第62話 沖田林太郎

 沖田たちが横浜を出立したのはヒュースケンの事件が片付いてから五日ほど後のことだった。弾丸が貫通していたとはいえ沖田の傷はじゅうぶんに重傷と言えるものだったことと、今後の共闘について蛸髭と密談を重ねていたからである。


 新選組は純粋な陸戦集団であり、海戦力を持たない。一方、蛸髭は船を持つものの陸戦能力がない。今後もヒュースケンを追うには両者の協力が不可欠であり、両者が同盟関係を結ぶのはいわば必然の結果であった。


 横浜から江戸まではゆっくり歩いて半日少しの道程だ。

 沖田はアーシアと共に道々の風景や茶店の軽食を楽しみながら街道を進んだ。左腕は包帯で吊るしているが、痛みはすでにない。無茶をすれば傷口が開くかもしれないが、のんびり歩く分には特に支障がなかった。


 品川を過ぎたあたりから、引き連れる隊士の数がひとりふたりと減っていく。別に脱走というわけではない。新選組にはもともと江戸住まいだった者も多く、実家や妻子の待つ家に顔を出しに行っているのだ。冷徹な剣客集団のイメージが強い新選組であるが、この程度の融通はきくのである。まあ、全員の宿の面倒を見ると費用が馬鹿にならないという懐事情も多分に影響したのだが。


 沖田、土方、アーシア、それに四人ほどに減った平隊士とともに、市谷柳町いちがややなぎちょうの天然理心流試衛館道場に着いたのは日が西に傾き、橙色に変わり始めた頃だった。


 塾頭の沖田、そして宗家当代近藤勇の右腕である土方が顔を出すと、まだ道場に残っていた門弟たちが色めき立った。京から遠い江戸にまで新選組の活躍の噂は届いていたのである。


「大先生はいる?」と近藤周斎の所在を沖田が尋ねると、ちょうど数日前に出稽古に出かけたところだという。横浜から先触れの手紙を出していたのだが、行き違いになってしまったらしい。


 試衛館で出稽古といえば多摩郡一帯の村々へ出向き、百姓に指南をすることを指していた。沖田も何度も同行したが、気の良い周斎は請われるがままに納得いくまで教えるため、三日の予定が一ヶ月になるなんてこともざらだった。


 体力の限界だと言って勇に当代を譲った周斎だが、古希を過ぎてもまだまだ元気らしい。こうなると捕まえるのも骨なので、大師匠への挨拶はひとまず諦めることにした。江戸滞在中にはきっと帰ってくるだろう。


 武勇伝をせびる門弟たちには土方が対応する。

 土方の実家はやはり多摩の日野にあり、今から向かえば到着するのは真夜中過ぎだ。元より実家に帰るつもりはなかったらしく、門弟に命じて酒や肴を買いに走らせている。行く宛のない隊士とともに道場に泊まり、酒を飲みつつ武勇伝を聞かせてやろうという算段だった。


 沖田も軽く付き合って、唇を酒で湿した程度で退散する。

 盛り上げ上手な土方が仕切ると、みんな酔い潰れるまで飲んでしまうのだ。それに巻き込まれてはかなわない。自分ひとりならいいのだが、


「江戸のたくあんは京のものより塩っ辛くてご飯が進みマシタネ!」


 いまは無邪気に漬物の感想などを言う少女がいる。

 そう、アーシアである。

 ずいぶん生臭な印象だが、なんやかんや伴天連の尼である。それを男所帯に巻き込んで一緒に泊まるわけにはいかない。京の八木家では男部屋と女中部屋が分けられていたが、剣術道場である試衛館にそんな配慮はもとよりないのだ。夜這いをかける者でもいれば、それこそ国際問題になりかねない。


 というわけで向かう先は、


「ソージ様の実家ってどんなところ何デスカ? それにミツさんにも早く会いたいデス!」


 沖田の実家である。

 別段特別な場所ではない。沖田家は奥州白河藩の江戸詰藩士で、屋敷も下屋敷の一角にあるごく平凡な下級武士にあてがわれるものである。沖田が京に出立したあとは、実姉のみつと、その夫の林太郎が中元も雇わず二人きりで暮らしているはずだ。


 試衛館から歩くこと半刻弱、沖田は実家の門前に立っていた。

 夕日が建物に遮られ、すっかり薄暗くなっている。こうなれば他に宿を探すわけにもいかず門を潜るしかないのだが、どうにも踏ん切りがつかない。アーシアをどう説明すればよいものか悩んでいたのだ。


 仲間を連れて帰ることは手紙で事前に知らせている。

 しかし、それが女であること――ましてや異人であることなどはまったく触れていないのだ。いまは町人に変装しているが、泊まるとなれば隠しおおせるものではないだろう。何をどこから説明したらいいのか、皆目見当がつかない。

 そんな風に逡巡していると、


「おや、総司君かい? おかえり」


 と背中から声をかけられた。

 慌てて振り返ると、義兄の沖田林太郎がこちらに歩いてくるところだった。ともすれば気弱にさえ見える、武士らしくない柔和な笑みを浮かべて手を小さく振っている。


「お、おひさしぶりです。林太郎さんはお元気でしたか?」

「なんだい? いきなりしゃっちょこばっちゃって……」


 妙に堅苦しい沖田に、林太郎はやや困惑したようだった。

 林太郎が沖田家に婿入りしたのは沖田が2歳の頃であり、実父も実母も亡くしていた沖田を、父代わりとして面倒を見てきたつもりだった。結局、父とは呼んでもらえず内心では少し寂しくはあったが、そんなことは口に出さない。


「そんなところで突っ立ってないで、早く入りなよ。みつさんも総司君が帰ってくると聞いて張り切ってたよ。ほら、こんなものを買ってくるよう頼まれちゃった」


 林太郎は右手に桶を提げていた。

 中を覗いたアーシアが、「キャア」と歓声を上げる。


「おお、鰻デスネ! わたくし、鰻は大好物デス!」

「へえ、それはよかった……って、総司君、こちらはお連れさん?」

「え、ええ、まあ……」

「ハイ! わたくしがソージ様のお連れさんデス!」


 へどもどする沖田の横で、アーシアが元気良く応える。

 林太郎は「あー、うんうん、なるほど」とにこにこと顎を撫でた。


「なるほど、それは入るのに勇気がいるわけだ。ええっと、こんなところじゃなんだから、ちゃんとした挨拶は入ってからにしよう。ほらほら、総司君。可憐なお連れさん・・・・・をあんまり待たせるものじゃないよ」


 アーシアが訳あり・・・だと察してくれたのだろうか。

 ほとんど背中を押されるようにして、沖田とアーシアは沖田家の門をくぐった。

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