第19話 山鉾

 交錯する火線が夜の闇を細切れに引き裂く。

 屍人ゾンビが放つ鉛玉は石垣で砕け、櫓の漆喰を穿ち、城門の補強する鉄板に弾かれる。その狙いはめちゃくちゃでお世辞にも熟練した射手とは言えない。


 一方の会津兵は城壁に身を伏せながら的確に狙撃を行っていく。弾丸は屍人ゾンビの脳漿を撒き散らし、胸に風穴を開け、はらわたを破って中に詰まった腐汁ふじゅうをぶち撒ける。


 命中率は比較にもならないが、屍人ゾンビは撃たれてもよろけるだけで足を止めない。稀に倒れて動かなくなるものはいるが、偶然魔核に当たっただけだろう。大多数は棒立ちのままのろのろと装填し、前進しながら射撃を繰り返す。


 屍人の戦列はじりじりと橋を渡り、門に取り付く者も現れた。取り付いた屍人ゾンビは行動を変え、銃把を城門に叩きつけ始める。がんごんがんごんと調子外れの鈍い音が戦場に響き渡った。


「圧されてますね。後詰めは投入しないんですか?」

「まだ早い。それにあれでは門は破れまい」


 劣勢と見た沖田が援軍を進言するが、慶喜は動かない。床几に腰掛け、瞬く銃火をじっと見つめている。流れ弾だろう、足元の土が弾ける。しかし、それでも慶喜は眉ひとつ動かさない。


「はははははは! ボクの廻厭隊かいえんたいに銃など無力ッ! それそれ、門をこじ開けろッ! そして第二陣、攻撃開始ッ!」


 吉田松陰が軍配を振ると、二条城本丸を囲む水堀がにわかにざわめいた。暗い水面みなもが破け、鮟鱇面あんこうづらの半魚人たちが飛び出し石垣に張り付く。


「ディープワン、来まシタ!」

「うむ、皆の者、手はず通りに迎え討て!」


 法螺が吹き鳴らされ、陣太鼓の拍子が変わる。水堀に均等に配置されていた会津兵が、石垣を這い上がるディープワンに向けて一斉に何かの液体をぶちまけた。


『GYYYYAAAAHHHH!!!!』


 この世のものとは思えぬ絶叫。海老の天ぷらに似た場違いな匂いが広がる。煮え立った油を浴びたディープワンの苦悶の叫びだった。


「火にはくれぐれも気をつけよ! 油が尽きたら投網を使え! 鈎棒かぎぼうで叩き落とせ!」


 慶喜の指示が矢継ぎ早に飛ぶ。京の都は建物が密集しており火災に弱い。煮えた油に火がついて飛び火でもすれば辺り一帯が火の海になりかねない。二条城は二重の水堀で囲まれてはいるとはいえ、火計などはもっての外だ。


 投網は琵琶湖の漁師から急遽買い上げたもので、釣り針をいくつも縫い付けて引っかかりやすくしている。それを使って動きを封じ、長槍を改造した鈎棒で叩きまくる。いずれもディープワンの奇襲を予測した慶喜が手配したものである。


「ははははは! その程度の準備はしてもらわねば張り合いがないッ! 次はこれだッ!」


 地鳴り。巨大な何かが大地を震わせている。

 屍人の兵を跳ね飛ばし、轢き潰しながら現れたのは絢爛に飾り付けられた山車だしだった。二階の建物ほどもある巨大なそれが百を超える屍人に押されて突き進む。勢いのまま城門に激突すると、挟まれた屍人が潰れ、肉片と化して飛び散る。かんぬきがめぎっと鈍い音を立ててへし折れ、鉄門が軋みを上げて内側に開いていく。


