第36話 納豆(後)
壬生村の北西。新選組屯所から半刻(約1時間)ほど歩いたところに仁和寺はある。
兼好法師が徒然草で『仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ――』と綴った古刹である。縁起は仁和四年(西暦888年)にまで遡り、歴代天皇から手厚い保護と信仰を受けてきた。
おかげで門前町も発達している。参道のずっと前から屋台が並び、
行き交う人の数も多く、侍、浪人、子連れの女房、行者や渡世人など実に雑多である。
とはいえ、歩くのには苦労しない。沖田が着る羽織のだんだら模様を見ると、みんなすうっと道を譲る。とくに浪人者の中にはあからさまに道を変える者もいた。二条城での
「あの屋台は何をしてるんデスカ?」
屋台の一つにアーシアが引き寄せられていく。
屋台では店主が割り箸ほどの棒の先につけた白いものを練っていた。
「ああ、飴細工だね」
「飴細工デスカ?」
店主が握り鋏を使うたびに、ただの丸い塊だった飴にみるみる耳や手足が生えていく。姿を表したのは今年の干支のネズミだった。一瞬、
「可愛いデスネ!」
「お、お嬢ちゃん、お目が高い! 注文してくれたら何でも作れるよ!」
「何でも、デスカ?」
店主が威勢よく声をかけてくる。改めて見ると屋台にはネズミの他に十二支が一通り、それに人型の飴が幾本も刺さっていた。いずれも生き生きとして、店主の腕が伺える。
「うーん、それなら……ソージ様!」
「え、俺!?」
「あいよ! そちらのお兄さんだね。十六文だよ!」
「ハイ!」
アーシアが代金を置くと、店主は新しい飴を取り出してぐねぐねと練っていく。おおよそ人型になると今度は握り鋏を使う。髪ができ、羽織りができ、腰の大小までも細かに再現されていく。
「あいよ、一丁上がり!」
「スゴイ! ソージ様そっくりデス!」
差し出された沖田型の飴を、アーシアは頭からぱくりと頬張りペロペロと舐める。
「甘くておいしいデス!」
自分自身の姿を模した飴がねぶり倒されるのを、沖田はどうにも微妙な気分で眺めていた。
「あっ、ソージ様の分がないデスネ! 店主さん、もう一本お願いしマス!」
「あいよ! って、お兄さんそのままじゃ芸がねえなあ」
「あ、いや別に俺の分は……」
沖田の抗議は黙殺され、握り鋏が再び躍る。そうして出来上がったのは――
「わあ! わたくしそっくりデス!」
「だろう? これでおあいこ、ちょうどいいってもんだ」
アーシアの似姿をかたどった飴細工だった。
「はい、ソージ様!」
「う、うん……」
沖田の手に飴細工を押し付けられる。日本髪の町娘に変装したアーシアの姿そのままだ。
「美味しいデスカ?」
「えっ!? あ、うん……」
「まだ食べてないですヨネ?」
「あ、いや、だから……」
沖田は手元の飴細工をまじまじと観察する。
見れば見るほどアーシアそっくりに仕上がっている。
(無駄に腕が良すぎる……)
これを舐めるのはいかんせん何というか色々と問題がある気がする。
しかし、アーシアが青い瞳をきらきらさせて味見するのを待っている。
沖田は冷や汗をだらだらと流しながら、振袖の先の部分をちろりと舐めた。
「あ、甘くて美味しいよ」
「それならよかったデス!」
アーシアが目を離した隙に、沖田は飴細工を懐にしまう。こんなものどうやって食べろというのだ。
「それにしても、日本というのは本当にすごい国デスネ!」
「えっ、何が?」
再び道を行きながら、アーシアが目を輝かせながら言った。
「だって、飴細工も、たまごふわふわも、鮒寿司もヨーロッパにはなかったものデス! 着物もキレイだし、ご飯もお菓子もおいしい素敵な国デス!」
着物以外はぜんぶ食べ物のことだったし、鮒寿司については同意がしかねるが、日本という国を褒められて沖田も悪い気はしなかった。
「そうだ、飴のお礼をしないとね」
「あっ、そんな勝手に差し上げただけデスヨ!」
「いいからいいから。女の子からもらいっぱなしなんて外聞が悪すぎるよ」
そう言って、沖田は毛氈を敷いた行商人の店の前に屈む。
かんざしや根付などの小物を商う店だった。
店構え――と呼んでいいのかも微妙なところだが――に倣って高級品は置いていない。一番高い品でも一朱(250文)もしない安物の店である。飴のお礼にあまり高いものを贈るのもあざといだろう。
(どれがいいかな)
沖田は並んだ品から一つを取り上げる。代金を支払い、アーシアの
「ありがとうございマス! うふふ、ソージ様の羽織と同じ色デスネ。似合ってマスカ?」
「うん、よく似合ってるよ」
沖田が選んだのは薄水色のとんぼ玉があしらわれたかんざしだった。
(本当の髪ならもっと似合うと思うけど)
かつらの黒髪ではなく、金髪に似合う物を考えて選んだのだ。日本で身につけられる機会は少ないと思うが、ネクロノミコンを取り返し、故郷に帰ったときには晴れて堂々と使ってもらえるだろう。そのとき、日本を思い出すよすがになってくれれば嬉しい。
