第40話 俳句

「まるで別世界……って光景を期待してたんだけどな」

もそれほど変わらないのデスネ」

「異人は多いがな」


 出島に続く橋を渡り、関所を越えた沖田、アーシア、土方の第一声である。

 関所の警備は厳重であったが、慶喜から預かった特別な手形を見せると役人は下にも置かない態度に変わってすんなり通してくれた。一橋徳川家――葵の御紋の威光は混乱の幕末にあっても未だ絶大である。騒ぎになることを懸念し、平隊士の同道はしなかった。ブリュインに幕府が脅しに来たと誤解されては外交問題になりかねないのだ。


 沖田たちの感想通り、関内に入っても風景に代わり映えはない。二階建ての商家が並んでいるが、いずれも瓦屋根の日本建築だ。扱っているものは食料品のほか、瀬戸物や建具屋、金物屋に煮売酒屋など、店の顔ぶれにも変わりはない。人通りは関内の方が少なく、通行人と肩をぶつける心配はなさそうだった。


 唯一の違いは異人の割合だ。関外では四五十人に一人の割合だったのが、こちらでは十人に一人になっている。軍帽を被り紺地の襟にスカーフを巻いた水兵の姿も多い。関内は外国人居留地となっており、日本に来た異人たちは基本的に各地のこうした場所で暮らすのだ。


 生活に不満があると出島を脱走する者が出かねないため、幕府は出島内の暮らしが快適になるよう心を砕いていた。雑多に見える店の数々も、幕府が商人や職人を募集してわざわざ手配したものである。利便性だけで言えば江戸の中心部に済むのと大差はないだろう。


「さて、領事館はどっちだろう?」

「聞いてきマスネ!」

「あっ、ちょっ……」


 沖田の制止も間に合わず、アーシアがとことこ走って手近な水兵に声を掛ける。水兵と言えば日本で言う武家だろう。そんな気軽に話しかけてよいものなのかと心配するが、当の水兵の方は大袈裟なまでに喜んでぺらぺらとしゃべっている。


 会話は当然外国語のため、内容はまったくわからない。しかし、にこやかに言葉をかわす二人を見ているとなんだか胸の奥がもやもやしてくる。あまつさえ抱擁を交わしたときなどは奥歯がぎりりと鳴ってしまった。


「総司、男のやきもちはみっともねえぞ」

「なっ、そんなんじゃないですよ! 護衛に支障があるだけです!」

「はっはっはっ、そういうことにしといてやろうか」


 にやにや笑う土方に、沖田は顔を真っ赤にして湯気を立てる。

 そんな沖田を知ってか知らずか、アーシアは元気に戻ってきた。


「久しぶりに英語を話すと緊張しマスネ! アメリカ領事館はあちらだそうデス!」

「う、うん……」

「どうかされましタカ?」

「ああ、気にすんな。嬢ちゃんが他の男と楽しそうにおしゃべりしてたもんで――」

「あー! トシさん、急ぎましょう! ナマコが悪くなったらいけない! さ、アーシアも行くよ」

「ハ、ハイ! お土産が腐ってしまったら大変デスネ!」


 干し海鼠がそんな簡単に腐ってたまるかと土方は苦笑するが、焦った沖田がアーシアの手を引く様子を見て再びにやにやする。沖田ももう数え二十歳になったのに、女っ気がまるでないのを心配していたのだ。


 美形で人当たりもよく、おまけに天然理心流道場では十歳そこそこで皆伝を受け、塾頭にまでなっている天才剣士だ。江戸の頃から焦がれる乙女は多かったのだが、本人はまるでそれに気づいていない。


 多少は遊びをおぼえなければそのうち悪い女に騙されるのではないかと気を揉んでいたのだが、ここへ来てアーシアという異人の少女が現れた。どうやら沖田はこの少女を女性として意識しているようで、ようやく沖田にも春が来たかなどと考えていたのだ。


「異人の嫁か……苦労しそうだが、まあ総司だし大丈夫だろ」


 そんなことを暢気につぶやきながら、土方は懐手のままのんびり沖田とアーシアを追う。距離をおいて眺めるとやはり絵になる。道行く人の視線もちらちら集めているのだが、二人はそれには気がついていないようだ。


「早春の海風なびく金の髪。ふむ、ちと締まらんか」


 土方が左右に目をやると、関外とを隔てる川べりに生えた柳が目に入る。しばし瞑目し、再び呟いた。


芽柳めやなぎや海風なびく金の髪。これだな」


 土方は懐から矢立を取り出すと、筆先を唾で湿らせて懐紙に一句書きつけた。普段の粗野ぶりからは信じられない達筆である。それもそのはずで、土方の祖父は三月亭石巴という雅号を持つ俳人であり、その影響で土方も俳諧を嗜むのだ。土方自身も豊玉という雅号を名乗っているが、沖田や近藤に聞かせると下手だと笑われるためあまり大っぴらにしていない趣味である。


「ちょっとトシさん、のんびり一句捻ってる場合じゃないですよ。どんな句を書いたんですか」

「あ、こら! 勝手に覗くな!」

「俳句! 日本のポエムですネ! 教えてクダサイ!」


 俳句に集中しすぎていたのか、いつの間にか沖田とアーシアが両脇で手元を覗いている。なかなかよい出来だと思うので朗々と読み上げてやりたいところだが、沖田はきっと難癖をつけてからかうだろう。


 少し逡巡して、土方はひとつ悪戯を思いついた。


「そうか、嬢ちゃんは漢字が読めなかったか。よし、総司、おめえ読んでやれ。たっぷり情感を込めてな」

「えっ、俺が読んでいいんですか? えーと、じゃあ……」


 土方から懐紙を受け取った沖田は、それに目を通してから顔を赤くした。


「どうしたんデスカ? 早く読んでクダサイ! 気になりマス!」

「ほれほれ、総司。嬢ちゃんが待ってるぞ」

「あ、いや、その……」


 しどろもどろになっている沖田を土方はまたにやにやと眺める。

 句の意味は「早春の海風になびく金色の髪がきれいだなあ」という素朴なものだ。土方としては柳の緑と海の青、アーシアの金を対比させているつもりなのだが、これを沖田が詠むとまるで違った意味合いが含まれてくる。


 アーシアにせっつかれる沖田をしばらく楽しんで、土方は助け舟を出してやる。


「おおっと、遊んでる場合じゃなかったな。俳句はあとだ。干し海鼠が悪くなる前に急がなきゃなあ」

「ハッ!? そうデシタ! 急ぎマショウ!」


 こうして三人はロバート・ブリュインが住まうアメリカ総領事館へとようやく歩を進めるのだった。

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