第68話 一手指南仕る

 新徴組屯所の道場は広々としていた。

 壁には竹刀や木刀、木槍が何十本もかけられ、板張りの床はどれだけの人間がすり足をしたのだろう、脂を吸ってぴかぴかと輝いている。天井は高く、大上段でも天井や梁にぶつかる心配はない。さすがは幕府のお膝元というだけはある。百姓家に間借りしている新選組とはずいぶんな待遇の違いだと沖田は思った。


「天然理心流、新選組一番隊組長沖田総司殿、一手ご指南いただこうか」


 中沢真琴は薙刀を手に取り道場の中央に立った。

 本身ではなく刃まで木製のものだ。

 沖田は木刀を手に取りかけ――思い直して竹刀を手に取った。

 刃渡りは二尺三寸五分(約70センチ)の定寸。

 竹刀としてはやや短く、本身としては定番の長さだった。


「長物に剣で対するには三倍の実力がいるという。貴殿が知らぬわけがなかろう。それを知って、あえてその竹刀を選びなさるか。貴殿は拙者の得物に注文を付けはしないと言ったが、不利な得物で負けの言い訳を取り繕うという魂胆であったか」

「はあ、何でもいいよ。どうせ勝つから」


 沖田は肩をすくめ、竹刀を素振りする。

 真剣に比べてあまりに軽く、頼りない。

 天然理心流の稽古は木刀がもっぱらだが、竹刀を使わないこともない。しかし、身に合わぬ長寸の使用は禁じられている。相手の体に先に触れれば勝利という道場試合では長く軽い竹刀の方が当然有利で、江戸で隆盛を誇る流派はいずれも長い竹刀を使っている。要するに「試合で勝てばよい」という剣術流派ばかりなのだ。


 しかし、天然理心流は異なる。

 心得はあくまで実戦だ。

 道場試合の勝ち負けなどには頓着せず、命の取り合いの場でどちらが勝るのか。そこにしか関心のない流派である。


 自然、他流試合では道場試合に特化した他の流派に遅れを取ることが多く、田舎剣法と馬鹿にされることもある。しかし、令和の現代のように警察が守ってくれる時代ではない。押し込み強盗や追い剥ぎにあったとき、暴漢を実際に撃退できる力を持つ天然理心流は多摩の百姓の間で人気があった。


 歯ぎしりをする中沢真琴に、沖田は竹刀の切っ先を向ける。

 まずは普通の正眼だ。鍔元から剣の先端までを一直線に相手の目に向ける。こうすることで相手の目からは剣が点にしか見えなくなり、間合いが掴めなくなるのだ。


 それに対し、中沢真琴は薙刀を右下段に構えた。

 長物を持つ者が剣に相対して、まず警戒すべきは間合いの広い突きである。突き込んできたら切り上げで払い、返す振り下ろしで仕留めようという算段だろう。


(基本は出来てるな)


 今度は刃を寝かせ、天然理心流の平晴眼に切り替える。

 ただの正眼とは異なり突き以外の攻め手が増えた。変化が豊富で攻め手を読ませないのがこの構えの利点で、沖田は好んで愛用している。


 すると中沢真琴は薙刀を斜めに立てる。

 突きならば打ち下ろして短く持った穂先で突き返す。横薙ぎならば柄で受けてそれを支点に長柄を回して反撃する。なるほど理に適った受けの構えだ。


(でもねえ……)


 沖田はひゅうと深く息を吸うと、それを一気に吐き出して突進した。得意の三段突きではない。平晴眼を右八相に切り替えての突撃だ。ほとんど体当たりと言ってよい。


「ぐうっ!?」


 竹刀を長柄で受けた真琴が呻く。

 一気に壁まで押し込まれ、背中を打ち付けた。


「受けの剣は、受けられるだけの力がないと何の役にも立たないよ。剣は小手先で斬るものじゃない。体で斬るものなんだ」

「何を……っ!」


 真琴は満身の力で押し返そうとする。しかし、沖田の竹刀はぴくりとも動かない。まるでマチ針で縫い付けられたかのように壁にはりつけにされていた。自分も膂力に自信があるわけではない。しかし、ほぼ同じ体格、細身の男になぜここまで力負けしてしまうのか。


 所詮、この身に生まれたのが間違いだったのか……!


 真琴は唇から血が流れるほどに歯を食いしばり、両腕に力を込める。だが一旦壁際に押し込めれてしまっては踏ん張りがきかない。薙刀を滑らせて反撃に転じようなどとすれば首筋に切っ先が押し当てられて頸動脈を断ち切られるだろう。


 竹刀の戦いである。

 そんな打ち込みにもなっていない攻撃は無効だと言い立てることもできよう。だが、真琴はそれが出来るほどに剣術・・には溺れていなかった。


「うあああああっ!」


 だが、何もせぬまま負けを認めるわけにはいかない。

 薙刀で竹刀を受けたまま片足で蹴たぐって足払いをかける。


「きゃあっ!?」


 しかし、刈ろうとした足が反対にすくわれて、ドタンと床に背中を打ち付けた。沖田に押し倒され、首筋に竹刀を押しつけられた形となる。


「筋は良かった。堅実な剣筋だね。ただもっと攻めっけがないと怖さが足りないかな」


 沖田は馬乗りになったまま言葉をかける。

 一手指南、という建前である。

 沖田は一応は褒めてから改善点を端的に口にした。

 今回の負けは純粋な膂力不足に負うところが大きい。沖田自身も小柄で、膂力に恵まれた体ではない。それゆえに「体で斬れ」などと力を重視するのだが、天禀に恵まれぬ者にそれを求めるほど残酷でもなかった。


「しかし、君は法神流だろう? もっとあの手この手の搦め手で来るのかと思ってたんだけど。君みたいに線が細い人はそっちの方が向いてるんじゃないかな」


 とはいえ、つい余計な一言も継いでしまうのが沖田の性である。

 法神流が天狗剣法と呼ばれるのはぴょんぴょんと跳ね回る奇襲を得意とするからだ。それにしてはこの中沢真琴の手筋はあまりにも真っ当すぎた。勝つための剣というよりも、むしろ負けぬための剣に感じられたのだ。


「ぐううう……」


 もう勝負はついたというのになかなか降参してくれない。

 沖田の自覚がない挑発のために後に引けなくさせてしまったのだが、自覚がないのだから気づけようもない。

 左肩の傷が開きかけているのかずきずきと鈍い痛みを訴えている。もう面倒だ。やわらで首を絞め、気絶させてしまおう。片手を襟にかけて引こうとする。だが、肉に手が触れるとそれが妙に柔らかいのが気になった。


「な、何をする! やっ、やめろっ!」


 真琴は身を捩らせて抵抗する。

 顔を真っ赤に染めて、これまで以上に必死な形相だ。

 寝技に対抗するのは当然だが、それにしたってどうも様子がおかしい。

 そう、沖田が不審を感じたときだった。


「ワァー! ソージ様! 女の子に何をしてるんデスカ!?」

「は?」


 いつの間に道場にやってきたのか、アーシアの叫びに気を取られる。その隙に馬乗りを返され、肩の傷口に拳を当てられ「ぐえっ」と情けない悲鳴を上げた。

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