第21話 竜尾剣<桂成>

「若先生っ!?」

「遅くなった。残敵はトシに任せて抜け駆けしたんだが」


 近藤の手には戸板を二枚重ねて荒縄で縛ったものが握られていた。屍人兵のゲベール銃に対抗するため、即席で置き盾を作ったのだろう。雨が戸板を打つような音だと思ったのは何のことはない、本当に散弾を戸板で受けていたのだ。


「これが魔物か。初めて見るが、思った以上に面妖だな」


 近藤の目がぎょろりと吉田松陰シュブ=ニグラスを睨む。腫れぼったいまぶたのその目は、まるで三宝荒神さんぽうこうじんのようだと言われていた。三宝荒神とは不浄を炎で焼き尽くす三面六臂の仏神である。試衛館で初めて出会ったときには、随分恐ろしい目つきの人がいるものだと思ったことを沖田は場違いに思い出していた。


『ははははハッ! 貴君が新選組局長かッ! だがたったひとり加勢したところで神となったこのボクに勝てるはずもあるまイッ!』


 松蔭の言う通り、近藤の他に援軍はなかった。東門の方からはまだ銃声や怒号が聞こえてくる。屍人の残党との戦いがまだ続いているのだろう。このまま凌げば加勢が駆けつけるかもしれない。


「どうする惣治郎、援軍が来るまで待つか?」

「まさか……!」


 角張った顔をぴくりとも動かさず尋ねる近藤に、沖田は痛む身体を押し切って立ち上がる。稽古のときもいつもそうだった。沖田がぼろぼろになって倒れると、「やめるか?」と聞いてくる。そのたびに沖田は立ち上がってきた。一見恐ろしげな近藤の瞳の奥に、優しげな光が宿っているのを知っていたからだ。


「天然理心流は戦場いくさばの剣。腕がもげても相手を斃す。ですよね?」

「そのとおり、さすがは塾頭だ。だががむしゃらに突っ込むだけが兵法ではないぞ」


 左手の戸板、右手の長曽祢虎徹を振るって松蔭の攻撃をさばきながら近藤は言う。


「技には必ず起こり・・・がある。異形であってもそれは同じだろう」


 三宝荒神の目がぎょろりとシュブ=ニグラスを睨む。


「このあたりか」


 戸板が動く。豪雨の音。シュブ=ニグラスの散弾の軌道を読んで受けたのだ。


「見えたな? 桂馬で成るぞ」

「はいっ!」


 近藤が戸板を地面にどすりと突き立てる。


『ははははハッ! 戸板なんかでいつまでも防げるかッ!!』


 松蔭の複数の触手が撚り合わさり、大木のような太さになって振り下ろされる。戸板が砕かれ、大地が震える。


『ははははハッ! これでもう身を守る盾はないぞッ! それとも今のでぺちゃんこカッ!!』


 しかし、触手が打ったのは誰もいない地面だけだった。

 沖田と近藤は左右に分かれて飛び出し、松蔭に向けて駆け出している。


『ははははハッ! ちょろちょろとしぶといやつらだッ!!』


 シュブ=ニグラスの口のいくつかが、むにゅむにゅと何かを含むような動きをするのを今度の沖田は見逃さなかった。


(なるほど、これが起こり・・・か)


