第二章 4話(1)
国道沿いに建てられた二階建てのファミレスは一階部分が駐車場になっていて、外から二階への階段が伸びている。柑子色の屋根にレンガ造りの外装はお城のような風格があって一見おしゃれに見える。
「美空さん、夜ご飯は食べて行きますか?」
風で乱れた前髪を整えながら問うてくる。
「どうせ入るなら食べよっかな」
「なら私もそうしますねー」
「待ってな。ちょっと連絡入れる」
「なら先に行っておきますねぇ」
小豆はてくてくと、はしゃぐ子供のように階段を駆け上がっていく。
小一時間で分かったことがある。小豆は琥珀とは違って感情が顕著に表に素直に出るタイプだ。一つ一つの行動の節々にそれを感じることができる。良くも悪くも、男女から注目されていそうだ。
「どうした、行かないのか?」
遅れて背中を追ったが、開け戸に手をかけた小豆がなぜか硬直している。
「……」
「衛藤?」
二回目の問いかけに小豆は渋い顔を見せる。
「ファミレスといいますか、接客業全般に言えることですけど、挨拶って大切ですよね……」
「そんなの常識だろ」
「いや、そういうことじゃなくて、」
「よく分かんないけど行くぞ。こんなところで止まってたら迷惑だろ」
言っている意味が分からないまま、小豆の背後から扉を押すと、その意味をすぐに理解してしまう。
まず視界に入ってくるのは、眩しいほどに暖かな微笑み。
「いらっしゃいませ、ジョイフルへようこそ」
「あ、そういうこと」
元気な挨拶に思わず「いらっしゃいました」と返事をしてしまいそうになった。
ただでさえ感情を読み取りにくい琥珀にこの笑顔をさせるのは酷ということらしい。
この下見はもう意味がない気がするが、あ、もう結構です、と帰るわけにもいかず、とりあえず二人と告げて窓際の四人席に案内される。
「どうしましょう、こんなの琥珀に絶対できないじゃないですかっ! でもやめとけって言えるほど私は鬼じゃないですよぉ」
小豆は店員が離れて行った途端に、早口で耳打ちをしてきた。
「白波がやりたいならやらせてやればいいんじゃねえの」
「で、でも。でもぉ!」
「それに、無理そうなら面接で落とされるだろ」
「あ、それもそうですね」
適当に注文を済ませると店員は笑顔でバックヤードに戻っていく。その様子もしっかり観察していた小豆はホールスタッフの性別だろうか、よく分からないが何かを用心深く確認していた。相変わらずこの行動に意味があるのかは分からない。
小豆の偵察中、することがなかった絵馬は水を二つ注いでおいた。席に戻るころには視察も終えていて、うーむと唸っている姿が残されている。果たして本屋やファミレスで偵察や視察といった言葉を使う日が今後にあるだろうか。絶対にない。
「そんなに心配か?」
「心配ですよ。お水ありがとうございます」
「心配ってどういうところが?」
「それは……特にないですけど。でも心配は心配です」
箱入り娘。琥珀が友達にそう言われていると言っていたが、おそらく小豆に言われたのだろう。今日の言動を見ていれば分かる。
「まあ何事も経験だと思うけどな」
「じゃあ琥珀がクズ男に雑に扱われたら責任取れるんですか?」
「それは……とれないな」
「何かあってからじゃ遅いんです」
飛躍し過ぎな気もするが、ありえないわけではないので馬鹿にはできない。
ただ琥珀はそこまでの箱入り娘なのだろうか。話してから数日の絵馬には否定も肯定もできない。
「琥珀は私が見ていないとだめなんですよ。絶対に」
強く添えられたのはそんな言葉。手元にあるコップを意味もなく掴み上げる。
「絶対ねえ」
「それより美空さんはよくファミレスに来るんですか?」
露骨に逸らされた話題を素直に受け取る。
「よく行く方だと思うぞ」
「誰と行くんですか?」
「普通に部活の先輩とかクラスの子とか。衛藤は白波とは行かないんだな」
「琥珀はファミレスにあまり行きませんから。でもウエイトレスは憧れらしいです」
「それは女子っぽい理由だな。で、白波以外の子とも行かないのか?」
「……」
「なんだよ?」
適当に間を埋めようと素朴な疑問をぶつけるが冷え切った瞳に覗かれる。
「私、琥珀以外に友達いないって言いましたよね?」
「あ、そういえば」
「じゃあなんですか、友達いないイジリで嫌がらせですか。私がちょーっとなめた態度とっているからって精神的に攻撃しようって算段ですか姑息ですね気持ち悪い」
「なめてる自覚があるなら良かった」
本当によかった、これで無自覚と言われたら本気で社会に出るのが危ういレベル。発言がもうすでに手遅れな気もするが……。
「まあ、前は琥珀の他にもいたんですけど自然消滅しちゃって」
「高校生になったらよくあることだろ。衛藤の場合は人への当たりがきついだけかもしれないけどな」