話にしか知らないヴァチカンの街を、金髪をなびかせて歩くアーシアの姿を思い浮かべる。その髪にはこのかんざしが光っているのだ。向こうの流行りは知らないが、きっとよく映えることだろう。
「さて、じゃあ行こうか」
小物屋を後にし、二人は二王門をくぐって仁和寺の参道に入る。二王門は二階建ての立派な門構えで、下手をすれば二条城の大門よりも雰囲気がある。参道の石畳の両側にも屋台や茶屋がひしめいているが、こちらは門前よりも軒並み品が良い。
目当ての茶屋にたどり着いて、沖田は床几台に腰を下ろす。赤い厚手の毛氈が敷かれていて、暖かく座り心地がよい。アーシアも隣にちょんと座る。
「ようお越しくだはりました。ご注文は何にしなはります?」
「餅とお茶を二人前ずつ」
「はい、承りました」
髪に白いものが混じった上品な老女が注文を聞いて奥に引っ込んでいく。
江戸で茶汲み女といえば若い女が勤めるものだったが、都では少し勝手が違う。安い店ではそう変わらないのだが、少し値が張るとそうした色気をかえって嫌うらしいのだ。この店も茶が十六文、餅が三十二文と普通の店より倍以上する。
おかげで店はそれほど混んでいない。沖田たちの他には商家の子弟と思しき身なりの整った客しかいない。むしろ隊服をまとい大小を差した沖田の方がみすぼらしく見えるほどである。
都の民草は「武家が偉い」という意識が江戸に比べると薄い。この国の中心はあくまでも天皇であり、武家はあくまでも公家に仕えるものなのだという気風が浸透している気がする。沖田は別に偉ぶりたいわけではないので気にならないが、武家優勢の地方から上ってきた浪士たちが余計に荒れるのはこうした気風のせいもあるのではないかとなんとなく思う。
「お待たせ致しました」
「わあ! 香ばしい香りデスネ!」
老女が盆に乗せて持ってきたのは湯気を上げる焼き餅だった。大福ほどの大きさだが平べったく、きなこがまぶされてその上から焼き目がついている。手に取るとホカホカと温かい。
「いただきマス!」
アーシアが目を輝かせて餅にかぶりつく。餅とともに、中に入った豆が糸を引く。
「むむっ……コレハ!?」
アーシアが固まる。中身の正体に気がついたのだろうか。
吐き出したりはしないだろうか。
沖田は戦々恐々たる思いでアーシアの様子を見守った。
「……コレハ……美味しいデス!!」
しかし、沖田の心配をよそにアーシアはパクパクと餅を最後まで平らげた。
沖田は恐る恐る尋ねる。
「気に入ったみたいでよかったけど、中身は何だかわかった?」
「中身……?」
アーシアは青い目を丸くして首を傾げる。
「ほんのり甘いお豆さんでしたが、ちょっと変わった香りがしましタネ。何だったんデスカ?」
「あれはねえ、納豆でございますよ」
茶のお代わりを持ってきた老女がにっこり笑う。
「納豆!? これがデスカ!?」
「はい、このあたりの名物で、砂糖で甘くした納豆を餅でくるむんですよ」
驚くアーシアに、老女は構わず説明を続ける。
これは納豆餅というもので、京北から南丹あたりの正月料理だ。元日になると家長が家族の分をすべて作って振る舞う習わしがある。本来のものは顔よりも大きく、三日もかけて食べる。塩味と砂糖味があるが、茶屋で出すなら甘くて小さい方がよいだろうと工夫した――云々。
「なるほど、納豆ってこんなに美味しかったんですネエ」
老女の説明を聞きながら、三つ目の納豆餅を平らげたアーシアがうんうんと頷く。そして四つ目を注文する。
(やれやれ、これで大手を振って納豆を食べられそうだ)
沖田はアーシアが納豆を食べられない原因は匂いのせいではないと疑っていたのだ。匂いが駄目なら同じ食卓を囲むのも難しかったろう。食わず嫌いの原因はおそらく見た目。考えてみれば、混ぜると糸を引く食べ物など日本人の沖田でも納豆以外にはいくつも思い当たらない。
ならば納豆が完全に見えない料理ならばどうだと思ったのだ。この茶屋には以前も訪れたことがあり、納豆餅ならばアーシアも抵抗なく食べられるのではと一計を案じた次第だった。
その後、二人は探索と称して仁和寺名物の五重塔を見物するなどし、寄り道をしながら屯所に変えるのだった。
* * *
それから三日後。
「ソージ様! 朝ご飯の支度ができましタヨ!」
「う、うん……」
朝稽古を切り上げた沖田が広間にやってくると、案の定の光景が広まっていた。いつもなら余計なほどの元気を溢れさせている隊士たちも一様にげんなりした面持ちだ。
あれからアーシアはやけに張り切り、毎日料理番を買って出ている。
そして出てくる料理は――
「今日の献立は納豆オムレツに納豆汁、デザートに納豆カステラも用意しましタヨ!」
「あ、ありがとう……」
すっかり納豆にハマったアーシアは、毎日毎日手を変え品を変えて納豆料理を繰り出してくるのだった。
連日の納豆責めに、
(こんなことなら納豆嫌いのままで良かったかもなあ……)
と密かにため息をつく沖田であった。
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