第59話 廻厭隊六弾倉

「坂本龍馬ッ!!」


 沖田の怒声が、夜の海に響き渡った。

 坂本龍馬はバンジョーをじゃんと一掻きすると、巨船の舳先から沖田に向かって手を振る。


「総司さん、ひさしぶりじゃの。あれからどうじゃ、わしらの仲間になってくれる決心はついたかのう?」

「何をふざけたことを!」

「むう、つれないのう」


 ぼりぼりと顎をかき、あからさまにため息をつく坂本龍馬を、沖田は奥歯を噛み締めながら睨みつける。相手は船の上。どれだけ腹立たしくとも手が出せる距離にはいない。


 その龍馬の背後から、ぎらぎらと輝く人影が現れた。銀に輝く南蛮胴に、金糸をふんだんに織り込んだビロード生地の外套。きれいに剃った月代に、天に突き立つ茶筅髷。鋭い口髭が左右に、顎髭が三角にぴんと伸びている。


「坂本よ、敵は殺すに限るぞ」


 男の手にする長銃の銃口が沖田に向けられた。沖田の背筋に冷たいものが走った。肌がひりつくほどの殺気。ヒュースケンとは比べ物にならない技倆の持ち主だ。引き金が引かれれば、確実に急所を撃ち抜かれるだろうと直感し、届かぬ距離だとわかりきっているにもかかわらず、思わず刀をかまえていた。


「まあまあ、やめとーせ。総司さんは日本の夜明けにふさわしい男やき」

「人は裏切る。もともとが敵なら尚更だ。仮に一時懐柔できたとしても、あんなものは殺した方がいいぞ」

「上様に言われたら返す言葉もないが、わしらがやりゆうは日本の洗濯がじゃ。なんでもかんでも殺しゃあえいゆうもんじゃない」

「で、あるか。まあよかろう。誰にでもこだわりはあるものだ。どうせ儂にとっては余興のようなものであるしな」


 銃口が下げられるとともに殺気が引き、沖田は詰まっていた息を吐き出す。

 男は鋭い視線を辺りにめぐらし、坂本龍馬に向かって言葉を続けた。


「しかし、何にせよ長居はできんぞ。いかに儂の鉄甲船でも、砲台に袋叩きにされればひとたまりもない」


 坂本龍馬に気を取られて気がついていなかったが、改めて耳をすませば呼子の音色がそこらじゅうから響いていた。あちらこちらで篝火が焚かれ、台場に乗った大砲の影が浮かび上がっている。横浜は諸外国に開かれた港であり、すなわちそれは前線基地ということでもある。当然ながら可能な限りの防衛体制が敷かれているのだ。


「ハハハハハッ! 大歓迎ではないかッ! 坂本殿ッ! これは急がねば撃ち沈められてしまうぞッ!!」


 天から響く大音声だいおんじょう

 黒い巨船のマストに大柄な男が腰掛けていた。乱雑に刈り込んだ赤毛の坊主頭。首には幼児の拳ほどもあるやたら大粒の数珠を巻き、荒法師のような風貌だ。腰の左右に大小をそれぞれ差し、毛皮の肩衣かたぎぬを羽織った背中からは、槍、鉾、薙刀、刺股、長柄槌、金砕棒かなさいぼう……一目では数え切れぬ武器が伸びている。


「それじゃあ武蔵さん、頼めるかのう」

「心得たッ! この新免武蔵守むさしのかみ藤原玄信はるのぶッ! 一番槍、いや、廻厭隊かいえんたい六弾倉の一番弾を引き受けようッ!!」


 武蔵と名乗った男がマストから飛び降りた。一体どういう仕掛けか。甲板に落ちず空中で浮かび上がり、勢いを増して空中を走る。半弧の動きは突如として矢の如き直線に軌道を変えた。

 その行き先は、クラーケンの触手に絡め取られたヒュースケン。


「二天一流――二重袈裟ふたえげさッッ!!」


 武蔵の両手が閃いた。次の瞬間、ヒュースケンを捕らえていた触手が輪切りとなって細断される。武蔵は両手に大刀を掴んだまま、両足でヒュースケンの身体を挟み込んだ。クラーケンは巨体をよじりながら海中に沈んでいく。


「では拝み屋殿ッ! あとは頼んだッ!!」

「だーれが拝み屋だしー。史上最強の陰陽師に向かって無礼すぎるしー」

「ハーハッハ! それはすまなんだッ! 道満殿ッ、頼んだぞッ!!」

「はいはーい。急急如律きゅーきゅーにょりつりょー」


 いつの間にその場にいたのか。つい先程まで武蔵がいたマストの横木に一人の少女が腰掛けていた。色とりどりの花々をあしらった着物を着崩し、華奢な両肩があらわになっている。たおやかな繊手がするりと伸び、指先から一枚の紙片が放たれた。


 紙片は横に長い十字に切り抜かれており、風に煽られぐるりと廻ると一羽の鳥に姿を変えた。尋常の鳥ではない。一抱えほどの大きさもある鷹に似た頭には、両手で丸を描いたくらいの一つ目が備わっていた。六尺(約2メートル)に届かんという細長な羽が羽ばたくたびに豪風が唸り、空中を疾走する。すれ違いざまに三本の脚で武蔵とヒュースケンを掴み、旋風つむじかぜの如く舞い戻った。


『な、なんでえあの魔術は!?』

「式神!? 陰陽道デスカ!?」


 蛸髭とアーシアが驚きの声を上げる。今のような魔術は簡単にできるものではない。現実の物理法則を塗り替える魔術には、その規模に応じて膨大な魔力、あるいは大掛かりな儀式を要する。人ふたりを掴んで平気で飛べる怪物を、呪符一枚と短い呪文で顕現させる者など聞いたこともない。


「ちーす、芦屋道満でーす。どもどもー」


 道満を名乗った少女は、アーシアに向け、人差し指と中指を鋏のように立ててパカパカと開閉した。にへらと歪んだ口元には、獣じみた鋭い八重歯が覗いている。


「いやーまったく、せっかく揃った六弾倉がさっそく欠けてしまうところだったぜよ。では総司さん、今度は江戸で会うことになりそうかのう。肩の傷もくれぐれもお大事にしとーせ」

「待てっ!!」

「待て言われて待つがはおらんぜよ。ほんじゃ、また会おうぜよ!」


 地を震わすような轟音が轟いた。

 黒い巨船が展開し、大波がフライングダッチマン号の船腹に打ち付けられる。


「待てっ! 逃げるなっ!!」


 地団駄を踏む沖田だが、海を行く船を追うすべはない。

 沖田の叫びを置き去りにして、黒い船影は霧の彼方へと姿を消していったのだった。

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