「でもそれは美空さんにだけですよ? 美空さんは、こういう接し方の方が話しやすいだろうなーって思っていましたけどダメでしたか?」
「変に畏まられるよりはそっちの方がいいよ。距離が近く感じる」
「やっぱり。私、美空さんとの関わり方は完全に把握しちゃいました!」
「生涯役に立たないだろうから引き出しの奥の方に大事にしまっとけよ。絶望的な点数の答案が学年末に机の奥から出てくるみたいに」
「私、他の人と話すより美空さんと話している方が好きですよ。だから見えるところに置いておきますねー」
「あら、そんな可愛いこと言ってくれるんだ?」
小豆はくすくすと微笑みを済ませると、少しだけ顔を俯かせた。
「でもこんな感じで、人によって関わり方を考えているから、私は友達ができないんでしょうけどね」
「そうかもな」
「あはは、否定しないんですね」
自嘲染みた発言には、申し訳ないことに納得させられた。
きっと小豆は一つ一つをじっくりと考えてから行動している。絵馬とは簡単に距離を縮められたのも、同級生とは違って先輩というレッテルがキャラの構成を簡単に見出していたからだろう。そこから先輩の皮が剥がれて今は小豆の言う通りに絵馬との接し方を理解している。似たような要領で同級生と絡めばいいだけだが、そのタイミングを小豆は分かっていないようだ。
「別に友達作りなんてこれからだろ」
「……え?」
「今、仲が良くても三月には疎遠になってたりするし、逆にクラスが離れてから急に仲良くなり始める人もいるしな。オレはそんな人をごまんと見てきた」
「どういう意味ですか?」
「四月で話が合わなくても、一週間、一ヶ月って時間が経てば相手の色々な点に気が付くことができるだろ。だから自分と合うところを見つけてから、自分のペースで話しかけていけばいいんだよ。おっ、なんか良いこと言えた気がする」
「できるんですかね。私に」
小豆の真剣な面持ちから逃げるように視線を外に向ける。外では女子中学生が三人で楽しそうに笑って帰っている。
「私、結構な頑固ですけど」
「友達なんて気にしなくても、その気があれば勝手にできてるもんだしな」
「美空さんは友達が多い方ですか?」
「どうだろ。指を折って数えたこともないし」
「でも美空さんは男子人気はありそうですね」
「そりゃどうも」
国道沿いだからか店内にいても耳をすませば車の走行音が聞こえてくる。
代わり映えしない道路の景色を俯瞰していると、小豆は自身の気が晴れたのか、この数時間ですっかり風采に合うようになった揶揄めいた笑みを浮かべていた。
「ただ男子と一緒にいすぎて女子は近寄ってこない、みたいな?」
「そうそう、白波の男子版な」
「おこがましー」
小豆はすでに注文は終えているが、メニューを開き、あっちを見たりこっちを見たりと顔色を次々に変えていく。うわあ、と物欲しげに見たと思えば、うおお、とこれはない的な顔をして写真を見て楽しんでいた。
元気で可愛らしい。改めて感想が浮かんでくる。
小豆は男を瞬時に虜にしそうな要素を兼ね備えている。人懐っこい行動は得意に見えるが、人付き合いとはまた話が違うようだ。
「そういや衛藤は部活しないのか?」
「私は特には考えてないですね。中学は琥珀とバレーしていましたけど、琥珀がしないなら私もするつもりないですし」
「二人ともバレー部が似合ってるな。言われてみればだけど」
「そうですか?」
「白波は後輩女子にモテそうで衛藤は同級生に妹みたいに扱われてそう」
そんな感想を漏らした時だった。小豆の瞳がきらりんと光る。
「そーなんですよ‼︎ 琥珀ってめちゃくちゃバレー上手だったんですよ‼︎」
「お、おう。そっか」
「だからほんとにもうヒーロー! って感じでカッコよかったんです。最後の大会なんか琥珀は怪我からの復帰戦だったのにスパイク決めまくりで! 久しぶりの試合のはずなのに、『小豆、ラストファイト』って、もうかっこよすぎてぇ!」
「……そ、そっか」
「それに、それに、アウトサイドヒッターっていうポジションなんですけど、レシーブとかすっごく上手で、みんなに教えたりするんですよっ?」
「……」
「———っは!」
自分でも制御できていなかったと思い直せたのか、咳払いで一息ついている。
おもしれー女。そう思う。
「白波が言ってたけど衛藤も水泳してたんだろ。水泳はしないのか?」
「それは勧誘ですか?」
「まあな。衛藤さんは話が早くて助かる」
「そっか、水泳ですか……」
目を丸くして鳴りを潜める。考える素振りを見せると深々と思考を言葉に灯した。
「そうですね、先輩がいるなら、また水泳をするのもありかもです」
「……ん?」
「どうしました?」
「いんや、何にも。てか本気か?」
「ダメですか?」
