第22話 たまごふわふわ
新選組屯所のある壬生村は、村と言っても京の市街にほど近く、二条城までゆっくり歩いても四半刻(約30分)ほどである。都の民に新鮮な野菜を届ける農産地として機能する豊かな村だった。
そのうちの一軒、八木邸が新選組屯所のひとつだ。古くからある豪農であり、近藤たちが京に上ったときから宿所として間借りをしていた。現在では隊士の数も増え、近隣の複数の家に分宿しているが、「新選組屯所」といえば八木邸であるという程度には馴染んでいる。
その八木邸の広間に、今夜は大勢の隊士が居並んでいた。それぞれの席の前には豪勢な料理の載った御膳が置かれている。二条城の戦いの慰労会を開いていたのだ。
「皆、先日の
上座に座って杯を掲げるのは近藤だった。楽しんでくれというものの、その角張った顔は口をへの字に結んだままだ。機嫌が悪いわけではない。単純にそういう性格と顔つきなのである。
「よーし、じゃあさっそく乾杯だ!」
「乾杯!」
引き継いで乾杯の音頭を取ったのは土方だ。薬売りとして市井と交わっていた土方は、一見乱暴な態度とは異なり人当たりが良い。生真面目が過ぎる近藤とは対照的で、局長、副長という組み合わせとしてはよく釣り合いが取れていた。
「おお、こんな上等な酒は久々だ」
「料理も絶品だぞ」
「祇園の料亭から運ばせたそうだ」
隊士たちは思い思いに酒を飲み、膳の料理に箸をつけている。慶喜から報奨があり、普段では考えられないほどの上等な酒や豪勢な酒肴が揃ったのだ。
「しかし、死人の化け物はみっともなかったのう」
「よたよた歩いて酔っ払いみてえだったぜ」
「かんかんの~お、きゅうのれす。きゅうはきゅうでせ~いや、きゅうれんす~」
酔いが回ると屍人の物真似をする者まで現れ、お調子者がかんかんのうを歌い出し、何人もが立ち上がって踊りだした。土方もさっそくその輪に加わり、近藤はその様子を眺めて酒を飲んでいる。三宝荒神のようなその顔は恐ろしげだが、口角がわずかに上がっているあたりどうやら機嫌がよいらしい。先の戦いでは怪我人こそ出たものの死者はひとりも出なかったというのも大きいだろう。
「戦で大手柄だ。これで会津様の正式な家臣に取り立てられるかもしれないぞ」
「いやいや、仕官先は一橋公だろう。立派な指揮ぶりだった」
「幕府直参って可能性もあるぜ」
隊士たちは新選組結成以来の大手柄に沸いている。現在の新選組はあくまでも会津藩預かりに過ぎず、正式な武士と主君を持たない浪人との間のような中途半端な立場なのだ。新選組には百姓や町人出身の者も多い。これを機に主君を得て、名実ともに正式な武士になれると期待しても仕方がないだろう。
しかし、実際はそこまで甘くはない。近藤たち一部の幹部には知らされているが、今回の武勲を幕府として公式に認めるのは難しいだろうと慶喜から伝えられている。何しろ敵が妖怪変化の類である。頭の硬い江戸の老中たちが素直に手柄を認めるとは考えにくいというのだ。
とはいえ、
「皆、そのままでよいからこれを見てくれ」
近藤が脇の桐箱から取り出し、両手で恭しく捧げ持ったのは黄蘗色の紙にしたためられた一通の書状だった。座の視線がそれに集まり、そのままでよいと言ったのに全員が即座に黙って平伏する。
「
「おおおおおおおおおおお!!」
八木邸を揺るがさんばかりの歓声が爆発し、泣き出す者まで現れる。名誉を夢見て隊に加わった若者たちなのだ。天皇直々の感状に心が動かされないわけがない。かんかんのうが再開され、めちゃくちゃな拍子で歌い、踊る。まさしく馬鹿騒ぎである。
