第37話 軍艦奉行

「沖田君、体の調子はどうだい?」

「ええ、おかげさまで」


 沖田が一橋慶喜から呼び出しを受けたのは、一月も終わろうという頃だった。場所はいつもの若狭小浜藩邸京屋敷。畳にティーテーブルとチェアを並べた和洋折衷……もとい混在の部屋にもいい加減慣れてきた。


 茶請けは納豆餅で、沖田の隣ではアーシアが夢中で頬張っている。さすがにコーヒーには合わないとみえ、急須から日本茶を淹れている。しかし湯呑みはティーカップのままのあたり、こだわっているのかいないのかもはや見当もつかない。


「それにしても、たった一人で邪神を斬るとは沖田君は余が見込んだ以上の男だな」


 納豆餅をナイフとフォークで器用に切り分ける慶喜の隣には空席が一つあり、その前にも納豆餅と空のティーカップが置かれている。これから追加で来客があるのだろうか。


「勘弁してください。手傷を与えただけです」

「ははは、相変わらず謙遜家だな。アーシア嬢から活躍は聞いているよ」


 一体何を吹き込んだんだ……とアーシアを睨むが、アーシアはどこ吹く風で茶を飲んでいる。この異人の少女は無邪気に見えて、どうもこういう人を食ったところがある。しかし、慶喜の前で言い合いをするのも見苦しい。沖田は小さくため息をつくだけで話を切り上げた。


「それで、今日はどんな御用でしょう?」

せわしい男だな。少しは武勇伝に酔ってもよかろうに」


 慶喜の軽口に、沖田は口をへの字に曲げて応じた。

 それを見た慶喜は愉快げに笑う。


「ははは、見た目は優男なのに中身はまるで古武士だな。よかろう、本題を伝える」


 慶喜は咳払いをして居住まいを正した。

 空気がピンと緊張し、沖田も反射的に背筋を伸ばす。

 慶喜が真面目な話をする前兆だ。ともすれば軽薄に見える男にも関わらず、こうした途端に幕府の重鎮らしい威厳が生じるのだから不思議なものだ。ひょっとしたら神君徳川家康公もこんな人物だったのかもしれないと沖田は思う。


「ゲベール銃の出所がわかった」

「――!!」


 ゲベール銃。幕軍を始め、各藩が躍起になって配備を進めている洋式の火縄銃だ。日本の火縄銃は戦国以来二百年以上進化を止めており、性能の差は歴然である。天下泰平の証といえば聞こえがいいが、諸外国からの圧力が増している現在では胸を張れることではない。


 そして、そのゲベール銃を吉田松陰率いる廻厭隊かいえんたいは数百丁を揃えていたのだ。これは大藩の備蓄に匹敵し、尋常のことではない。沖田の知る限りゲベール銃は国産に至っておらず、間違いなく異国が絡んでいる。新選組監察の調べが及ぶ範囲では到底ないため、慶喜が探索を進めていた。


「どこだったんですか?」

「アメリカだ。正確にはあれはゲベール銃ではなく、アメリカで作られたエンフィールド銃というものだった。それにやつらが身に着けていた洋装もアメリカ北軍の制服だったのだ」

「北軍?」


 メリケンの軍に北や南があるのか。メリケンはメリケンだろうと思っていた沖田には意外な話だった。


「うむ、国を南北に分けての大戦争中よ。南北朝の争いもかくやだ」

「日本でいうと応仁以降の戦国時代ということですか?」


 理解の追いつかない沖田は日本の歴史に置き換えて尋ねる。


「そんなところだ。日本と違って群雄割拠というわけではないがな。そんな中でもはるか海を隔てた我が国にちょっかいをかける余裕があるのだから、アメリカというのは誠に恐ろしい国だ」


 文久四年、西暦でいう1864年はまさしくアメリカ南北戦争の真っ只中である。この戦争は1861年四月に勃発し、1865年四月、ちょうど四年で集結した。黒船来航が1853年であるが、それから外交的空白を生むことなく、日本そしてアジア情勢に関わり続けたのは慶喜の言う通り驚嘆すべきことである。


「そんな戦の最中だというのに、日本に武器を売る余裕があったんですか?」

「うむ、新式の連発銃が発明されたそうで、それで余ったエンフィールド銃を売り払ったのだろうと余は見ている。エンフィールド銃にしてもゲベール銃より性能が勝るのだがな」

「連発銃、ですか」


 銃の弱点は装填の隙にある。以前、沖田は慶喜に「一発撃たせたら駆けつけて斬ればいい」と答えたことがあるが、その隙がなくなったらどうなるのか。沖田は薄ら寒いような、それでいてわくわくするような微妙な心持ちになった。


 とはいえ、今は銃相手の戦術を練る時ではない。頭を振って雑念を追い払う。


「それで俺にどうしろと? まさかメリケンに渡れなんて言わないですよね?」

「ははは、それも面白いがさすがに難しいな。沖田君にはあるところに手紙を届けてほしいのだ」

「手紙を? なぜ俺に? それにあるところとは?」

「まあそう急くな。ここからの説明はもうひとり交えよう」


 慶喜がぱんと手を打つと、襖が開いて一人の男が姿を表した。

 身長は沖田と同じぐらいだが、堂々たる居住まいと精悍な顔つきで小柄さを感じさせない。歳は四十前後だろうか。真っ黒に日焼けした肌には皺が刻まれているが、漆器のように黒光りして活力にみなぎっている。彫りの深い眼窩に埋まった両眼は鋭く、剣においてもただならぬ実力だろうと沖田に直感せしめた。


 男はテーブルの前までゆったりと進み、両手を体側にぴったり沿わせて立ったまま一礼した。


「勝麟太郎と申す。君が沖田殿ですか。お噂はかねがね」

「あっ、新選組の沖田です」


 右手を差し出され、沖田も握り返す。ごつごつと皮の厚い手のひらだった。慶喜のおかげで洋式の握手にもようやく慣れたが、座ったままなのは正式な礼を誰も教えてくれないせいだ。

 それにしても勝とは……どこかで耳おぼえがある名の気がするが……。


「ははは、勝海舟と言った方が通りがよいかもしれんな。彼は幕府軍艦奉行、勝海舟君だ。そうそう、彼はアメリカに渡った経験があるぞ」

「いっ!?」


 沖田は慌てて頭を下げる。

 とはいえ、やはり立礼を知らないためティーテーブルに両手をついていた。


(また偉い人が増えた……)


 そんな偉い人と会わせるのなら、せめて事前に説明してほしいと沖田は内心で慶喜への恨み言を洩らすのだった。

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