「本当に来るなら大歓迎だけど、退屈な時間が多いぞ」
ただメリットだけを告げるのではなく、デメリットも言っておく。水泳部はブラック企業とは違うのだ。
「退屈な時間ですか、部活なのに?」
「温水プールじゃないから時期によっては走ったりするだけだしな」
「ああ、そういうことですか」
「だから毎年誰かしらがやめていく」
「そういうのは気にしないですよ。私、体を動かすのは好きですから」
「そっか、ならいいけど」
ふと入り口を見ると四人組の女子グループが入店してきた。
視線が吸い込まれたのはきっと同じ制服を着ていたからだろう。ネクタイやブレザーは真新しく、高校生にしては幼い顔つきも相まって、なんとなく一年生なんだろうなって思えた。
ここは学生の勉強会や溜まり場として使われているので誰が来てもおかしいことではない。
絵馬の視線を追ったのか、小豆も女子高生たちの存在を視野に入れる。
「(同じ学校ですね)」
「(だな)」
普通に話していても聞かれる距離ではないが、そんな会話が視線だけで行われていた。
「(一年生?)」
「(どうですかね)」
「(少なくとも二年ではないと思うけ)」
「どうして無言で見てくるんですか? 警察呼びますよ?」
「意思疎通って難しいんだな」
目で話せていたと思っていたのは絵馬だけだったらしい。恥ずかしい。
「同じ学校ですね?」
小豆が言葉にして届けてくれる。
「だな。知り合い?」
「いえ、私は見たことないです。でも、」
何か続くのかと思い、黙って続きを促す。
小豆は頬杖をついて無心に四人を眺めていた。
そして相好を崩すことなく無心のままにそっと呟く。
「噂になったら困っちゃいますね」
口にしながらも困っている様子は微塵も感じられない。
瞳は黒曜石のように黒に塗られ、まるで未来を見越したように余裕な佇まいだった。それが不気味の閾値に達したのか絵馬は自然と唇を結んでいた。
一瞬だが、小豆の本当の顔が見えた。そんな気がしたのだ。小豆は自分を隠している。一つ一つの発言やまだ読み取れない素性は絵馬が思っているよりも、ずっと良い性格をしているのかもしれない。それは良い意味でも、……悪い意味でも。
「……おま」
口を中途半端に開けたが、コップで蓋をする。流れ込んできた液体を口腔内に通すと空になってしまった。見ると小豆のコップも空になっている。
「ドリンクバー。なんかいるか?」
「いえ、そんな。私も行きますよ。美空さんに任せたら混ぜられそうですし」
「子供かよ。混ぜねえし」
小豆は入口の生徒をみると、嬉しそうに頬を吊り上げる。
「噂になったらどうします?」
「こうして二人でいるんだから噂じゃなくて事実だろ」
「あ、それもそうですね」
二人で立ち上がると入り口付近へドリンクを注ぎに行く。四人は小豆に視線を向けると、何かを共有してから自分達の世界に戻っていった。同じ学年なので気になっただけのようだ。
「知り合いじゃなさそうですね」
「だな」
「美空さんは女子と噂されるの嫌なタイプですか?」
氷を入れている小豆が小さな声音で聞いてくる。
それを先にりんごジュースを入れながら絵馬は返しを考えた。
「そんなの好きなやついるのか。得する事ないだろ」
「好きな人とだったら全然いいって思う人もいますけどね」
「周りに雰囲気を作らせるってか。それはまた賢いな」
機会があればやってみよう。
「周囲がいる前でそれっぽい行動をして、そういう流れにしたいんだろうなって人は結構見かけますよ。男子も女子も」
入れ替わると小豆はメロンソーダのボタンを押した。緑色の液体が脈を打つようにコップに注がれる。八割ほど入れると、満足げに声を弾ませた。
「まあそういうのはすぐ分かっちゃうから意味ないんですけどねー、男らしくないし私はダサくて嫌いです」
「微笑みながら言う文言じゃねえな、怖えよ!」
やっぱりやめておこう。
「でもそうじゃないですか? 男の人は堂々としている方が普通の女子には人気が出ると思いますよ」
「オレみたいな?」
「美空さんは堂々としすぎて、女子は寄ってこなさそうですけどねぇ」
悲しいことを言って、小豆は席へ戻っていく。その背中に続く。
「衛藤はどうなわけ? 男子と噂されることについて」
「私はどうでもいいですけどね、中学の頃から周りに流されるタイプではなかったので」
「その口調からして、そういう経験があったってことか」
言うと小豆はこちらを見て、むむっと眉根を寄せた。
「そういうのをスマートに流せる人がモテると思いますけどねっ、私は」
すたすたと一人で戻ってしまう。
「なんだあれ。可愛い」
呟いてから絵馬も同じ目的地に設定する。
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