第一章 6話(3)


 千草の視線を追って振り返ると、一人の男子高校生がこちらに歩いてきていた。


「あれ、ちぐさんも一緒にいたんだ」


 名前は佐谷翠。

 同じ学校で同じ学年の男子生徒。

 長いまつ毛に柔らかな目尻。背丈は高く、鍛え上げられた筋肉によって体格も良いが顔は小さいのでモデルのようなシルエットだ。

 そんな容姿に加え、明るく笑った時に見える笑窪は幼さがあるらしく、女子のツボにハマるらしい。


「絵馬とちぐさんって珍しい組み合わせ」

 翠は緩やかに笑って近づいてくる。


「うん、散歩がてらね」

「ちぐさんがレタスといるのも久しぶりに見たかも」

 親同士の仲がいいらしく、翠と伊佐町家は中学生の頃から関わりがあるらしい。

「そうだっけ?」

「いつもはおばさんが散歩してなかった?」

「言われてみればそうかも」

「で、絵馬の方は部活に行ってないのか?」


 千草との会話をほどほどに、置いてきぼりになっていた絵馬に話題が向く。

「顧問が入院したから来週まで自主練習なんだよ」

「新入生の勧誘期間なのに?」

「勧誘期間なのに」

「そんなんじゃ部員来ないぞ」

 翠はけらけらと微笑みを湛えている。


 そして改めて絵馬と千草を交互に見比べた。

「それより何かあった?」

「何かって?」

「二人でいるのは珍しいなーって思って」

 絵馬と千草の組み合わせは翠からしたら不思議に思うようだ。翠の場合は個人的に理由が気になっているだけかもしれないが、真意は翠本人にしか分からない。


「絵馬がどうしても私に会いたかったんだよね?」

「うわぁ、誤解生みそうな言い方してんなぁ」

「でも本当でしょ?」

「そうそう、年上の魅力を感じたくなったっていうかぁ? 久しぶりに甘えたくなったっていうかぁ?」

「きも」


 一言で片付けられてしまう。ひどい。


「相変わらず二人は仲良いな。まあ言えないことなら無理には聞かないけどさ」

 乾いた笑いで納得すると、翠は重心を低くしてレタスに手を伸ばす。

 きっと女子はこういう動物にも優しいところに萌えるのだろう。見習おう。


 その萌える翠に千草が問いかける。

「サッカーのインターハイはいつだっけ?」

「始まるのは五月の中盤かな。決勝は六月の上旬」

「そっか。行けたらまた観に行くね」

「それはどうも。すっげえ頑張れそう」


 小さな声で翠がはにかむと、ハンバーグについてくるパセリ程度のおまけで千草の意識が絵馬に向く。


「水泳は?」

「さあ、六月ぐらいじゃないですか? よく分からないけど」

「まあ私の時と変わらないか。今年は失格にならないようにちゃんと行きなよ?」

「まかせとけ」

「いや、記録を目指せよ」


 レタスも翠に同調するように「くうん」と静かに鳴いている。心なしか絵馬といるときより翠といるときの方が大人しい気がする。

 これもイケメンが関係しているのだろうか。イケメンってすごい。


「絵馬は単純に泳ぐことを楽しんでいるだけだから、全国とかはそこまで興味がないんだと思うよ?」

「まあ全国に出たらどこまで人気が出るかは気になるけど。オレに興味なかった女子がクラスにまで来て『美空くん写真撮ろー』って。…うへへ、楽しそ」


「ね、こんな男だから」

「よく分かりました」

「だから翠は頑張ってね。絵馬にしない分の応援も込めているから」

「オレも応援しろ」

「ちぐさんが応援してくれるなら頑張れるかも」

 翠は気恥ずかしそうに微笑んでいる。

 

 傍から見ればお似合いのカップルのように見える二人だが、こうして会話を切り取れば距離感は仲のいい家族って感じもする。この空気感は絵馬と千草の間にはないものだった。


「あ、ていうか絵馬、昨日の放課後に女子と帰ってたってまじ?」


 いきなり、『これが本題』と言いたげに矛先を向けられた。

「なにそれ、どこ情報?」

「クラスのやつが絵馬と一年の女子がいるところを見たって言ってたからさ」

「……」

 千草がちらりと視線を向けてくる。

 その視線は「さっきの話は本当だったんだ」と納得しているように見えた。


「バイトの相談を受けていただけ。それに一緒には帰ってない」

「なんだ、そういうこと。じゃあバイトの後輩?」

「いや、そういうわけでもない」

「じゃあどこで知り合ったんだよ?」

「なんか話しかけられた」

「また変な関係を築いているんだな」


 他人事のように翠が笑う。聞きたいことはそれだけだったのか、「でもそっか、彼女じゃないのか」とどこか残念そうに膝を押してゆっくり立ち上がった。


「それじゃあ、俺は聞きたいこと聞けたから帰る」

「もう帰るの?」

 すっかり帰宅のムードを出している翠に、千草が絵馬と疑問を送る。


「二人は話の途中だったんでしょ。なら邪魔するのも悪いし」

「別に大した話じゃないからいいけどな」

「大した話じゃないと二人はわざわざ会わないだろ」


 爽やかに言い当てながらも「じゃあまたな」と絵馬の背中を軽く押した。


 自身の言葉に従って筋肉で成り立っている背中が離れていく。

「空気読める男子は最強ですねー」

 静かに背中を眺めていると素直な感想が漏れてしまう。


 千草も同様で感心するように息を吐いた。

「あれはモテそうだね。優しいし、将来も有望だし、おまけに背も高くて顔もいい」

「まあ実際モテてるみたいだし。それよりオレと話しているときと、翠と話しているときで、込められた優しさの量が違う気がしたんですけど気のせいですか。あなたもこの犬コロと一緒でイケメンにはメスを見せちゃうんですかぁ?」

「誰かさんと違って、翠は可愛げがあるから。それに勘違いしているようだから教えてあげるけど、絵馬と話すときは微小たりとも優しさは込めてない」

「ひっでえ」


 千草はまだ遠くにある翠の背中を見ている。

 その横顔は何を考えているかよく分からない。ただ気の知れた友人を見送っているように見えるが、見方を変えると我が子を見守るような表情でもあった。

 少なくとも、異性に向ける目ではない。


「あの魚は逃したら大きくなりそうですね」


 しみじみとした意味に冗談を混じえつつ、隣の反応を窺う。

 千草は絵馬の思考を読んだかのように静かに口元を緩めた。


「翠はいい子だから、その方が自由でいいんじゃない?」

「まあ千草さんが決めることだからいいけどさぁ」

「決めるのは翠だけどね」

 それだけ交わすと千草はまた歩き出す。

 聞きたいことはすでに聞けたが、絵馬も散歩に付き合うことにした。

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