第60話 事後処理

廻厭隊かいえんたい六弾倉、か」


 坂本龍馬、そしてヒュースケンが海の彼方に逃げ去ってから数刻後、やっと一息つけた沖田は呟いた。あれから混乱する現場を沈めるのにてんやわんやだったが、ようやく頭が回ってきたのだ。ブリュインを改めて保護し、蛸髭の乗る幽霊船を口八丁で逃がし……とやらねばならないことが多かった。


 兵器密輸の件はヒュースケンが黒幕で、ブリュインは傀儡だったことがはっきりしている。そのブリュインは生気がすっかり抜けてしまい、役人の取り調べに唯々諾々と応じているそうだ。この分ならもはや自分たち新選組が出しゃばることはない。この件からは手を離し、事後処理は慶喜や幕閣に任せることになった。


 余談だが、ブリュインはこの翌年に病気を理由に帰国し、領事の職を辞している。在職中の働きは精彩を欠き、米大統領リンカーンの指示さえまともに幕府へ伝えられていない状態だったという。黒船で以って江戸幕府に開国を迫ったアメリカが、幕末史後半においてなぜか影が薄くなるのはこれが一因であったと言えよう。


 閑話休題。


 いまは関内の番所で傷の手当を受けているところだ。幸いにして銃弾は貫通しており、太い血管や腱も傷ついていなかった。完全に癒えるまでには時を要するが、後遺症は残らないだろうというのが治療に当たったアーシアの見立てだ。


「宮本武蔵に芦屋道満、それから織田信長ってか? まるで講談か歌舞伎の世界じゃねえか」


 熱燗で体を温めながら土方が応じる。

 赤毛の坊主頭は新免武蔵守むさしのかみ藤原玄信はるのぶを名乗った。これは複数ある宮本武蔵の変名の中でも、晩年の頃に好んで名乗っていたものだ。吉岡一門との抗争や、巌流島の決闘を題材にした物語は根強い人気があり、沖田も土方も幼い頃から親しんでいる。


「芦屋道満というのは、あの女の子デスカ?」

「うーん、まあそうなんだけど……」


 アーシアの疑問に沖田は口を濁す。

 芦屋道満もまた歌舞伎や浄瑠璃で有名だ。安倍晴明の敵役として登場する大陰陽師だが、醜怪な老人として演じられることが多い。少なくとも、女の芦屋道満など見たことも聞いたこともなかった。


「オダノブナガは昔の将軍でしタッケ?」

「あー、将軍じゃないし、将軍ぐらい偉い人ではあったけど……あんまりそういうことは言わない方がいいよ」

「どうしてデスカ?」


 織田信長は幕府にとって、取り扱いが難しい存在だ。

 大権現徳川家康公の盟友であり、本能寺の変を期に凋落したものの滅亡したわけではない。次男織田信雄の血筋は続いており、徳川幕府体制下にあっても織田にまつわる大名家が四つある。徳川幕府としてはこれで十分義理を通したつもりなのだろうが、「本来織田家が治めるべき天下を掠め取った」という見方もする者が未だにいるのだ。


 織田がつき 羽柴がこねし天下餅 座りしままに 食ふは徳川


 これは江戸末期に流行した落首落書きだが、こんなものが流行する時点で幕府の威光が弱まっていることの証左と言える。それで躍起になったのだろう。嘉永二年(1849年)にはこの落首を浮世絵にした歌川芳虎という絵師が、版元ともども手鎖50日という罰を受けた。


「でも、どうしてノブナガさんだってわかったんデスカ? 名乗ってはいなかったと思うのデスガ」

「なぜって言われるとなあ」


 改めて聞かれると不思議なものである。

 南蛮趣味の鎧に外套マント。口許と顎の鋭い髭。ピンと立った茶筅髷に銃を使い、「で、あるか」と来れば織田信長しか思いつかなかったのだ。


「おまけにあの黒鉄の船。鉄甲船って言ってたよな」

「テッコウセン?」


 今度は土方が答えた。

 鉄甲船とは、瀬戸内海の制圧のために織田信長が作ったとされる巨船である。船体を鉄板で覆い、文字通り矢も鉄砲も通らず、当時としては破格の数の大砲を搭載していたと言われる。これもまあ講談由来の知識であり、史実がどうであったかは定かでない。


「つうかよう、六弾倉ってのはそもそもどういう意味なんだ?」

「賤ヶ岳七本鎗とか、徳川二十八神将とか、そういうあれじゃないですか」

「リボルバーは六連の弾倉のものが多いそうデス。それにかけたんじゃないデショウカ」

「ってことは、ヒュー助の野郎を四人目として、正体のわからねえやつがあと二人いるってことか」


 沖田と土方は腕組みをして考えるが見当もつかない。いや、正確には見当が多すぎて絞り込めない。芹沢鴨や吉田松陰、人斬り新兵衛などと違って今度は時代が飛んでいる。宮本武蔵と織田信長は二百年以上前、芦屋道満に至っては千年近く前の人物だ。いかんせん範囲が広すぎる。


ぞんびい屍人……つったか? その魔術は何百年前の人間でもおかまいなしに蘇らせられるのかい?」

「理論上は可能デス。魂が現世に残っていれば、デスガ」

「この世に未練があるほど蘇らせやすいってこと?」

「そういうことデス」


 アーシアは二人の問いにそれぞれ応える。

 未練を残して死んだ者など、歴史を掘り返せばいくらでもいる。それこそ源義経やら平将門やらが出てきても、いまさら驚くには値しないということだ。


「それに、今度は『江戸で会おう』と言ってたな」

「ええ、何を企んでいるのやら」


 攘夷浪士のメッカは京の都だが、江戸の治安も悪化しており、新選組に似た治安組織も発足している。思えばヒュースケンも一度は攘夷浪士の手にかかって殺された……ということになっていた。


 そして、沖田たち自身も横浜での所用を済ませれば江戸に立ち寄る予定があった。京を離れた際に喧伝した「新隊士の募集」という名分は単なる建前ではない。都の治安は予断を許さぬ状況だ。使える人手はいくらでも欲しいのだ。


 坂本龍馬はそんな事情も見越して「江戸で会おう」などと言ったのだろう。

 こんな予想は坂本龍馬でなくともできる。情勢にある程度明るい者であれば、幕府が京の治安維持に躍起であり、その走狗である新選組が人材確保に奔走していることなど考えるまでもなくわかることだ。


「それに、おみつさんにも会いてえだろ? 総司の母ちゃんみたいなもんだしな。一年も会わなきゃ恋しくなってくる頃だろう」

「別に恋しくなんてないですよ!」


 義姉あねのことを持ち出された沖田はムキになって頬を膨らませた。


加州清光これの代金を返したいだけです!」


 小脇に置いた加州清光の鞘を叩いて抗議する。これは実姉のみつから借りた金で買った刀なのだ。それを返さなければならないと、沖田は支出を控えて節約している。甘味の買い食いだけは止まらないが、せいぜい小遣い銭の範囲だ。


 もっとも、借りた金だと思っているのは沖田だけで、みつはもちろん周りの者も餞別だと理解している。しかし、それを指摘するとむしろ意地になるのでもう誰も口にしなくなっていた。


「ま、坂本龍馬の野郎が何を企んでるにせよ、江戸に行く予定に変わりはねえ。あんま考え込まずに出たとこ勝負と行こうや」


 土方という男は策士と勝負師との両面を併せ持つ。

 わからないことはぐじぐじ悩んでも仕方がないとすぱっと切り捨てるのだ。

 からりと笑うその様子に、沖田も頭を切り替えて江戸の家族に思いを馳せるのだった。

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