第71話 宍戸梅軒
「まず当時の状況を整理しよう。自称宮本武蔵と林太郎さんはこの橋のすぐそばで戦った。そして林太郎さんが駆けつけたとき、現場には辻斬りと新徴組の隊士たちがみんな背中を斬られて倒れていた」
何を今更わかりきったことを言っているんだろうとアーシアと真琴が怪訝な顔をするが、沖田はかまわず続ける。
「現場は野次馬で囲まれていたって話だけど、野次馬はどんな風に集まってたと思う?」
「ぐるっと囲んでたんじゃないデスカ?」
アーシアの無邪気に返事を、真琴が「いや」と遮る。
「野次馬が来たのは武蔵なる曲者が辻斬りを斬り倒し、新徴組を挑発してからだ。尋常な勝負だと大声で騒ぎ立てたから野次馬が集まったのだからな。つまり」
外濠を上辺として、半円を描くように人垣ができていたはずだ。濠側にはもちろん人はいない。
「それじゃ、橋の上には人がいたと思う?」
「いないだろう。門限を過ぎていたからな。虎ノ御門の内側からは人が来れなかったはずだ」
「そのとおり。念のため確認しておこう」
沖田は木戸番の老女に、昨晩の騒ぎの間、橋の上に誰かいたかを尋ねる。すると老女は「いえ、おりませんでしたねえ」と首を横に振った。目を患っていてもそれぐらいは見える。
「つまり、林太郎さんと宮本武蔵が戦ったとき、そこから橋までは素通しだったんだ」
「それはわかりましたが……何の関係があるのデスカ?」
「素通しだとして、橋の上には誰もいなかったのだろう? 橋から伏兵が奇襲をすることもできん」
真琴の言葉に、沖田は大きく頷いた。
「その通り。伏兵はなかったんだよ。すべては宮本武蔵ひとりで行ったんだ」
「一人で? しかし、林太郎殿は後ろから足を引かれたと……」
「そう、手鎖のようなもので足を引かれた。それが手がかりだったんだ」
どういうことだろう、アーシアも真琴も話が見えてこない。
「口で説明するより、まず見せたほうが早いかな」
沖田は刀の下緒を解くと、鞭のように橋の欄干を打った。
すると下げ緒は当たったところを支点にぐるりと回り、沖田自身の手を打った。
「鎖をこうやって欄干に引っ掛け、後ろから攻撃したのさ。欄干が黒く汚れていたのは闇に紛らすために墨か何かを塗っていたんだろう」
「なんと……そういうことだったのか」
真琴は目を丸くし、欄干についた黒い擦過痕を見る。
アーシアは沖田から下緒を借りると欄干をピシピシと叩いて遊び始めた。
「うーん、でもこれ難しいデスネ。こんなに近くても狙い通りにはいかないデスヨ」
「ああ、尋常一様の使い手じゃない。達人と言ってもいいだろう。宮本武蔵と名乗った上に二刀流じゃどうしたってそっちを気にする。鎖に気がつかせないための目眩ましでもあったんだろうな」
「しかし、総司殿、それではまるで……」
宍戸梅軒のようではござらぬか、という真琴のつぶやきに、
「シシドバイケン?」
とアーシアが青い目を丸くして尋ね返した。
「宍戸梅軒っていうのは宮本武蔵が戦ったっていう武芸者の一人だね。鎖鎌……鎌に鎖分銅をつけた武器、これの達人だったって話だ」
「へえ、変わった武器デスネ」
「実戦で使ってる人は俺も見たことがないね。刀だと警戒されてしまうときに、鎌ってことにして油断させるための武器だったんだろう」
そもそも宍戸梅軒は後世の創作ではないかとも言われているのだが、そんなことまでは沖田も知らない。
「講談での話となってしまうが、宍戸梅軒は伊賀流の忍者だったはずだ。つまり、やつは忍者であったということか?」
「そこまではわからないけど、忍術めいた技も修めてるのは間違いないだろうね」
二刀流が見せかけの虚仮威しであれば、林太郎も惑わされることはなかっただろう。それに沖田は横浜でクラーケンの触手を両断してみせた宮本武蔵の腕前を目撃している。二刀流と鎖術、最低でもこの二つは使うと見た方がよい。
「それにしても暗器での不意打ちとは……卑怯者め」
「あー、それは心得違いかな」
「何?」
沖田の言葉に真琴の目が吊り上がる。
立合いに暗器を用いるなど卑怯ではないか。
「なるほど、柳生流ではそう考えるわけか。さすがは王者の剣だね。でも天然理心流では違う。実戦ではなんでもありだ。一対一での立会を約束したのに複数で襲ったら卑怯だけれど、使う武器や技に卑怯も何もない」
「なんと……」
「それに今は剣や槍だけじゃなく、銃や大砲も相手にしなきゃいけない時代だ。相手の得物にケチをつけてたらとてもやってけないよ」
「むう……」
道場での試合ののちに聞いたが、沖田の肩の傷は拳銃で撃たれたものだという。その沖田に「相手が銃でも卑怯ではない」と言われてしまえば返す言葉もない。
「一対一を破ってくれてたらいっそ気が楽だったんだけどね。こっちも堂々と門人を率いて膾切りにできたんだけど」
「総司殿!?」
「それくらい当然にやるよ。天然理心流には集団戦の技もある。でも本当に尋常の立ち合いだったのならそういうわけにもいかないな」
沖田の発想にぎょっとした真琴だが、続く言葉でほっと胸をなでおろした。それにしても戦いに対する姿勢、考え方があまりにも異なる。将軍家御留流として二百年以上実戦を避けた柳生流と、在野で磨き続けた実戦流派の違いを思い知らされるような気持ちもあった。
「中沢様! 中沢様ぁーっ!」
そこへ真琴を呼ぶ声が聞こえてきた。
見れば目明しの弥次郎が息せき切って走ってくるところだった。
「どうした、弥次郎」
「ど、どうしたもこうしたも。あ、あの宮本武蔵って野郎、今度は白昼堂々、日本橋に現れやがったんで! それで、お上が手こずった辻斬りを簡単に捕らえてやったとか、新徴組に稽古をつけてやったがてんで話にならなかったとか、さんざん吹聴してやがって!」
「何ぃ!」
真琴の顔が怒りで赤く上気する。
あの男はどこまで虚仮にすれば気が済むのか。
「すぐに行く!
「へい! 合点承知で!」
駆け出す二人を、「俺たちも行こう」と沖田とアーシアも追いかける。
「まだわからないことも残ってるしね。ちょうどいい、手妻のタネを確かめさせてもらおうじゃないか」
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