第四章 1話


 土日を終えた月曜日。

 その日は、しとしとと梅雨を先取りした春の雨が朝から降っている。各人各様の色とりどりの傘を片手に持ちながら、生徒たちは学校へ向かっていた。


「美空、おはよー」

 校門を過ぎると、蒼に声をかけられる。

「おー、おはよ」

「早いんだね。今日は遅刻しなかったんだ?」

「今日は、って、いつも遅刻しているわけじゃないけどな」

「雨の日は自転車の摩擦が足りないから遅れる、とか意味の分からないこと去年に言ってなかった?」

「そっ、だから歩いてんだよ」

 過去の自分のセンスを内心で絶賛する。

 世界で一番おもしろいと思う。最高だ。


「ふーん。まあなんでもいいけど。それよりどうだったの?」

 傘の柄を持ち直す蒼が、絵馬の顔をまじまじと見つめてくる。

「どうだったって?」

「一年生のこと。どうにかはしたんでしょ?」

「別に、特に何もない」

「え、そうなの?」

「何かはしてあげたかったけど」


 あれから小豆が学校でどのように過ごしたのか、周囲からどのように思われていたのか、そんな情報は学年の違う絵馬には入ってこなかった。でも少しは先週の女子生徒との衝突から派生する何かがあったはずだ。


「珍しいね。美空が真剣に人のこと考えているの」

「その言い方だと、人の気持ちのない化け物みたいに聞こえるからやめろよな」

「だって、いつもやばいやつでしょ?」

「やだぁ、いつもってそんなにオレのこと見てるんだぁ。蒼ちゃんったら絵馬くんのこと大好きなんだからぁ」

「あーはいはい、こういうキモさがなかったらね」

 呆れ笑いを浮かべ、蒼は傘の下で絵馬の肩に手を置いた。


「え」


 後ろから驚いたような声が飛んでくる。

 誰かに見られているような感覚がある。振り返ると、そこにいたのは小豆だった。

 だが目が合うと気まずそうに視線を逸らされる。どうやら学校には来ているらしい。


 あの日、小豆が言った言葉を絵馬はずっと気にしていた。


————私なんて、いなくなればいいのに


 もしかすると、本当に小豆が見えなくなるのではないか。千草の考えた神隠しの理論を知っている絵馬はそんな気がして落ち着かなかった。それでも絵馬にはしっかりと小豆の姿が見えている。それだけで安心した。


 視線を逸らされたので絵馬も前を向き直す。

「どうしたの?」

「なんでもない。ただ安心しただけ」

「ふぅん」

 話に区切りができると、絵馬も自然とそのことを忘れることができた。



 

 

