第一章 2話


 昼休みになると周囲のざわめきは勢いを増していき、今は休憩時間なのだと周りの空気から感じることができた。ある人は机の上に並べていた教科書をのんびりとしまい、ある人は財布を取り出して教室を出て行った。


「……」

 絵馬は窓の外に視線を当てる。

 パンジーやビオラ、アネモネと鮮やかに彩られた中庭の花壇。その花壇に囲まれた一つのベンチ。これを眺めるのが最近の日課になっていた。


 中庭は校内に唯一ある華やかな空間だ。あそこで食事をするということは一部の生徒にとっては他者とは違うことをしているという青春の雰囲気を味わえるらしい。


 そのため昼休みにはベンチの取り合いという不毛な椅子取りゲームが始まる。その椅子取りゲームを上から眺めることが日課となっている。鉄骨渡りを見る富豪の気持ちが味わえて絶景なのだ。


 どうやら今日は三年生の女子がベンチを確保したらしい。

「……おお、すげえな」

 時計を見て、思わず声を上げる。

 記録更新だ。まだ授業が終わってから一分も経ってない。


 日課も終えたのでぐぐぐっと伸びをしながら立ち上がる。

「あれ、どっか行くのか?」

 箸を口元から離し、前の席に座る男子生徒が怪訝な顔で聞いてくる。

「昼飯ないから食堂行ってくる。そのまま二人で食べといて」

 おっけー。てか体育って柔道? 

二人の新しい話題から逃げるように絵馬は教室の外に出た。

 

 私立槻志野高等学校は周囲の高校に比べて制服が可愛いと評判だ。ブレザーは一般的な紺色だが、灰色と暗い紫みを持つ青色のリボンが可愛らしさを構築している。他にもカーディガンは無地なら何色でもいいという緩めの校則が、その人のセンスを際立たせることができる。

 この校風を目当てに受験する生徒も少なくないらしいので、これも学校の戦略なのかもしれない。


 前を歩く一年生たちも、その戦略に引っかかったのだろうか。そう思いながら前を見ていると、一年生のポケットから一枚の紙が落ちた。

「あ、これ落としたよ?」

 それを見かけた男子生徒が、すかさず女子生徒に教えてあげている。


 プリントを落とした女子生徒は青色のスリッパを履いていた。背が高く、後ろ姿だけでも大人らしい見た目をしているが一年生のようだ。

 

 もしかすると、これが甘酸っぱい出会いになるのだろうか。そう思うと、ワクワクと同時に『くそっ、ならオレが拾っておけばよかった……』という雑念も湧いてくる。


「……」


 本来ならお礼と共にプリントを受け取る流れ。ただ実際に流れたのは、想像とは違う光景だった。


「え、あの、これ……」

「……」

「えーっと……」


 一年生は拾ってくれた男子生徒に見向きもせずに黙々と足を動かして地を蹴っている。おかげで優しい男子生徒はあたふたと分かりやすく動揺していた。


 そのことに気がついたのか、隣にいた女子生徒が手慣れたように笑顔を作った。


「あ、ごめんなさい。わざわざありがとうございます!」

「あー、うん」

「あはは。いやー、本当にありがとうございますね」

 

 笑顔を作った女子生徒とは異なり、落とした張本人である女子生徒は視線を前に向けたままお礼もしない。

「こはくー、拾ってもらったよ?」

 拾った女子生徒に呼びかけられ、ようやく背の高い女子生徒が反応した。


「あれ、落としてた?」

 その横顔には見覚えがあった。

 昨日、陸上部に体験入部をしていた子だ。そして絵馬を変態呼ばわりした一年生。


「うん、拾ってもらったんだよ。相変わらず、ぼーっとしすぎで心配になるよ」

「そっか、ありがとね」

 一年生たちは、そんな会話をしながら階段を下り、一階へと向かっている。


 どうにも不思議な光景に思えた。

 一年生の行動に違和感を感じる。


「流石に見過ぎじゃない?」


 考えていると、呆れた顔で佇む二年の伊佐町蒼にそう声をかけられる。

 長い黒髪に幼さの残った童顔。雪のように白い肌とくっきりとした二重まぶたが愛らしく、清楚の擬人化という言葉がよく似合う。比較的ゆるい校則すら違反をしない模範的な女子高生が心の底から軽蔑するように絵馬を見ていた。


