第一章 4話(2)


 その屈した表情を絵馬に向けた。


「どうすればいいですかね?」

「さあな。でも間違いなく、どうにかしないと見えるようにはならないだろ」

「どうにか、……検討もつかないです」


「本当に普段から男子とは話さないのか?」

 素朴な疑問に、琥珀は思考を固めてから頭を縦に振る。


「男子と話す機会はあまりなかったです」

「一回も?」

「最低限は話していましたけど、特別仲がいい人はいなかったです。お、幼馴染とかは憧れてましたけどっ」

「別に聞いてねえ」


 確かに琥珀が男子と話しているイメージは浮かばない。実際に会話を交えれば、気軽に話すことはできるが、琥珀は美人特有の人を寄せ付けない雰囲気を持っているのだ。そのせいで初対面だと絡みにくいのだろう。


 こうして数回の会話を重ねた今でも琥珀という人物がよく分からない。


「……」


 だからだろうか。

 琥珀はこの現象が起きていることに悩んでいるように見えた。

 逃避が過剰に行われたとしても逃避は逃避だ。経緯はどうであれ、それが彼女のなりたかった形なら、逃避が叶ったのなら喜ばしいものに思えるはず。


 でも琥珀にはそれを感じなかった。


「白波は元に戻りたいって思っているのか?」

「……」

 大きな瞳が絵馬に向く。一呼吸開けると、

「戻りたいです」

 と意思を持って告げた。


「どうして?」

「え……、だって見えなくなる意味がないじゃないですか」

「え、あー、うん。確かにそうだな……」

 あっさりと言い切られてしまった。

 それを言われたらそうなのだが、まるで絵馬がおかしなことを言っているかのような言い草だ。

「馬鹿なこと言わないでください」

「ごめんなさい」

 なぜ怒られているのだろうか。


 ただ琥珀の言う通り、確かに見えなくなる意味はない。十人に聞けば九人はそう答える。

 だが一人は見たくない、と思うのかもしれない。その一人が琥珀だと踏んだが、琥珀は違ったようだ。


 彼女は逃避を拒否している。

 言葉が嘘でなければ、そういうことになる。


「でもそっか。なら頑張って解決しような。オレもできることはするし」

「え、いいんですか?」

「変に知った手前、ここで突き放すのも嫌だしな。それにオレだけが見えるってことが個人的にも気になるし」


 本当に同年代の男子の中では絵馬だけが見えないのだろうか。もしそうなら、どのような理由があるのかは興味がある。


「多分だけど、逃避しようとする気持ちを失くせば解決すると思う」

「逃避……。身に覚えがないですけど?」

「まあ悩みなんて色々あるだろうしな。これって決めるのは難しいか」

「え、だから履歴書は————」

「以外で考えてくれ。なんでそこに絶対の自信を持ってんだよ」

「いえ、本当に履歴書以外はないですけど…」

 そう言い切られてしまう。

 どうにも釈然としない。


「なんでもいいぞ。これから友達ができるか不安とか、好きな人と高校が別になったとか」

「本当に不安に思ったことはないです。でも、なんだろう。あるのかな……?」

 悩みながらに琥珀はスマホを気にする。

 何かの着信があったらしい。


「……あ」


 それに反応しながらも、そっと焦ったようにスマホの画面を伏せた。

「どうかした?」

「すみません。連絡が入っていて」

「別に返していいよ。そんなに堅苦しくするなよ」

「ど、どうも。ありがとうございます」

 絵馬も一度思考を打ち切ることにした。


 立ち上がり、細胞生物学の教科書を棚にしまいに行く。

 この部屋は誰も使っていないらしく、使い古された教科書はページが茶色に劣化しつつある。

 せめて空気だけでも入れ替えようと窓を開けると、教室内に新鮮な空気が入り込んできた。 その冷たい春の風が琥珀の短いようで長い前髪をゆらゆらと揺らしている。


 それにしても顔が良い。


 年下ながら琥珀の容姿には目を引く要素が詰まっている。視界に映る景色だけで一枚の絵画として成り立つほどに綺麗だった。これほど綺麗なら男子が簡単に声をかけられないのも頷ける。


