第二章 3話(2)
自転車を停めると、駅に隣接されたショッピングモールを訪れた。九州各地の都市の主要駅に展開されているアミュプラザと呼ばれる駅ビル型商業施設。
琥珀がバイト先の候補として挙げているのは四階にある本屋らしい。四階までエスカレーターで昇り、二つの折り返しを終えると正面に目的地が見えてくる。建物の角を占領している大きめな本屋だ。ただ大分県の県庁所在地である大分市とは言えど『新刊の発売日は大分の場合は二、三日遅れます』と残念な注意書きがされている。
「どうですか」
店に入ってすぐに小豆が聞いてくる。
「うん? 何が?」
「何がって雰囲気ですよ。お店の」
「どうって言われても、至って普通の店だろ」
小豆は棚の陰からレジを覗き、店員の動きを窺っている。これならバイトの下見というよりは不倫調査をする探偵の動きに近いかもしれない。
「あいつ、本は読まないって言ってたのに本屋で働くのか」
「まだ候補らしいですけどね。あとファミレスも働いてみたいって言っていました」
「へえ、まああいつならどこで働いていても不思議じゃないな」
琥珀なら何をしても似合ってしまいそうだ。
そんな感想を込めると小豆の顔が絵馬に向く。その目はやたらとキラキラしていた。
「ですよね、あの子綺麗すぎです」
「それはそうだな」
「琥珀みたいな子がファミレスにいたら通っちゃいません?」
「分かる。推し的なやつな?」
「そうそう、それです、それです。あ、でも美空さんがするとストーカーなので、通うのは普通にやめてくださいね。キモいですし」
「オレじゃなくてもストーカーになるだろ」
どうして絵馬しかストーカー判定されないのだろうか。
小豆はまた本棚から顔をはみ出させている。その後ろ姿を呆れて見守っていると、すぐに浮かない顔を見せた。
「あ、男の人がいる……」
自信をなくした声で、当たり前の言葉が発せられる。
「そりゃあ、いるだろ」
「あの人、どんな人に見えますか?」
「どんな人ってなぁ……」
ぐいぐいと腕を引っ張られ、お前も見ろと言ってくるので仕方なく絵馬も観察する。
視界に入ったのは大学生ぐらいの青年で本が好きそうな見た目をしている。どこにでもいる普通の青年としか思えない。
「結婚したら大事にしてくれそう」
「ええ、なんですかそれ、もっと悪いところはないんですか!」
「なんで粗を探してるんだよ?」
「だ、だって良いところがあっても意味ないですし……。だからないんですか、もっと。美空さん、そういうの得意そうじゃないですか」
「この際、オレがどういう評価を受けているかはどうでもいいけど、勝手に年下に粗を探されるあの店員さんの気持ちにもなってみろ。なんかわいそうだろ」
そう言ったが絵馬の腕を掴み、強く揺さぶってくる。
「そんなのいいですからぁ、ほら早く!」
「少なくとも悪い人には見えないけどな。って痛えよ、ぐわんぐわんすんなっての! 腕もげちゃうだろうが!」
「で、でも、人は見かけによらないっていうじゃないですかぁ」
「まあオレみたいな例があるしな。って、誰が見た目チャラ男やねん!」
「あ、そういうのいいですから。ほら、何かないんですかぁ」
完璧なノリツッコミも撃沈。
もっと腕を磨かないといけない。
「人は見かけによらないとか言い出したら、それこそ下見なんか意味ないだろ」
「じゃあ何をしろと?」
本来は何もしなくていいはずだが……。
「見るなら暇な時間にバイト同士が話しているか、とか男女の割合じゃないのか?」
「暇な時間に話しているか……なるほど」
「納得しちゃったよ、この子」
この子は本当に何をしているのだろうか。改めてそう思う。
ここから動く様子もなさそうなので、そのまま目の前にある本を眺めることにした。本はあまり読まないが本屋の雰囲気はわりと好きだったりする。一つ、二つと右から流し見していくと、目に留まった本を手に取った。『休日にできるお手軽キャンプ』だ。
「それ、買うんですか?」
店員の視察を終えたのか、持ち上げた本を見て言ってくる。
「いや、おもしろそうだなって」
「随分とほのぼのしていそうですね。なんだか美空さんっぽくないかも」
「ただでさえ人生がややこしいのに、似たようなの読んでも楽しくないだろ。オレは常に癒しを求めているのだ」
「美空さんの人生はややこしく無さそうですけどね」
「ほっとけ」
店員観察にも飽きたのか、小豆も本棚を物色し始める。
「なあ衛藤」
「はい?」
「ちょっと見たい本があるんだけど見てきていいか?」
「はい。全然大丈夫ですよ?」
「ありがと」
小豆に断りを入れてから絵馬も見たかったコーナーに足を運ぶことにした。
大学受験に使われる赤色の本が延々と続き、その奥に見える資格のエリアにまで足を運ぶ。
その中から一冊を手に取ると中を軽く流し見ていると、