「赤裸々もなく女子を眺めるのは楽しいの?」

 蔑むような冷たい視線を向けられる。

「どう考えても赤裸々に見てる方がキモいだろ」

「いやいや、見てるだけでかなり気持ち悪いからね?」

 げんなりした表情を決め込まれてしまった。

 蒼を象徴する黒のロングヘアも同調するように項垂れている。


「それより美空はどこか行くの?」

「食堂。今朝、買う時間なかったから」

「そうなんだ。私も今日はお昼忘れたから行こうと思ってたんだ。でも初めてだから一人で行くのって怖いなぁって思ってさ?」

 傾げた小首に沿って黒髪がさらりと揺れる。

 潤荘な瞳がこちらを覗き、不安そうな捨て犬の空気感を滲ませていた。

 健気な男心をうまく利用してくる。


「じゃあ一緒に行くか」

 そう言うが、きょとんと首を傾げられる。


「ふぇ、どうして?」

「今のは『私、食堂初めてだから付いてきてほしいなぁ』って顔じゃないのかよ」

「えーっと全然違ったんだけど……。そんなにあざとく見えた?」

「こうやって女子に妬まれていく子もいるんだろうなって思った」

「それは本当にごめんなさい。でも、ついてきてくれるなら嬉しいかも」

 蒼はくすくすと可笑しく目尻を下げ、素直にねだってきた。


「一年って早いねー」


 何気ない顔で蒼が言う。

 一年生の自分を思い出しているのだろう。

「過ごしているときは思わなかったのに終わってみると二年生だもんね」

「うん、だな」

「……」

「……」

「はあ、美空ってほんとにめんどくさいね。そういうところ直しなね?」


 どうでもいい内容だったので質素に返したがお気に召さない点があったらしい。

「それまだ言ってくるのかよ」

「仮にも女子が話題を振ってるんだよ? 嫌でも反応してよ」

「蒼だから大丈夫」

「いつか痛い目に遭うね」

 意味のない会話をしているとすぐに食堂が見えてくる。


 食堂は今日から再開ということもあり、多くの人で賑わっていた。その中を割り込んでいく勇気もなかったので、中へは入らずに絵馬と蒼は外にある自販機に向かった。食堂営業は昼休み限定だが、食堂の外には常時運転している軽食の自動販売機が設置されている。基本的に昼食は持参や食堂での利用が多いが、この自販機を使用する人も少なくない。


