さながら逃避行

しゅとこふ

一章 第1話


美脚ってすごい。

帰宅途中の網膜に映し出された光景は、美空絵馬に衝撃を与えていた。


もし、一日ごとに走馬灯があれば、視界に映っている女性の脚だけが映し出されるのではないだろうか。そんなことを考えてしまうほど美脚は絵馬の一日を瞬時に塗り替えた。


「へ、変態だ……」


 だが、そんな声が聞こえて絵馬の思考は停止した。


 対岸の歩道にいる美脚とは反対側。

絵馬も通っている槻志野高校のグラウンドから聞こえた声だった。ある女子生徒が絵馬を見つめている。察するに彼女が「変態だ」と失礼なことを言ってきたのだろう。ただ否定ができる状況ではない……。


彼女はグラウンド上で体操着を着用していた。体操着の色は学年ごとに異なるので彼女は一年生だと分かった。つまり美脚に見惚れている姿を年下である一年生に見られていたようだ。なんたる醜態。


「……」

「……」


 三秒……、四秒……、五秒と時間が進む。

 一年生は絵馬から視線を逸らさない。変態に見つめられたのなら怖くて逃げ出すと考えていたが最近の子はそうでもないらしい。


一年生は一七◯センチには満たない背丈に首元にかかるショートヘア。前髪は長く、毛先がくっきりとした綺麗な双眸に乗っている。一言でいうなら、『かっこいい女の子』という言葉がよく似合う容貌をしている。


「……」

「……?」

「……」


 なぜ、一年生は驚いた表情のまま動かないのだろうか。

自分で確立した考えはすぐに取り消した。無言で女性の脚を見つめている男子なんて気持ち悪いに決まっている。一年生の驚嘆ぶりからして、もしかすると絵馬の口からはよだれも垂れていたかもしれない。気をつけよう。

 一年生に次の動きが見えないので絵馬から視線を逸らすことにした。すると、うっすらと視界の端の方では一年生も絵馬のことは忘れて動きを再開している。


「おーい一年生。次はこっちなー」


 陸上部の男子部員が遠くからそう呼びかけている。

一年生というのは絵馬と無言を共にした女子生徒のこと。どうやら体験入部をしている部活は陸上部のようだ。


「おーい?」

「……」

「一年生? あれ、聞こえてないのか?」

「……」

「おーい?」


 呆れて絵馬も一年生に視線を戻す。

四回目となる陸上部員の呼びかけに一年生は見向きもしていない。これ以上は男子部員が可哀想に思えてきたので、代わりに声をかけてみる。


「呼んでるぞ。行かなくていいのか?」

「……えっ」


 体の半分だけで一年生が静かに振り返る。

見えた瞳は顕著に驚きの感情を宿していた。


「ほら、あそこ」

声をあげていた男子部員に指を向けると、一年生は急いで男子部員の方向を見た。

でもまたすぐに絵馬に向き直す。

不思議なことに彼女の硬直した表情はまだ続いている。


「あ、ありがとうございます……」

 何かに動揺したまま、お礼が絵馬に告げられる。

「いいえ、頑張ってな」

 一年生は動揺しつつも、こくりと頷く。


 その間も一年生は絵馬を見つめていた。何かを気にするように絵馬を観察している。

それが気になって、もう一度声をかけてみる。

「どうかした?」


「……どうして、見えるんですか?」


「はあ?」

 彼女の口は淡々と進んでいる。

 だからこそ、言葉の意味が分からなかった。


「どういうこと?」

「いえ、その……」

 一年生の口調が鈍ると、彼女の背後から、

「おーい、次はラダーだよ?」

 と、陸上部の女子部員が声を張り上げて呼んだ。

 そこで一年生の視線がようやく変わった。


「あっ、はい。分かりました」

 似たような大きさだが、今度は一年生にも聞こえたらしく、言われた練習場所に向かっていく。その道中、二回ほど絵馬を気にして振り返っていたのがやけに印象に残った。

「なんだあれ」

 思わずそう呟く。


————どうして、見えるんですか


 まるで自分のことは誰も見えていないかのような言い方だった。

ただ陸上部の男子部員と女子部員には声をかけられていたので彼女が見えているのは絵馬だけではないはず。


つまりこれはどういうことだろうか。

新しい求愛方法ならかなり斬新だ。

 

 

 

 

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