第二章 3話(1)

 

「ごめんなさい、待ちましたか?」


 夕焼けにつま先がかかり始める時間帯。公園のポールに体重を預けていると、鞄を背負った小豆が小走りでやってくる。絵馬の前で止まると、ふうっと息を整えていた。


「そんなに。集合時間とか決めてないしな」

「意外です。美空さんは何かとケチをつけてくるかと思っていました」

「オレにどんなイメージを持ってるんだよ」

「正直でめんどくさい人です」

 どうやら昼休みの数分で人柄を決めつけられたらしい。小豆はくすりと微笑むと「では行きましょうか」と背中を向けて出口の方に行ってしまう。


「自転車じゃないんだな?」

「登校は歩きですよ」

「オレは自転車だから、出たところでちょっと待ってて」

 言い残して駐輪場を目指すが、なぜか小豆も踵を返して後ろをついてくる。


「ふーん、美空さんって自転車なんですねー」

「歩きでも行けるけど、水泳部に陸は適してないんだ」

「はあ、その理由はよく分かんないですけど」

「ほら、オレたちって水中でのスポーツだから、エラ呼吸、魚の型————」

「あ、説明いらないです。聞いてないです」


 駐輪場に着くと自転車のカゴに絵馬と小豆の二つの鞄を入れる。

 小豆はその様子を確認せずに、後ろからじっくりと自転車を眺めていた。そんなはずはないが、初めて自転車を見たような反応をしている。


「エンジンは積んでないぞ。店で一番安いやつだからな」

「一番高い自転車でもついてないですよ。それより、ここに跨るんですか?」

 不思議そうに指をさしたのは後ろに付けられた荷台。

「二人乗りするときはな。乗るか?」

「いいんですか?」

「いいよ。乗り心地悪いだろうけど」

「いえ、乗りませんけど」

 なら今の会話はなんだったのだろうか。

 絶対にいらなかった。


 小豆はそのまま自転車を押す絵馬の後ろに続いた。そして荷台をちょんちょんと突きながら意外そうに言ってくる。

「二人乗りって犯罪らしいですね」

「らしいな」

「でも一度はしてみたいです。どんな感じなのか気になります」

「じゃあするか?」

「美空さんとはしませんよ。ウザいのうつるじゃないですか」

「ウザいのはうつらねえよ……」

 最近は新しい感染症が流行っているらしい。

 気をつけないと。


「……」

「……」


 歩き始めると静かな時間が始まった。

 誰かに介入してほしいほどの静寂した空気感。会話がないまま、一つ目の信号に引っかかる。そこでようやく口を開けた。


「で、下見ってどこ行くの?」

「大分駅に隣接している本屋です」

「おっけい」


 のっそりと鈍臭く進む自転車はアルミ製なのに重い鉄の塊に追い抜かされていく。

 それでもゆっくりと歩き続けた。警察に注意だとか、学校の人に見られるだとか、そんなことを危惧する必要もないままコンクリートに二つの透明の轍を刻んでいく。


「……」

「……」


 二人が作る無言はお世辞にもいい空気とは言えなかった。初対面ならではの相手の出方を伺う空気がある。この間を埋めて楽しい話題を供給するほど絵馬の話術は優れていない。


「美空さんってモテるんですか?」

 流石に気まずいと感じたのか、小豆が雑な問いかけで間を埋めてくる。軽く振り返ると、小豆は車道に顔を向けていた。聞いておきながら興味はないらしい。

「めちゃくちゃモテるな。見りゃ分かんだろ」

「どのくらい?」

「いっぱい」


 くすりと小豆の微笑みが背中に触れる。


「信憑性がないですね」

「この状況だったら何を答えても、信憑性はないだろ」

「自分のことを聞かれて、どう答えるかで大体の人の性格が読めるらしいですよ?」

「なにそれこっわ」

「ネットで見ました。美空さんはお調子者タイプです」

「いや知らねえけど。他の男子にもしてるのか? やめといた方がいいぞ、普通に怖いし」

「女子友達がいないのに、男子の友人がいると思いますか?」

「え、全然いると思ってた」

 小豆の自嘲に戯れもない直球で返すと、小豆は「えっ」と意表を突かれたようだった。

 おかげで絵馬も「え?」とこぼしてしまう。「オレ、何かしちゃいました? えーっ、無意識のうちに魔王倒しちゃってたんですか!」的な顔になっていたかもしれない。


「どうしてですか?」


 不思議そうに小豆が問うてくる。

「どうしてって、話して間もない年上の男子を誘うぐらいだし、男子との距離感を分かってるんだろうなって思った。ほら、最初は警戒したりするだろ?」

「まあ、そう思いますよね」

 触れてほしくなかったのか口調が鈍る。それを分かったうえで、引く理由に満たないので続けた。


「誰かとどこかに出掛けたりすることはよくあるのか?」

「琥珀とはありますけど、他の人とはあまり行きませんね」

「そーなんだ」

「……なんですか?」

「いや、何も」

「美空さんこそ、そういう恋愛経験が豊富かと思っていました」


 仕返しがしたいのか声音が弾んでいる。

「豊富って言えるほどあるわけない。普通だな」

「そうなんですか」

「そうだよ」

「なんだ、つまんない。美空さんはヒロインのいない少女漫画の男子主人公って二年生から言われていると聞いたので、てっきり彼女がいないだけの完璧な男子なのかと」

「おい、どう見ても完璧な男子だろうが。ていうか、あいつそこまで影響力あったのか……」

 少し蒼を侮っていた。


「でも美空さんは恋愛経験が豊富って思ったのは八割が見た目からですよ。一部の物好きな女子には人気がありそうです」

「うわー、フォローになってないなぁ」

「そもそもフォローする気ないですし。だって私も似たようなこと言われたんですよ?」

「それはごめん」

 くすっと小豆が笑う。


「意外と人の心はあるんだ?」

「オレは人として認められてなかったのかよ」

「人の形をした『かまってちゃん』だと思ってます」

「それ、年下に言われると結構恥ずかしいな」

 徐々に慣れていく会話は行き先までたどたどしく続いた。

 

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