豆の幼い顔つきに視線を移す。


「捨てるって、そもそもオレの物だっけ?」

「それもそうですね」

「それに衛藤は何だかんだで友達ができるタイプって思ってる」

「ええ、そうですかねぇ」

 砕けたように小豆は微笑んでいた。

 

 



 戦利品のない買い物を終えると、散歩がてら大分駅の屋上庭園に足を伸ばした。旧大分駅舎にもあった鉄道神社や、ぶんぶん堂と呼ばれる小ぶりな五重塔があり、庭園の要素は少ないように思えるが屋上庭園だ。大分市が言うなら、そういうことなのだろう。


 ただここからは大分市街の景色と別府市方面にある鶴見岳の二つを同時に楽しむことができる。赤に染まった太陽は鶴見岳の方向に傾いている。

「ここ、すごく綺麗じゃないですか?」

 景色の黄昏にのめり込むように体は手すりに寄りかかっている。


 小豆が帰る前に、「ここに行きたいです」と言ってきたのだ。

「私、こういうロマンチックなのが好きなんですよ」

「今まで景色が良いとか分からなかったけど、ちょっと分かるかも」

「ですよね」

 絵馬も手すりに体重を預け、見惚れるように目を休めた。

 うまく言葉にはできないが、見ていると吸い込まれる魅力がある。


「あっちの坂をぐわーっと行った所にある温泉からは、すっごくいい景色が見られるんですよ。キラキラした別府湾が一望できるんです!」

「そりゃ良いかもな」

「すっごい綺麗ですよ?」

 その景色を脳に描いて、小豆は笑顔で話していた。その笑顔は枯れることなく、口元に手を当ててまた綺麗に咲く。


「それより夜ご飯ゴチです」

「良いよ。前に奢ってもらったお返し」

「でもお得感がありますよね」

「オレは損した気分だけどな」


 適当にあしらいながら景色を眺め続ける。育った街に光が宿る瞬間は、少しだけ寂しい気もした。


「今度、一緒に行きませんか?」

「行くってどこに?」

「さっき言っていた別府湾が見えるところです。私の一番好きな所なんですよ」

「えー、でも山なんだろ?」

「ちょっと坂があるだけですよ。それぐらい頑張りましょうよぉー」

「行くのはいいけど、また今度なぁ。今からは流石に体がもたねえ」

「ほんとですか。やった、約束ですね」

 その場で跳ねるように喜んでいる。

「絶対に美空さんも綺麗って思うので期待しておいてくださいね?」


 ふわりと三つ編みが揺れて、小豆は切ない笑みを作り出していた。


 今日の小豆は心なしかテンションが高い。


 別人と話していると錯覚がするほどに、今日の小豆は方向性が掴めなくなっていた。

 

 もちろん小豆が元気なことに越したことはない。それでも絵馬の頭を悩ませたのは琥珀のことがよぎったからだ。今日の小豆の行動は何かを忘れようとする空元気に見える。

 

 それを確信する確かなものを絵馬は小豆と別れ際に感じた。


 この日、小豆は琥珀の名前を出さなかった。

 

 それでも小豆は笑顔だった。


 きっと腹を括って決断したのだろう。


 琥珀のことは諦めるのと。

 

 その決意がひしひしと伝わってくる。

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