第39話 横浜

 それから十日余り。

 東海道を急いだ沖田一行は神奈川宿の手前で南に折れ、松林に挟まれた街道を南に進んでいた。船を使った方がより早いのだが、ディープワンのことがある。海路はあまりに危険過ぎるということで陸路での道行きとなったのだ。


「ここが横浜かあ」

「京よりも人が多いかもデスネ!」


 防砂だろう松並木を抜けた先、眼前に広がっていたのはまっすぐに歩くのも難しい人混みだった。四条大路よりも広い通りの左右には商店が立ち並び、客寄せの丁稚や値切りの客の声で満ちている。祭りでもあるのかと行き交った人に尋ねてみるが、どうやらこれが日常らしい。都から来たにもかかわらず、すっかりお上りさんの気分だ。


「異人の姿もちらほら見えるね。どこの国の人かわかる?」

「英語が多いデスネ。それにオランダ語が少しダケ」


 人混みに混じる赤毛や茶髪の異人の言葉に聞き耳を立てたアーシアが答える。道中では尼の変装をし、なるべく駕籠に隠れていたアーシアだが、ここではその必要はなさそうだ。白い頭巾から金髪が幾筋かこぼれているが気にしていない。


 そしてもうひとつ、京や江戸と比べて明らかに違うところは浪人の少なさだった。


「異人が集まる港なんだから、もっと浪士がいるものかと思ってたけど」

「そんなに露骨じゃすぐにとっ捕まるからだろ。それに耳目を引くにも横浜って場所は微妙だ。不逞浪士のメッカは花の都、京ってなぁ」


 沖田がふとこぼした疑問に答えたのは土方だ。東海道の長い道中を沖田とアーシアの二人だけというのはいくらなんでも不用心過ぎる。今回は江戸で隊士を募集するという名目で、沖田の一番隊と土方が護衛に着いてきているのである。総勢十名余り。


 勘吾も来たがったが、新人隊士の彼は本来、井上源三郎率いる六番隊の所属である。今回は京に留守番し、巡察と修練の日々を過ごすことになっている。


 浅葱に染めただんだら羽織の一団が進んでも、人々が道を開けることはない。時折肩をぶつけそうになりながら道を進む。壬生狼として恐れられ、黙って歩くだけで人波が割れていく京都とは大違いだった。


「なんだか久々に狼じゃなく人並みに見られてる気がしますね」

「なぁに、直に新選組の威名は天下に轟くさ。そんときゃ近藤さんも大名並みに大出世よ」


 無闇に恐れられないことが嬉しくて口にしたのだが、どうやら土方は違う風に受け止めたようだった。沖田にとっても近藤の出世は喜ばしいが、それは天然理心流の剣名を高めるついでのような感覚だ。一方、土方は近藤個人を盛り立てることだけに関心が向いているように思える。


(ま、こんな話をしてもしようがないか)


 というわけで、こうしたズレを感じたときには沖田は口をつぐむことにしている。普段は軽口ばかりで戦いでは敵を煽る沖田だが、議論は好きではないのだ。論がぶつかりそうになったときには平隊士相手でも黙るか話題を逸らす。


「あっ、なんだか面白そうなものが売ってマスヨ!」


 なので、こんなときはアーシアの存在がありがたい。気ままにふらふら歩き出したので沖田もそれについていく。そこには黒いヘチマにトゲトゲを生やしたような何やら得体の知れないものが並べられていた。


「なんだろ、これ? ……わっ、これひとつで一両もするの!?」

「干し海鼠なまこでございますよ」


 値札に目を丸くしていると、店番の男が声をかけてきた。


「昔からこのあたりの名産で。以前は唐に売るのが専門だったんでしたがね、最近は関内に行かれる方がよくお求めになられて」

「関内?」

「このあたりでは出島を関内、おかの側を関外と呼ぶんです。ほら、ここからでも見えるでしょう」


 商人が指差す先には武士や商人が行列を作っている。行列の先頭には橋があり、突き当りにいかめしい櫓門が構え、長槍を持った役人が何人も立っていた。


「あの関の向こう側が関内です。関の内側だから関内、外側だから関外、なんとも工夫のない名前で」


 いまは関内と呼ばれている出島も、もともとは普通に地続きだったらしい。しかし異国に港を開くという段になって慌てて川を掘り、こちらと切り離したのだそうだ。通行は一本の橋に限られ、堅牢な関で区切られている。その厳重ぶりと言ったら箱根の関に勝るほどに見えた。


「それでお武家様。お武家様も関内に行かれるのでしょう? おひとついかがですか。安いものじゃあございませんが、品には自信がございます。こういう珍しいものはきっと喜ばれますよ」

「いや、別に俺は……」

「ほう、それは異人でも喜ぶものかね?」


 断ろうとした沖田の横から土方が割って入る。


「ええ、メリケンやエゲレスの方々も大喜びと聞いていますよ。日本の産物は何でも珍しいようで。ほら、そのお嬢さんも大層気に入られているじゃないですか」


 商人の視線の先には青い目を輝かせるアーシアがいた。指先でつんつくと干し海鼠をつついて「ワオ!」とか「オウ!」とか言っている。坂本龍馬への警戒もあって息の詰まる道中を余儀なくされていたが、ひさびさに羽を伸ばせて普段以上にはしゃいでいるようだった。


「ちょうどいい。これで見繕ってくれ」

「トシさん?」


 すっと伸ばされた土方の手には紙帯で止めた小判が握られていた。店の男はそれを受け取り、嬉しそうに笑って干し海鼠を桐箱に詰め始めた。


「いいんですか? 隊のお金をそんな無駄遣いして……」

「無駄遣いじゃねえよ。ブリュインってのは俗物なんだろう? 高い手土産がありゃあそれだけで態度も変わるかもしれねえ……つーか、世の中には土産がねえと侮られたと受け止める、めんどくせえやつもいるからな」


 沖田の小声に土方がさらりと応える。薬を商っていたこともある土方はこういう世辞に案外明るい。


「なるべく見栄えもよくしてくれよ」

「へい、承知しております」


 梅結びの水引で留められた桐箱を受け取って、沖田たちは出島へ続く関へと足を進めた。

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