「何してるの?」
と、不意に横から声をかけられる。
声の主は、どこがとは言わないが小豆よりも大きいので小豆ではない。格別に大きいわけでもなく、特別小さいわけでもない二つの山……これは千草だ。絵馬の目に狂いはない。
「奇遇ですね。昨日ぶり」
本当に千草だった。
「絵馬が本屋にいるの珍しいね。彼女の付き添い?」
「オレがそんな知的な人と付き合うと思いますか?」
「女子と付き合えると思えない」
「おい、それはまた意味が変わってくるぞ」
「じゃあ、あの子は彼女とは違うんだね?」
千草はこともなげに言って振り返る。
ここから姿は見えないが『あの子』というのは小豆を指しているようだ。
「見てたんですか?」
「うん、エスカレーターでね。ちょっとした野次馬根性でついてきた」
「親指立てんな、グッジョブじゃねえから」
「でも変わってるね、絵馬が女子と放課後デートなんて」
へらっとした表情で小馬鹿にされている。
「もしかして、あの子が男子を認識できないって言っていた子?」
「いえ、あれはその友達ですね」
「友達?」
「まあ話すと長くなるんだけど、色々あって」
「そっ、可愛い子だね。元気そうで男子が好きそう」
「オレもそう思う」
「でも女の子を一人にしていいの?」
「一人にしたんですよ」
「ふぅん」
小豆については興味がないのか、それ以上は掘り下げるつもりはないらしい。
千草は横でSPIの参考書を持ち上げると裏に表記されている値段を見て、元にあった位置までリリースする。お金が足りなかった、というよりは単純に買う気配すら感じなかった。
「その男子を認識できない子はどうなの?」
「どうなのって?」
「あれから何か変化があったのかなって」
「さあ、今のところはないですね。ただ悩みがあるようにも見えないかな」
昼に話したが、これといって参考になる会話はしなかった。
そんな中で分かったことといえば、琥珀は女子に妬まれていた訳ではなく中学生の時は同性に好かれていたこと。
そして、千草はかなりうざいタイプの野次馬ということだけだ。
「そっか、何かあったらまた教えてね」
「あれ、やけに協力的ですね。オレに優しさは込めてないんじゃなかったっけ?」
「悲哀は込めてあげてるよ? それにしても友達……ね」
細目で絵馬を見てくる。
「絵馬も女子と遊ぶんだ」
「無理やり付れて来さされたんですよ」
千草はくすっと笑う。
「本心は?」
「可愛い子と出かけることができて嬉しいなーって思ってます」
「随分と楽しくなさそうなデートだね」
「そうですね。向こうは何か考えてそうだし」
「何かって?」
「それはわかんないけど、直感」
「使えなさそうな直感だね」
「うるせえ」
千草はふわりと微笑む。
「にしても友達……か」
「どうかしました?」
「ううん、何もないよ。じゃあ楽しんでね?」
ずいぶんと意味深な口調で千草はそう笑った。
「はい、千草さんも気をつけて」
「それじゃあね」
「また何かあればよろしくです」
いつもは後ろ結びにされている髪の毛が振り返る遠心力で個々に揺れる。部活の時から後ろ結びのイメージが強いからか、下ろしている姿は見慣れていない。道理で胸でしか判断できなかったわけだ。
ただ千草と話していて、小豆に対して抱いた違和感の一つが分かった。
それは千草が小豆のことを絵馬の彼女だと疑ったこと。絵馬と小豆は学年が違うが、同じ高校に通う二人の男女だ。その場で騒ぎ立てることはしなくても、二人が一緒に行動していることが知り合いの視界に入れば関係を勘ぐられてしまう。
琥珀は自分から気づいてこそいなかったが、図書館では絵馬といるところを周囲に見られることを危惧していた。
蒼も同じだ。絵馬や翠と話していることで周囲からネタにされているらしいが、それをよく思っていない。
これが普通と言いたいわけじゃない。
ただ小豆は男子との距離について、どう考えているのだろうか。人が漂う駅にまで来て、一つ年上の男子といるところを誰かに見られても何も感じないのだろうか。推測でしかないが、そういうタイプには見えない。
「見終わりましたか?」
小豆のもとに戻ると明るい笑顔で出迎えてくれた。
一人での行動を恥ずかしい。
そんなことは思ってもなさそうだ。
「そっちはいいの?」
「そもそも、ここは高校生不可って書いてました。琥珀ったら、ちゃんと応募要項を見てなかったらしいですねぇ」
「あ、だから元気だったのね。次はファミレスだっけ?」
「はい、学校側じゃなくてもう少し奥に行った方です。行きましょー」
気軽に背中の向きを変え、気ままに歩き出す。
彼女の陽気さは、見ている側も元気をもらえる。そんな感想が絵馬の思考を上書きしてくれた。
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