「どうだッ! これぞボクの秘策山鉾やまぼこの計だッ!」

「なんと無粋な……」


 慶喜が片手で顔を覆ってため息をつく。沖田も見物したが、あれは今年の祇園祭で使われた山車のひとつで、京ではこれを山鉾と呼ぶ。いずれかの神社から盗み出したのだろう。


「何が無粋かッ! 偽りの神の祭具だッ! 賊軍を破り日本の夜明けの礎になれるのならば望外だろうッ! さあ、門は開いたッ! かかれッ、かかれいッ!」


 開いた門の隙間に屍人の群れが殺到する。圧力によって隙間が押し広げられていく。屍人の群れが本丸になだれ込もうとした、その刹那。


――弩唵ドオン! 弩唵ドオン! 弩唵ドオン!――


 連続する轟音。

 数十の屍人が肉片となって宙を舞い、巨大な山鉾が一瞬で爆散する。戦場に腐った血肉と瓦礫の雨が降り注いだ。


「むむっ、大筒おおづつまで用意していたかッ!」


 松蔭が叫んだ通りだった。

 門扉もんぴの裏に隠していた大砲が一斉に火を吹いたのである。装填されていたのは霰弾キャニスター。無数の細かい弾丸を発射し、零距離射撃で絶大な破壊力を持つ対人用砲弾だった。


「よし、敵陣は崩れた! 皆の者、抜刀突撃だ!!」

「うおおおおおおおおおおおお!!!!」


 慶喜の号令一下、鬨の声を上げて会津兵が突撃する。先頭を行くのは温存していた本陣の兵百。これまで戦いに参加できなかった鬱憤を屍人の群れにぶつけて行く。


「首にこだわるな! 足を斬れっ! 動きを封じたら次を斬れ!」


 先駆けの精鋭たちが屍人の足を見事に切り飛ばしていく。倒れた屍人を後続が踏みつけ、ぐちゃぐちゃに潰していく。押し込められた屍人は満足に銃も扱えず、発射された弾丸はよくて虚しく夜空を貫き、悪くすれば味方の身体を撃ち抜いていた。


「ははははは! ははははは! 面白いッ! これぞ戦の真骨頂ッ! まだあるかッ!? まだまだ何かあるのかッ!?」


 軍配をめちゃくちゃに振るいけたたましく笑う吉田松陰の背後で、「誠」と書かれた白い旗が次々に上がった。


「新選組局長! 近藤勇である! 推して参る!!」

「同じく副長、土方歳三だっ! てめえら、しっかりついてこい!!」


 ダンダラ羽織の一団五十余名が廻厭隊かいえんたいの背後に殺到する。

 閃く白刃が屍人の五体を次から次へと解体していく。それはさながら獲物に食らいつく群狼の如く。狼が食らいつくたび、屍人の軍団はその身を食いちぎられていく。


 本丸にいない新選組隊士たちは、二の丸に伏せられていたのだ。京の市街を巻き込まず、敵を押し包んで殲滅するための秘策である。前後から挟撃された廻厭隊かいえんたいはみるみるその数を減らしていた。


「なるほど、これなら魔核を狙わなくても大丈夫ってわけか」

「うむ、要は戦闘力を奪えればよい。それに乱戦の中で急所を狙えなどそもそも非現実的だからな」


 慶喜は沖田の独り言に応じたが、沖田はそれも耳に入らないようで戦場を食い入るように見つめている。


「若先生もトシさんも生き生きしてるなあ」

「沖田君、君は控えろよ。まだまだ何があるかわからん」


 柄にかかった沖田の手に力が籠もっているのに気付いた慶喜が釘を刺す。


「何より相手はあの吉田松陰の蘇りだ。一筋縄では終わるまい」

「言われなくてもわかってますよ。俺たちの勝利条件は儀式を最後まで守り抜くこと。そして俺は万一に備えた最後の砦ってわけですね」

「うむ、そのとおりだ」


 唇を尖らせる沖田に慶喜は苦笑する。これだけのいくさを目の当たりにすれば臆するのが普通だ。だがこの若者は臆するどころか、玩具を手にした子供のように目を輝かせている。


 武士にふさわしい胆力と称える者もあろう。いや、それが武士としては正しい見方だ。しかし、それはある種の危うさと紙一重なのではないか。慶喜の胸中に漠然とした不安が影を差すのだった。

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