「じゃあオレはコロッケパン」

「え、もう決めたの。えええ、どうしよ」

 先に買い物を済ませると蒼が悩み出す。


 初めての利用なので味の想像が難しいらしい。これは助言をした方が良さそうだ。

「で、何にすんの。ハムカツサンド? ハムカツサンドだよな、美味しいよなハムカツサンド」

「どうしてそんなに推してるに買ってないの。私もコロッケパンにしよ……わっ」


 投入口に小銭を近づけるが、小銭が蒼の手からするりと離れ落ちていく。

「今時、ドジっ子キャラは流行らないぞ」

「そんなんじゃ無いから。って、それより手伝ってよぉ」


 無情な金銭は少し離れたところで青色のスリッパに当たって止まった。スリッパの主はスカートに気を遣いながら膝を曲げ、小銭を拾い上げる。


「どうぞ」


 そして優しい声音で蒼に声をかけた。

「あはは、ごめんねぇ」

「いえ、全然大丈夫ですよ。ちょっとした軽い運動になりましたから」


 小銭を拾った一年生の女子生徒は軽い言葉も添えている。低い声帯で柔らかいフォローをするんだなと思い、視線を向けると、思わず「おっ」と声が出てしまった。


「ぼーっとしてる一年生」

「えっ」

 思わず呟くと、驚いたように目を丸くされる。


 陸上部の体験入部をして、男子生徒を無視していた背の高い綺麗な顔立ちの一年生は瞳を揺らして絵馬を凝視していた。

 何か変なこと言ったっけな。

 思い返していると昨日の放課後に変態呼ばわりされていたことを思い出す。できれば思い出したくなかった。


「悪い、なにもないから気にしなくていいよ」

 戦略的撤退。蒼はすでに自販機と向き合っているので、一年生にとっても絵馬にとってもこれがベストな判断だ。


「……」

「あー、どうした?」


 まだ見つめられていたので思わず聞いてみる。すると一年生は気まずそうに顔を俯かせた。その行動は昼間と同じで、また違和感を作り上げてしまった。


「い、いえ。その、……あの」

 目立たしいほどの動揺は、時間の経過と共になくなっていく。


「ごめんなさい。何もないです」


 何に対してなのか分からないが、一年生は即座に白旗を上げた。そして深々と頭を下げると、早々と足先を反対方向に変える。


「なんだあれ」


 残された絵馬はそう漏らすしかなかった。狼狽えたと思えば、落ち着きを取り戻して走り出す。気が動転したようにも見えたが、最後の表情は何かに納得しているようにも見えた。


「逃げ出すほどのセクハラでもした?」

 終盤を見ていたのか、蒼が怪訝な顔で聞いてきた。

「さあ、無意識にしちゃったのかも」

「うわぁ、ひくなぁ。でも、あの子……」

 心当たりがあると、蒼が小さく呟く。


「蒼も知ってんの?」

「うん。昨日、陸上部の仮入部にいた。とびっきり綺麗な子だったから覚えてる」

「確かに、めちゃくちゃ顔がいい」

「でもあの子、ちょっと変わってたんだ」

 脳に搭載されていない未知の生き物を見たような口調で蒼がぼやく。

「男子嫌いって感じがしたな。分かりやすく男子を避けてたから」

「なんで?」


「男子に声をかけられても無視っていうか、話しかけた男子に視線も向けてなくて。でも、女子に声をかけられたときは愛想よく返したんだよね」


 それは昨日、絵馬も目にした光景。そして直前にも似たような光景を目撃している。

 蒼の推測だけで納得している自分がいた。露骨すぎる気もするが、男子嫌いと考えれば行動に辻褄が合う。つまり絵馬のことは変態という認識ではなく、嫌いだったようだ。どちらも辛い……。


「へえ、女子高生も大変だな」

「あれ、もしかして興味ない?」

「んーん、知らない人の話は深掘りするもんじゃないなって思ってるだけ」

「興味ないんだ……。でも意外。美空って可愛い子には興味持つのに、あの子は気にならないんだね?」


 馬鹿にされていると感じつつ、絵馬は体を校舎に向き直す。


「なんか誤解を生みそうな言い方してくるのな」

「違うんだ?」

「本当に可愛い子や綺麗な子は見てるだけで充分なんだよ、バーカアホ」

「誤解どころか、さらにキモさとウザさが増した答えで返ってきたんだけど……」


 不愉快そうに眉を顰めた蒼は、少しの考えを終えてから手のひらで音を鳴らした。


「ああ、でもそっか。美空って年上好きだもんねっ」

「いや、そんな属性持ってないんですけど。どこ情報なの?」

「あれ、そうだっけ?」

「そうだよ、オレは美人なら誰でもいける口。美人になら、あんなことやこんなこともされたいですね。ぐへへ、なんちゃって」


 絵馬の冗談に対して、蒼は形のいい唇を静かにしならせて、蒼は和気藹々と美しい微笑を浮かべる。

「どこまですると根を上げるのか気になるね。色々試してみたいかも!」

「あはははー、……へ?」


 何を試すのだろうか……。

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