 瞬間、沖田は左に半歩飛ぶ。先程までいた空間を鉛玉の群れが通り過ぎていく。


『ははははハッ! ……ハッ!? 外れたッ!?』

「頭に血が上ってたみたいだ。もう二度と当たらないよ」


 駆けながら、沖田はにぃと歯を剥いてみせる。

 松蔭は続けざまに散弾を放つが今度は一度も当たらない。


『なぜだッ!? なぜ当たらなイッ!?』

「来るところがわかっていたら、嫌でも当たってあげられないかな」


 起こり・・・とは攻撃の前兆である。沖田はそれを読み切り、攻撃の前に射線から身をかわしていたのだ。

 松蔭の右前肢に沖田と近藤が殺到する。そして疾走の勢いのまま、八相の構えから白刃を振り下ろす。


「ぬうん!」


 近藤の長曽祢虎徹が袈裟懸けに松かさ肌の肉に食い込む。


『ははははハッ! 何度斬っても無駄無駄無駄無駄ァッ!!』

「ふんっ!」


 長曽祢虎徹の軌道が変わる。食い込んだ刃は肉の中で直角に軌道を変え、逆袈裟となって振り抜ける。一抱えの肉塊がえぐり取られ、赤黒い血を巻き散らかして地面に転がる。


『ははははハッ! ガァッ!?』

「今度は俺がっ!」


 沖田の加州清光が閃く。同じく斬り込んだ後に直角に軌道を変えて振り抜かれ、肉塊を切り出す。


 沖田と近藤が剣を振るうたび、地面に転がる肉片が増える。肉片は切り出されてもしばらくはぐにぐにと蠢いていたが、すぐに動きを止めていく。巨木のようだった松蔭の足がみるみる削られ、ついに自身の体重を支えきれなくなり、ぐちゅりと鈍い音を立てて折れ、平衡を崩した巨体が地響きを上げて崩折れた。


『なッ、なんだその滅茶苦茶な剣筋はッ!?』

「教える義理なんかないよ」


 直前の近藤の言葉、「桂馬で成る」とは天然理心流竜尾剣の派生技<桂成けいなる>の符丁である。袈裟懸けを囮にし、直角に変化する剣筋で追い打ちをかける技なのだが、それを初太刀から当てているのだ。なお、技の名は将棋の桂馬が成ることによって動きを急変させることに由来している。


『ぐおおおおッ! やめろッ! やめろォォォオオオッ! ボクは超天才ッ! 齢十一にして藩主の軍学師範も務めタッ! 神州日本の至宝ッ! あの吉田松――』

「うるさいよ」


 沖田の剣がとくに饒舌な口から舌を斬り飛ばす。


『やめろッ! まだボクが話してい――』 

「男子が見苦しく駄弁るな」


 近藤の剣が別の舌を切り飛ばす。


「キリがないですね、これ」

「腕がもげても相手を斃すのが天然理心流だ」

「こうなるともう意味が変わってる気がするんですけど……」


 もはや軽口を交わす余裕まである。

 沖田と近藤の剣が松蔭の巨体から交互に肉を削り飛ばしていた。振るう得物に違いはあれど、さながらくわを振るう畑仕事だ。触手が時折襲ってくるが、その勢いは弱々しく、捌くのにもさしたる苦労はかからない。


「これ、どうしたら止めが刺せるのかな?」


 血まみれの肉塊と化しても蠕動をやめない松蔭に嫌気が差し、沖田はアーシアに視線を送って助けを求める。ロザリオを握りしめて魔核の気配を探っていたアーシアが、ある一点を指さした。


「そこデスっ! 逃げようとしていマスっ!」

「ん? これかあ?」


 赤子ほどの肉片が這いずっていたのを踏みつけたのは土方だった。屍人の残党を片付けて駆けつけたのだ。


『やめろォッ! 離せェッ! この国はまた偉大なる頭脳ヲッ! 未曾有の精神的指導者を失おうというのかッ!!』

「舌先に魔核がありマス! それを!」

「あいよ」


 喚く舌先を土方の愛刀、和泉守兼定いずみのかみかねさだが貫く。


『やめろォッ! やめ……やめ……ロォ……』

「げえ、刀が汚れっちまいそうだ」


 肉片は黒い煙を上げながらどろどろに溶けて形を失っていく。


「うわっ」

「ぬうっ」


 沖田と近藤が相手をしていた巨体も同じく溶け腐る。乗り上がって斬りつけていた二人は腐肉の塊に腰まで浸かってしまった。


「こりゃ肥溜めに嵌まるのよりひどいや……」

「申すな。男子が泣き言を言うものではない」


 どろどろになって脱出した沖田の愚痴に近藤が応じる。沖田は近藤の顔をまじまじと見て、口角が少しだけ上がっていることにやっと気がついた。


「若先生、今の冗談のつもりです?」

「うむ」


 大真面目に頷く近藤に、沖田は体をくの字に曲げて大笑いするのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る