第69話 真琴の正体
「痛たたたた……」
「申し訳ない。まさか怪我を負われていたとは……」
「いや、それは気にしなくていいよ。俺が油断したのがいけないんだし」
「そうデスヨ! まだ完治してないのに女の子と喧嘩なんて何を考えてるんデスカ!」
「面目ない……」
念のためアーシアの手当を受けながら、沖田は真琴と向かい合って座っていた。真琴は赤面して顔を伏せている。
「どうしてこんなことになったんデスカ?」
アーシアから問われ、沖田は仕方がなくいきさつを話す。
それを聞いたアーシアは「はあ」と呆れてため息をついた。
「そんなつまらないことで喧嘩してたらきりがないデスヨ! ソージ様はわたくしの守護騎士様なんですから、もっとでんと構えていればいいんデス!」
普段の沖田ならばあの程度で喧嘩をしたりはしない。
林太郎が重症を負わされたこと、それが仇敵である坂本龍馬にかかわる事件であること、さらに一連の戦いの中で力不足を感じることが続き、内心に苛立ちが溜まっていたのだ。
それを自覚した沖田は改めて誠に対し改めて頭を下げた。
しかし、真琴はさらに深く頭を下げて応じる。
「元を言えば些細なことで貴方を侮った拙者に原因がある。それに正直を申せば、噂の沖田総司殿の実力を測りたかったという下心もあったのだ」
「それなら素直に試合を申し出てくれればよかったのに」
「総司殿は天然理心流試衛館の塾頭でござろう。流派の剣名を守るために、他流試合などそうそう受けられる立場ではないのでは?」
「いや、
「え?」
沖田の返事に、真琴はぽかんと口を開ける。
このあたりは認識の違いがあった。江戸市中で高名な流派は師範や高弟は安易に他流試合を受けないのだ。真琴の言う通り、滅多なことでは負けられない立場だからである。一方で天然理心流は竹刀試合の勝敗に重きを置かない。試合はあくまで試しである。買っても負けても修行になればよいという考えだ。
「では、拙者はなんと無用なことを……」
真琴はますます顔を赤くして俯いた。
こうなると沖田もいたたまれず、慌ててしまう。
「俺は本当に気にしてないからもういいんだけど、ところで真琴さんも何か思うところがあったんじゃないの? 事情があるなら聞かせてほしいけど」
女だてらに新徴組に入り、しかも副組長まで務めているとは尋常のことではない。真琴が男装していたというのもあるが、当然男だろうという思い込みのために気がつかなかったのだ。その点、先入観のないアーシアがひと目で気がついたのは異人ゆえの感性と言えよう。
そして法神流を名乗るのにも違和感があった。法神流の使い手とは手合わせしたことがあるが、もっと粗野で攻撃的な剣だ。一方、真琴の剣技にそれは感じられず、上品で防御的に感じたのだ。
「そこまでお気づきならば、包み隠さず申し上げる。それに林太郎殿にはお伝えしていること。総司殿であればお話しても問題ありますまい」
真琴は顔を上げて居住まいを正した。
凛としたかんばせがまっすぐと沖田に向けられる。美形の男だと思っていたときは平気だったが、女とわかるとなんとなく気恥ずかしい。沖田は目を逸らしたくなるのを我慢してその瞳を受け止めた。
「中沢真琴という名は偽名でござる。本名は柳生真琴と申す」
「や、柳生!?」
驚いて声を上げてしまうが、慌てて口を閉じた。
そして小声で尋ねる。
「柳生って、柳生流の、あの柳生?」
「そうでござる。拙者、十代藩主柳生
柳生と言えば一万石の大大名だ。
それも神君徳川家康の御代から将軍家指南役を務めてきた譜代中の譜代である。ここ数代、柳生家当主は夭折が続いたために現在の藩主は十三代俊益のはずだが、三代前であっても大名の姫であることに違いはない。
「そんなお姫様がどうして?」
「柳生流の強さを確かめるためにござる」
真琴は唇を噛み締めて続けた。
「天下泰平の二百余年、ご存知の通り柳生流は、将軍家御留流として他流試合の一切を禁じ申した。無論、一族郎党日頃の修練は怠っておりません。しかし果たして他流を交えた実戦に耐えうるのか、恥ずかしながら柳生の者でも確信が持てぬのが実情。そして今では市中にまで柳生弱しの声が密かに広がり――」
そこに現れたのが宮本武蔵だったというわけだ。これまでは柳生の強さに疑念を持ちつつも、それを声高に叫ぶ者などいなかった。柳生流、そして将軍家への明らかな挑戦である。
「拙者は林太郎殿より天然理心流の手ほどきも受けてござった。その林太郎殿が卑怯な手でやられたと聞き――」
頭に血が上っていた、というわけだ。
蓋を開けてみれば不機嫌な者同士の八つ当たりが互いにぶつり合っただけだったのだ。
「しかし、総司殿の技には本当に感服仕った。拙者が柳生を代表するつもりなど毛頭ないが、天然理心流の強さは間違いなく本物。そこで伏してお願いしたき儀がござる」
真琴は床に手をつき、沖田に向かって深く頭を下げる。
一体どんなお願い事だろう。ろくな予感しかしない。
「拙者を弟子にし、宮本武蔵なる痴れ者を討ち果たせるまで鍛えていただけないだろうか」
「ええ……」
「ソージ様!」
思わず嫌な顔をした沖田に、アーシアが叱るような声を出す。
アーシア自身がそれを求めることはないが欧州は騎士道精神の国である。助力を求める女性の願いを無下にするなど、彼女の守護騎士たる沖田にはあってはならないことなのだ。
そういう細かい機微は沖田にわかるものではないが、沖田としても女の頼みを断るのは大の苦手である。気の強いみつが母代わりだったせいもあるだろう。
ともあれ、女二人に押し込まれる形で沖田はこの依頼を受けることになってしまった。
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