感状を手配したのはもちろん慶喜だ。幕府が手柄を認められないのならば朝廷を利用してしまえという考えである。芹沢以後、近藤土方体制になってからの新選組は品行も改まっており、宮中での評判もそこそこよかったのも幸いし、最上級の格式を誇る黄紙の感状が速やかに発行されたのだ。
「これで芸姑がいりゃあ言うことないんだがな」
「異人を匿ってるんだ。そうそう外から人は呼べんだろう」
「しっ! 沖田さんに聞こえたら
「おっと、口が滑った」
やや興奮が収まって、そこかしこで冗談が交わされる。隊士にはアーシアの正体が明かされており、沖田と共に魔人坂本龍馬の探索という大事に取り組んでいることも知っている。先程の言葉も本気で言っているわけではなくただの軽口だ。
新選組は基本的に尊王佐幕の集団であるが、異人を闇雲に嫌う攘夷浪士とは主義が異なる。隊士の中には蘭学をかじった者もいるし、副長の土方からしてフランスの軍制を隊の参考にしているほどだ。あくまでも、天皇や幕府を脅かすものが彼らの敵なのである。
ちなみにではあるが、隊内には沖田とアーシアを「いい関係」だと見ている者も多い。女のように線の細い美形の沖田と、天女のようなアーシアは実にお似合いで、任務だから当然なのだが四六時中一緒にいるのだ。これで邪推するなという方が無茶というものだろう。
さて、その沖田とアーシアだが、女房衆に混じって台所にいた。
それぞれ袖をたすきで締めて、何か料理を作っている。意外に思われるかもしれないが、この時代の武士は包丁が使える者が少なくない。町人と違って気軽に街の居酒屋などに出入りしにくいため、屋敷持ちの武家は自炊をすることが多かったのだ。
「よしっ、完璧だ! これは若先生も喜ぶぞ!」
「ワア! とっても可愛いデスネ! なんというお料理デスカ?」
「たまごふわふわだよ。江戸で流行ってるんだ」
「名前まで可愛らしいデスネ!」
手元の土鍋を覗き込むアーシアに沖田が応える。たまごふわふわとは、角が立つまでよく泡立てた卵白――つまりメレンゲに卵黄を混ぜ、出汁で蒸し固める料理だ。近藤の好物で、沖田が作ると喜んで食べてくれた。例によって表情がほとんど変わらないため、それがわかる者は何人もいなかったが。
「よしっ、こちらも仕上げデス!」
「へえ、きれいだね。それはなんて料理なの?」
「ズコットというお菓子デス!」
「ああ、前に話してくれたやつ」
アーシアが作っていたのは白峰神宮へ向かう途中の雑談で出た洋菓子だ。スポンジケーキをドーム状に整形し、生クリーム、胡桃、煎り麦、干し葡萄や干し柿などをたっぷりと中に詰め、表面に生クリームを塗って薄く切ったドライフルーツや砂糖菓子を飾り付けて仕上げてある。いずれも高価で入手の難しい食材だが、慶喜の手配で揃えられていた。
「見たことないけど、きれいで美味しそうだね」
と生唾を飲む沖田に、
「つまみ食いしちゃいマスカ?」
アーシアが悪魔の誘惑をする。
「えっ、それはみんなに悪いよ」
「キッチンに立つ者の特権デス!」
「うーん、まあみんな馬鹿騒ぎで料理どころじゃなさそうだし、先に頂いちゃおうか」
「ふふふ、お主も悪よノウ……」
「どこで覚えたのそれ?」
軽口を交わし合う二人の姿には、女房衆から生暖かい視線を注がれていたのだが、味見に夢中な沖田とアーシアがそれに気がつくことはなかった。
なお、二人が料理を届けたときには近藤以外はみな酔いつぶれて板間に雑魚寝していた。近藤は近藤で、たまごふわふわを一匙食べると、三宝荒神の目をかっと見開いて「旨い!」とだけつぶやき、座ったまま
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます