第25話 居鷹村

 鞍馬街道を近江国の手前で外れ、雪道を踏んで北西の山中を登る四つの人影があった。先導をするのは例の百姓、作蔵である。続く三人は修験服を身にまとった山伏――に扮した沖田たちだった。


 嬰児喰らいの背後に坂本龍馬が関わっていたとして、ぞろぞろ多勢で向かっては逃亡される恐れがある。同じくアーシアも山伏に扮しており、その能力を活かして坂本龍馬の居所を突き止めたら、鞍馬寺に待機している土方以下二十余名で仕留めようという算段だった。


「こんな格好で山を歩いてるとマジの山伏になったみたいっすね、兄貴」

勘吾かんご、兄貴はやめろって言ってるだろ。そんな呼び方をする山伏がどこにいる」

「へい! 気を付けます、兄貴!」

「はぁ……」


 最後尾を行く行李を背負った若い男の元気な返事に沖田はため息をついて諦める。どうせ見知った者が間近で見れば一目でわかる程度の変装だ。言葉が聞かれるほどに近づかれたときにはもう正体は露見しているだろう。


 若い男は蟻通ありどおし勘吾かんごと云う。この変わった姓の男はディープワンの襲撃があったとき、材木問屋で男たちをまとめていたやくざ者だ。事件の直後、「沖田の兄貴に惚れた!」と言って新選組の門を叩いていた。


 剣術は我流でお世辞にも筋はよくなかったが、度胸だけは十分証明されているので隊士として取り立てられている。というより、そもそも新選組の入隊条件は緩いのだ。勘吾のような元やくざ者からお尋ね者まで混じっている。なんなら初代局長の芹沢からして故郷の水戸では前科者だった。


 今回の探索行に勘吾が加えられたのは、本人のたっての希望と、渡世人として旅慣れていることが考慮されてのことだ。主な仕事は荷物持ちである。作蔵の村は徒歩で丸一日かかる山中で、市中見廻りのときのような軽装というわけにはいかない。かといって沖田が大荷物を背負っていれば、いざというとき不覚を取りかねない。


「それにしても冷えマスネ……」


 アーシアは木綿の手袋越しにはあはあと息を吹きかけ、しきりにこすり合わせている。


「アーシアの故郷くには暖かいところだったんだっけ?」

「はい、雪なんて高い山の上にしか降らないものだと思ってマシタ」


 アーシアの故郷は温暖なイタリア中部で、最も寒い時期でも水が氷を張ることはない。雪は遠くの山並みが被っているものという認識で、実際に雪山を歩くのはもちろん初めてのことだった。


 そんなアーシアを心配したのだろう、勘吾も作蔵に尋ねる。


「なあおっさん、村まではまだ遠いのかい?」

「へえ、はい、あの二股の木を越えたらもうすぐで……」

「二股っていうか、唐竹に割られたみてえな木だな」


 作蔵が指差す先にあったのは、先端から根本まで二つに裂けた大木だった。その幹は分かれた二つを合わせると勘吾が両手を広げたよりもずっと太い。


「大昔に旅の武芸者が切ったのだという言い伝えもございますな」

「ンなことができるわけねえだろ……って、兄貴ならひょっとして?」

「馬鹿を言うな。勘吾は俺を何だと思ってるんだよ」


 落雷か何かで裂けたんだろう、と言いつつ、沖田は二股の木を撫でる。断面がやけに平らで、確かに刃物で両断されたかのようだ。


(こんなことができる腕があれば、岡田以蔵も敵じゃないんだろうけど)


 そんな子供じみた考えが脳裏をよぎり、沖田は苦笑いをする。剣は夢や幻ではない。理合いを極めた先にしか奥義は存在しないのだ。


 作蔵の言葉に嘘はなく、二股の木を通り過ぎて細道を上がり切ると、峰に上がったのだろう、視界が一気に拓けた。


 見下ろすと弱々しい夕陽の差すわずかな盆地に藁葺き屋根が点在していた。それを囲む山々の斜面には、時折思い出したように狭い田畑がこびりついている。ひと目見ただけで村の苦しい暮らしぶりが想像できる、絵に描いたような寒村である。