「……」

 琥珀は真剣に画面上で指を転がすと、ちらっと気まずそうに絵馬を見た。


「ん、どうした?」

「いえ、友達からどこか行こうって言われて。で、でも断るので気にしないでくださいっ」


 慌ただしく手を横に振っている。

 そこには先輩に対して自分から帰宅を告げてはいけないという遠慮が含まれていた。


「どこの社畜だよ。普通に行ってきていいぞ」

「え、いいんですか?」

 自分の鞄を背負う。

「どのみち、このまま話していても分かりそうにないしなぁ」

「あ、ありがとうございます」

「いいえー。はい、これ」


 言いながらスマホを取り出すと琥珀に見せた。それに対して琥珀は不思議そうに目尻を下げた。


「……? 私も持ってますから、いらないですけど?」

「いや、あげねえから……。そんなポケットティッシュ感覚で渡すかよ」 

「じゃあ、なんですか?」

「連絡先。交換しよ」

「……」

「なんだよ?」

 またしても流れる無言。いったい琥珀とは何回の無言を作ればいいのだろうか。


 ただこの無言の要因は何かを躊躇っている琥珀にあるのだとすぐに分かった。その何かは容易に想像することができる。


「連絡先とか断ってる感じだった?」

「い、いえ、男の人と交換するのは初めてなので、少し動揺しちゃって。それも先輩ってなると変な感じがして」

「確かに、世渡り出来なさそうだもんな、お前」

「あれ、私、いま馬鹿にされてます?」

「うん。はなまる満点」


 目端を細くして絵馬を捉える。

「別に交換ぐらい私でも出来ます。してなかっただけで」

「変なところでムキになるんだな?」

「そういう機会がなかっただけですから」


 自分に声をかけてきた男子を認識できないなら仕方がないが、それ以前の状況ではどうなのだろうか。気になるが聞かないでおく。


「それに友達には初対面の人とは交換するなって言われていますし」

 言い訳を述べるように琥珀が言ってくる。

「なんだそれ、友達からもそんな扱いされてるのかよ。ウケる」

「琥珀は箱入り娘だから怖い。とはよく言われます」

「まあ分かる気がする」

「笑わないでください」

「わるいわるい。んじゃ、やめとくか」


 放っておくと不審者にもついていきそうな危なさがある。絵馬が数分で感じた感想は、琥珀の周囲の人も感じていることらしい。


「いえ、大丈夫です!」

 拗ねているのか勢いで言ってくる。


「見栄を張るところでもなあぞ」

「大丈夫です。これも成長です」

「何言ってんだお前」

 小さな成長をした琥珀はぎこちなく肘を伸ばしてスマホを差し出してくる。


「それなら。ど、どうぞ」

「渡し方ラブレターみたいだな」

「……。もらったことないくせに」

「あれれ、今ぼそっと何か言わなかったぁ?」


 スマホの画面から連絡先を読み取り、ポケットにしまった。一方で琥珀はスマホをしまうこともなく、じっと静かに画面を眺めている。


「……手慣れていますね」


 何を思ったのか、画面を眺めたあとに懐疑的な視線が向けられている。


「あの、先輩って俗に言う、女たらし……なんですか?」

「はあ? なんでだよ」

「だって、こういうことをさらりとしてるし、それにピアスもしてますし」

「さらりとって、別に誰でもできるだろ。あとピアスは普通におしゃれのつもり」

「あっ、あとお昼も女の人といたので」

「あれは友達な」

 女たらしというのは随分と緩い定義のようだ。ただ、これだけで女たらしの認定をするということは本当に男子に免疫がないことは分かる。


「でも先輩は本当に女の人に慣れていそうですね。外面がいいっていうか。猫をかぶっているというか」

「なんだよ、それ。褒め言葉?」

「え、全然悪口ですけ……。褒め言葉です」

「ですけどって言いかけなかった? ねえ、言いかけなかった?」

「言ってません。自意識過剰が過ぎるんじゃないですか?」

 琥珀は吐き捨てながら、じーっとスマホを見つめていた。

「初めて男の人と交換しました」


「まじ?」

「はい」

「……。寂しかったらいつでも連絡していいからな?」

「哀れむ顔をしないでください。別に寂しいって思っているわけではないですから」

 確かに友人と遊ぶと言っていたので、友達がいない訳ではなさそうだ。


 ちらりと時計を見ると、それなりにいい時間になっていた。

「んじゃオレは帰るけど?」

「あ、私も帰ります」

 教室を出ると琥珀も急いでついてくる。

 その位置取りはごく自然に絵馬の隣に置かれていた。

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