第70話 謎はすべて解けた

 夜が明けて、沖田、アーシア、真琴の三人は虎ノ御門の前にいた。

 昨日の事件が起きた現場である。外濠そとぼりから立ちのぼる朝霧に、門へと続く橋が霞んでいた。江戸城外濠などと言うが、別にこの橋を渡ったらそのまま江戸城というわけではない。


 江戸城はいわゆる総構えであり、町家も含んだ広範囲を縄張としているのだ。令和現代の我々にわかりやすく表現するならば、JR中央線の四谷から神田を上弧とし、その両端から東京湾まで囲んだ、蓋付きのお椀めいた楕円が江戸城の外濠なのである。


「どうしてわざわざまたこの場所に?」


 真琴が疑問を口にする。

 すでに現場は閑散としており、くだんの曲者である宮本武蔵の姿も当然ない。地面には血消しの砂が撒かれ、昨夜の乱闘が嘘のように片付いていた。


「林太郎さんは搦め手にやられた。まだ正体はわからないけど、現場を見れば何か手がかりがあるかもしれないからね」


 そう言って、沖田は辺りに視線を巡らす。

 アーシアもそれを真似てむむむと眉間にシワを寄せ、辺りを見渡した。


「林太郎様は後ろから足を引かれたのデスヨネ?」

「ああ、鎖のようなものに巻き付かれたと言ってた」


 するとアーシアは地面に這いつくばり、犬が地面を嗅ぎ回るかのように探り出した。


「アーシア殿、一体何を?」


 アーシアの奇行に真琴が不審な顔をする。

 真琴にはアーシアが異人であることをすでに明かしていた。ネクロノミコン周りの云々は伏せていたが、幕府の密命で沖田が警護しているという点は伝えている。そうしなければ沖田と行動を共にしていることを説明しにくくなるし、ふとした時に正体が露見したときに騒ぎになりかねないからだ。


「地面の下からグールなどが飛び出して足を掴んだのかもしれマセン」

「ぐうる?」

「えーっとね、忍びの一種みたいなもの」


 アーシアの発言を沖田がフォローする。

 グールなるものは知らないが、おそらく魔物の一種だろう。

 魔物の生態や行動が常の生き物とはまるで異なることはもう重々に承知している。沖田も一緒になって地面の様子を探り出すと、真琴もおずおずと四つん這いになった。


「うーん、地面に怪しい様子はないデスネ」

ほりはどうだろう。水の中から何か仕掛けてきたのかも」

「水中から? まだまだ氷が張る季節ですぞ。そんなことがありえましょうか」

「相手は忍びかもしれないからね。どんな手を打ってきてもおかしくない」


 沖田は真琴の疑問を強引に押し切る。忍びというのは便利な言い訳だ。今後はそれで押し切ってしまおう。沖田の脳裏にあったのはディープワンやヒュースケンの魔術だが、その説明をしていると日が暮れてしまう。だいたい信じてもらうことすら難しいだろう。


 濠の様子を探るが、石垣や水面に怪しい様子は見られない。

 真琴と距離が離れた隙に、沖田はアーシアに小声で話しかける。


(瘴気は感じる?)

(いえ、とくに濃いものは感じマセン。辺り一帯に薄っすらと残り香を感じますが、たぶんミヤモトムサシのものだと思いマス)

(ということは、この場にいたのは宮本武蔵の一人だけ?)

(絶対とは言い切れないですが、他の魔物はいなかったと思いマス)


 地中からも堀からも奇襲がなかったのなら、林太郎の見立て通りに野次馬の中に手先が隠れていたのだろうか。プリュインや居鷹村の民のように魔物ではない一般人の協力者がいてもおかしくはない。


 しかし、それでも不信は残る。

 野次馬に紛れて手鎖を投げつけた者がいたとして、誰も気がつかないなんてことがあるだろうか。辻斬りの三人は除くにしても、新徴組の隊士が十人以上倒されるまでに気がつかないなど考えにくい。


「忍びの技といえば、橋の裏に潜むこともあるそうでござるが」


 橋桁の下を覗き込んでいる真琴のもとに向かうと、ちょうど虎ノ御門がぎぎいと軋みながら押し開かれた。朝六ツ(午前6時頃)を過ぎて門限が終わったのだ。江戸の各所を塞ぐ門は治安対策で夜四ツ(午後10時頃)から朝六ツまで閉じられている。


「そういえば木戸番にはまだ話を聞いてなかったな」


 雑巾を持って欄干を拭きに出た老女に声を掛ける。

 大抵の木戸番は老夫婦で、番小屋に住んでいる。門限中に通行人があったときのために夜通しの番をしているので昨晩の騒ぎも知っているはずだ。


「すまないけど、昨日ここであった捕物騒ぎについて聞いてもいいかな」

「これはこれはお武家様。何なりと」と手を止める老女に、

「続けながらでいいよ。仕事の邪魔をするつもりはないから」

「へえ、それは恐れ入ります」


 普段から役人とのやり取りが多いからだろう。

 武家相手だからと無闇にかしこまることはなく、老女は沖田の言う通り欄干の掃除を再開した。夫らしい老人も箒を持って橋板を掃き始めていた。


「昨日の騒ぎには気づいてたよね?」

「へえ、もちろん」

「何か気がついたこと……いや、野次馬の中に様子がおかしい人間はいなかったかい?」

「さあ、どうでございましょう。夫婦揃ってこれでございまして」


 老女がこちらを向くと、その目は白く濁っていた。老人性の白内障だ。事件があったのは夜中だ。これでは濠を隔てた野次馬の様子などまともに見えはしまい。手がかりは得られずか、と沖田はため息をつく。


「ありゃあ、漆がひどく禿げてるよ。じいさんや、職人さんを呼んできてくれないかねえ」


 落ち込む沖田などつゆ知らず、恬淡と仕事を続けていた老女が掃き掃除をしていた夫に声を掛ける。


「ありゃあ、こりゃ確かにひどい。誰かが縄でも引っ掛けて遊んだのかねえ」

「ひどい悪戯だねえ。ああ、しかも見てごらん。あっちもこっちもだ」

「縄?」


 老人たちの愚痴を聞いた沖田は、話題となっている欄干に目をやった。するとたしかに、擬宝珠の下のくびれに何かを巻き付けたようなこすれ傷がついていた。傷には黒い塗料がこびりついている。


「はて、これは何であろう?」

「何の傷ですカネ?」


 真琴とアーシアもやってきた。

 美人二人が揃って小首を傾げる様子に、沖田は意味もなく咳払いをして背を向け、どこからか湧き上がってきた雑念を払う。


(何かが巻き付いて擦れたような傷……そういえば林太郎さんは手鎖のようなもので足を引かれたと言っていた。それも背後から……)


「ソージ様、どうしたのデスカ?」

「総司殿、いかがなされた」


 考えていると、正面に回り込んで顔を覗き込んできた二人にまたもドキッとしてしまう。これではまるで奇襲だ。

 そう、まるで宮本武蔵が行ったかのような人を驚かす奇襲である。

 その刹那、沖田の脳内に電流が走った。


「そうか、回り込んだんだ!」

「?」


 またしても揃って首を傾げる二人に、沖田は咳払いをしてから推理を披露し始めた。

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