 村へ通じる細道を下り、最初に案内されたのは作蔵の家だった。寒さを凌ぐためだろう、窓を締め切った室内は薄暗く、囲炉裏の炭が頼りなく照らしているだけだ。囲炉裏端では百姓の女房とおぼしき女が籐細工を編んでいる。


 女房は突然現れた山伏に不審な顔をしていたが、作蔵から沖田たちの正体を聞くと慌てて平伏した。そして早口で言い訳めいたものを並べ立てるものだからかんじきを脱ぐ暇もない。土足を拭いつつ、やっとの思いで顔を上げさせると今度は囲炉裏にかけていた雑炊を勧めてくる。


 冷え切った体にはありがたいと受け取ったが、米は少なくほとんど白湯のようで、正体のわからない木の根や皮らしきものまで入っていて奇妙な苦みがある。率直に言って不味いが、残しては無礼だと無理矢理に飲み干した。


「それで、ご主人の留守中には何か変わったことはあったのかな?」


 沖田は欠けた茶碗にお代わりを注ごうとする手を丁重に押し留めながら尋ねる。作蔵が屯所を訪れたのは昨日の夕刻で、一泊させて翌朝から居鷹村に向かったのだ。作蔵が村を離れている間に新たな怪異が生じていても不思議ではない。


「あの鬼女でしたらとくには……。ああ、でも変な音が山の奥から……」

「奇妙な音?」

「三味線……琵琶みたいな……でもこのあたりには瞽女ごぜさんも来はらしまへんし」


 沖田とアーシアが視線を見合わせる。連想したのは坂本龍馬のバンジョーだ。あれの奏でる音は三味線や琵琶に似ている。


「ああ、それですか。それでしたら気にするものではございません」

「何か知ってるのか?」


 ぼりぼりと頭をかく作蔵に、沖田が尋ねる。


「いえ、へえ、はい。村ではいたくぁ様の呼び声と言われているものでございます。冬にたまに聞こえてくるもんで。凍った樹が裂ける音ゆう話でございますな」

「ほんと? 奥さんはなんで知らなかったの?」

「今年のように冷え込みのひどい年だけ聞こえるもんで」

「ああ、すいません。あたしは別の村から嫁にもらわれたんで……」


 こんな寒村に嫁入りとはあり得るだろうか。そんな疑問が脳裏をよぎるが、さすがに口には出せない。


「わざわざこんな村に嫁に来るとは変わりもんだな。なんだい、このおっさんがガラにもなく口説き落としたのか?」

「こ、こらっ! 勘吾!」


 せっかく飲み込んだ言葉を口にしてしまう勘吾を、沖田は慌てて制止する。最低でも今宵一晩の宿、探索が長引けばもっと世話になる家なのだ。気分を害するようなことを迂闊に言うべきでなかった。


 案の定、女房は俯いて黙り込んでしまった。暗さに慣れた沖田の目に、女の横顔に張り付いた痘痕あばたが見える。疱瘡ほうそうを病んで元の村では嫁の貰い手がいなくなり、この村に貰われていたのだろうと沖田は想像した。


「あの、これは宿のお礼です。おい、勘吾」

「へ、へい!」


 沖田は勘吾を促して行李の食糧や菓子を出させる。そして自分の紙入れからいくらか銭を取り出し、懐紙に包んで床板に滑らせた。


「そ、そんなもったいない……」

「来ていただいたのはわしらなのに……」


 と恐縮する夫婦に、


「いえ、隊規で押し借りは切腹と決まってて。屋根を借りるのもタダというわけにはいかないんですよ。俺を助けると思って受け取ってください」


 沖田はそれらを無理やり受け取らせた。

 少しは夫婦の表情が和らいだように思えたが、それは囲炉裏の炭が放つおぼろげな光の加減のせいかもしれなかった。

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