第41話 ロバート・ブリュイン
「やっと異国っぽい建物のお出ましだなあ」
「石で出来てんのか、これ?」
「レンガ造りデスネ。粘土を固めて焼いたものデス」
沖田、土方、アーシアの目の前に建つ赤レンガ造りの建物がアメリカ総領事館だった。屋根は銅板で葺かれ、窓は障子ではなくガラスが嵌め込まれている。樫の門扉は重々しい両開きで、鋲で打たれた鉄板で補強されていた。
作法を知らない沖田と土方の代わりにアーシアがドアノッカーを鳴らすと、分厚い扉がするりと開く。相当な重量があるだろうに、軋み音のひとつも立てず内側から押し開かれるさまはどこか非現実的なものを感じさせた。
「どなた様ですか……」
弱々しい声がして、門扉の隙間からうっそりと異人の顔が覗く。
まるで水死体のような顔だった。
蝋のような白い肌には青い血管が網目状に浮き上がり、色素の薄い瞳は腐った魚のように灰色に濁っている。
「失礼致す。拙者は会津藩預かり新選組副長土方歳三と申す者。先触れが届いておるかと存じますが、幕府のさる御方より親書を預かり
「伺っております……。どうぞお入りを……」
音もなく門扉の隙間が広がって、沖田たちは館の中に通された。広々とした玄関は吹き抜けで、左右の壁にはまたドアがあり、奥には二階に伸びる階段が設えられていた。天井からは豪奢なシャンデリアが吊り下がり、まだ昼間だと言うのに火が灯され、橙色の光が揺らめいている。
(妙に潮臭いな)
沖田が最初に感じたのは見慣れぬ洋式建築への驚きよりも、ぬめった空気の不快さだった。海から近いのだから潮臭いのは当たり前なのだが、屋敷に入った途端にいっそう濃くなっている。まるで生温い海に頭から飛び込んだようだと沖田は思った。
「ブリュイン領事、入ります……」
案内されるままに二階に通され、一際立派なドアを抜ける。
その部屋はちぐはぐな内装をしていた。半分が板敷き、もう半分が畳敷きになっている。日本人専用、ということだろうか。沖田たち三人は畳に正座をし、マホガニーのローテーブルを挟んで一人がけのソファに座る老人に一礼した。
老人は白髪を七三分けに撫でつけ、白黒まだらの顎髭がこめかみから鷲鼻の下まですっかり覆われている。ダークグレーのスーツには皺一つなく、襟元には濃紺に染められた絹布が巻かれていた。
この老人こそがアメリカ総領事、ロバート・ブリュインだろう。
しかしブリュインは名乗りもせず、ソファに持たれたままパイプを吹かしていた。甘ったるい紫煙が屋敷に満ちた潮臭い空気と入り混じり、なんとも形容し難い異臭となっていた。
「拙者、会津藩預かり新選組副長土方歳三と申す。将軍後見職、一橋慶喜公からの親書を届けにござった」
しびれを切らした土方が、畳を擦ってブリュインににじり寄る。両手で恭しく封書を差し出すと、老人は片手でむしるようにもぎ取った。無造作に中身を取り出し、くしゃくしゃになった封紙が床に落ちる。書状を片手で振ってバサリと開き、不機嫌そうに目を細めて内容に目を通し始めた。
「あ! お土産もありマスヨ!」
アーシアが干し海鼠の桐箱を差し出すが、ブリュインは一瞥すら寄越さない。
そして、がさりと音を立てて書状が床に放られた。
『要するに君たちは我がステイツが武器の密輸に加担していると言いたいのかね?』
流暢な日本語。しかし、どこか非人間的な響きがする。霧深い海の彼方から聞こえる汽笛を思わせる声だった。
「まさかそんなことはございませぬ。書状にもござったと存じますが、先日我が国の都を襲った坂本龍馬なる不埒者が御国の兵器を用いていたのは事実。ブリュイン殿の目を盗み、抜け荷を行っている者が――」
『我が国が密輸を幇助していると言いたいのかね?』
「いえ、左様なことは決して」
『仮に我が国からの密輸があるとして、それを取り締まるのは我が国の仕事かね? それとも海警や税関業務を我が国に委託したい、そういう申し出と理解してよろしいか?』
「いえ、あくまでもご協力を賜りたく――」
土方とブリュインの問答はまるで噛み合わない――というよりも、ブリュインの態度がけんもほろろだ。そもそもブリュインの視線は土方に向いていない。深い皺に縁取られた瞳は夜の海のように昏く、茫洋として何を見ているのかすらわからなかった。
(それにしても日本語が流暢だな)
沖田は横目でちらりとアーシアを見る。アーシアの日本語も大したものだが、どこか片言の印象は拭いきれない。訪日からの期間の差はあるとはいえ、このいかにも高慢な老人が異国の言葉をすんなり学ぶものだろうか。
そんな不信を抱えて観察していると、ブリュインの話す日本語と唇の動きがまるで合っていないことに気がついた。いや、それどころではない。声自体がブリュインから発せられていないのだ。
沖田はあえてブリュインから視線を外し、音の出所を探る。そしてぞわりとうなじの毛が逆立った。ブリュインのものだと思っていた声は、沖田たちの背後に立つ水死体じみた男から発せられていたのだ。
密かに男の様子を探るが、唇はぴくりとも動いていない。大道芸で腹話術を見たことがあるが、これほど見事なものは初めてだ。それに通詞にそんな技能が必要なのか。ただただ不気味な印象だけが募る。
土方とブリュインの会談は、結局何の決着も見ないまま平行線に終わった。
領事館を出た後に、土方はぺっと唾を吐き捨てた。
「何なんだあのクソジジイは! まるでこっちの話を聞きゃしねえ!」
土方の精悍な顔が赤黒く染まり、こめかみには血管まで浮いている。決して気長とは言えないタチの土方がよく我慢したものだと沖田は妙なところに感心していた。沖田もあの水死体のような男に気を取られていなければ、土方と同様に腹を立てていただろう。
「アーッ!!」
アーシアの突然の叫びに、沖田と土方の肩が跳ね上がった。
「アーシア!?」
「どうした、嬢ちゃん!?」
慌てる二人に、アーシアは悔しげに唇を歪めて胸の前にそっと桐箱を掲げる。
「ナマコ、差し上げるのを忘れてマシタ……。腐ってしまったらどうしマショウ?」
沖田と土方は思わず苦笑し、ようやく肩の力が抜けるのだった。
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