「あ、美空おはよー」

 教室に入ると扉付近で集まっていた女子生徒に声をかけられた。

「おー。おはよ」

 普段から挨拶をする間柄でもないので何かあると察して立ち止まる。そのようで女子生徒は周囲との談笑を切り上げて絵馬に体を向けた。


「さっき背が高くてショートヘアの綺麗な一年生が美空を目当てに来てたよ?」

「まじ? モテ期かぁ」

「もうないだろうから噛み締めておきなねー」

「うるせえ」


 その特徴は考えなくても琥珀だと分かる。

 その証拠にスマホには琥珀からメッセージが届いていた。


 文字で返す気にはなれず、絵馬は昼休みに一年一組の教室に足を運んだ。琥珀と小豆が所属している教室だ。

 後方の扉から教室内を見ると、すぐに琥珀を見つけた。三人の女子生徒と机を合わせてお弁当を囲んでいる。高校生らしい日常の一幕だ。


 絵馬に気がついた一人が不思議そうに首を傾げると琥珀も絵馬に気がついた。

 ただ周囲を気にしたのか、琥珀は他人のふりをすることに決めたようだ。その意図は分かる。学年の違う男子が教室にまで来ると周囲に勘繰られるはずだ。


 実際に絵馬が諦めて教室に戻っていく最中に『教室には来ないでくださいよ』と怒りの文章が送られてきた。

 諦めて指を画面上で転がす。

『話したいことって?』

 文字で返すと、すぐに返信が来る。


『男の人が認識できるようになりました』


 ただ一文だけ。

「……」

 階段の途中で足を止める。歩くときぐらいやめろ。と背後から教員にありがたい指導をいただくがそんなことは気にしていられない。


 文字列を見返すが、何度見ても変わることはない。

 小豆の逃避性プラシーボは解決したというわけではないはずだ。それなのに琥珀に起きていた現象が解決した。

 やはり小豆に何かが起きているのだろうか。

 実害がない今は何も分からないまま。


 そのまま放課後を迎え、校舎を出ると、外で小豆が待っていた。声をかけるか迷ったが通り過ぎるのも違和感がある。


「あずきん待ち伏せ?」

 俯いていた小豆の顔が上がる。

「あっ、こんにちは。そうです、待ち伏せです」

「そっか、頑張れよ。じゃあな」

 手をあげて前を通り過ぎると、小豆が必死に絵馬の手首をつかんで踏ん張っている。


「いやいやいや、どうして帰るんですか。どう見ても先輩を待っている後輩の姿じゃないですかっ!」

「どう見ても痴漢を捕まえた女子高生の構図になってるんだけど?」

「美空さんを捕まえているんです」

「それは見れば分かる」


 帰ろうとする絵馬を両手の握力で引き留めている。その光景は下校する生徒全員に見られていた。小豆からは絶対に逃がさない気迫を感じる。外来種でもここまで強くは掴まない。


「で、なんでオレは捕まえられているわけ?」

「これからどこか行きませんか?」

「はあ? なんでだよ?」

「え、なんでって……なんとなく?」

「なんだそれ」

「でもいいじゃないですか。美空さんもどうせ暇なんですし」

「ああ、暇すぎて昨日も割り箸鉄砲を作ってたぐらいだしな」

「ほんとに暇じゃないですか……」


 雲のように軽く了承して先を歩くと小豆も後ろからついてくる。

「今日は自転車じゃないんですね?」

「朝は雨だったからな。雨の日は基本的に歩き」

「そうなんですね。じゃあ今日は隣で並んでいけますね」

 実際に絵馬の隣に並びながら、小豆は誇らしげな笑みを浮かべていた。絵馬の想像が杞憂だったと思い示すように、映し出された彼女の微笑みは明るかった。


 いつも通りの小豆がそこにいる。


 それでも安心はできない状況になっていた。

「そういえば、昼休みはどこにいたんだ?」

「昼は連絡棟の一階で食べてましたよ。私、完全にクラスで浮いているので」

 自虐として笑いが添えられる。


「とうとうクラスで一人になっちゃいました。もうこのまま便所飯コースですね」

「惜しいな、男女のトイレが別じゃなかったら一緒に便所飯してやったのに」

「二人ならトイレで食べなくてもいいじゃないですか」

「だからオレも衛藤のことを思って同じタイミングでキジ撃ちしとく」

「え、普通にキモい……」

 てくてくと前に行くが、絵馬の追いかけない意思を知ると拗ねたように戻ってくる。


「嘘です。キモくないです」

 思ってもいない口調で発言が取り消される。

「わざわざ否定することか? いつもはそれくらい淡々と言ってくるのに」

「もう美空さんしか友達いないんです。これ以上失ったら終わりなんですよ。なのでもっと私を大事にしてください」

「自分で言うかね……。言われるとすげえ嫌」

「ええ、なんでですかぁ」

「でも一人って言っても、白波は一緒にいたんだろ?」


 小豆がどのような態度を取ろうが、琥珀は近くにいるはずだ。絵馬が見てきた二人の関係は常に二人で一セットだ。


「いえ、琥珀は他の子と一緒にいたので」


 視線を逸らしながら小豆がすぐに否定する。

「なら本当に一人だったのか?」

「そう言っているじゃないですか。今日は本当に誰とも話さずに過ごしていましたよ」

「あいつもひでぇことするな」

「まあそれでいいと思いますよ。琥珀が考えたことなら」

「ふーん」

「なんです?」

「やけに素直に納得するんだなって」

「だって向こうが思っていないことを強要するのもおかしくないですか?」

「まあ、そうかもな」


 やはり小豆におかしな言動はない。

 本当に絵馬の気にしすぎだったのかもしれない。

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