第17話 軍勢

 二条城は御所の南西に位置する広大な城だ。

 そもそもが神君家康公の御代に上洛時の宿所として築城したもので軍事的な性格は薄い。だが二重の水堀と城壁とに囲まれた縄張りは防御拠点としても十分通用する。


 沖田は月明かりに照らされる天守台にいた。

 二条城の天守閣は寛󠄁延󠄂三年(1750年)に落雷で消失しており、以来再建されていない。土台となった石垣――天守台は残されており、二の丸の外まで一望できる高さがある。


 天守台には陣幕が張られ、中央に祭壇が設けられている。煌々と焚かれた篝火かがりびが夜を照らし、それを囲んで無数の陰陽師と密教僧が一心不乱に呪文を唱えていた。烏帽子えぼし狩衣かりぎぬの陰陽師が祝詞のりとを奉じるすぐ横で、袈裟を着た坊主たちが数珠をすり合わせている光景はなんとも奇妙に見えた。


「結局、今日まで何もなかったな。まさか諦めたなんてことはないよね」

「サカモト・リョーマはヴァチカンまで襲撃するような人間デス。いくら守りが固められていても、見過ごすことはありえマセン」

「ま、そりゃそうか。すると攻めて来るのは今日しかない」


 この三日間、沖田とアーシアは二条城に起居して警戒の任務に当たっている。おかげで城内の地理や兵員の配置状況はすっかり頭に叩き込まれていた。


 守兵の主力は慶喜が京都守護職松平容保かたもりより借り受けた会津藩兵四百。本丸に通じる東西の門に百ずつ。堀を巡るように百。慶喜が本陣を構えた天守台に百という配置だ。


 常道なら二の丸の大手門を固めるべきだが、四箇所あるうえに二条城は広すぎる。兵を薄くするのを嫌い、本丸に兵力を集中させたらしい。だが、二の丸もただ捨て置かれたわけではなく別の仕掛けが隠されている。


「ここを攻めるなら相当な戦力が必要だけど、坂本龍馬はどう仕掛けてくるんだろう?」

「禁書庫を攻めてきたときは屍人ゾンビが戦力の中心デシタ。近隣の村を襲って皆殺しにし、それを材料としたのデス」


 そう語るアーシアの拳は、固く握りしめられていた。故郷の人々を殺されたその胸中はいかばかりだろうか。


(嫌なことを思い出させてしまった)


 沖田は無理矢理に話題を変える。


「しかし、蒸気船が海を行く時代にまじないとはなあ。ちゃんと効果はあるのかな?」

「聖気の高まりを感じマス。儀式が完成すれば結界内での魔物の動きはかなり制限されるデショウ」


 いまもって半信半疑の沖田だが、アーシアにそう断言されれば信じるほかない。事前に慶喜から聞いた説明を頭の隅から引っ張り出す。


「龍穴を刺激して、龍脈を通じて結界を再活性化させる……とか言ってたっけ?」

「はい、わたくしたちの言葉ではレイラインと呼びマスネ」


 話によれば天守台の地下にその龍穴とやらがあるらしい。というより、正確には順序が逆で、龍穴の上に天守閣を築いたのだそうだ。壮麗な城は霊的な狙いを覆い隠すための目くらましに過ぎなかったため、消失しても再建を行わなかったのだと慶喜は語っていた。


 江戸幕府の開祖、徳川家康は伊達に神君と称されたわけではなく、実際神仏の加護を利用するすべにも長けていたというわけだ。


「うむ、あるいは天海僧正の献策であるとも伝わっておるな」


 床几に腰掛けた慶喜が、二人の会話を聞きつけて手招きをする。最初のうちこそ儀式の様子を興味深げに見守っていたのだが、そろそろ飽きてきたようだ。


「しかし、沖田君はあれだけの目に遭ってきても未だに魔術や呪法といったものを信じきらぬのだな。そんなものがあるなら自分も使ってみたいなどとは思わんのか?」

「剣術は理ですから。魔だの神だのに惑わされても強くはなれません」

「ははは、怪力乱神を語らず、というわけか。これは頼もしい!」

「そんな立派なものじゃないですけど」


 笑う慶喜に、沖田は微妙な顔をする。

 沖田にとって剣術とは誇りであるとともに実用の技でもある。魔術なるもので剣が強くなるのなら取り入れもするが、どうもそういうものではない気がしていた。であれば沖田の剣にとって、魔術とは夾雑物にしかならないだろう。


「それに、単に敵を斃すだけならこれからはそういうの・・・・・の時代でしょう」


 沖田が視線を向けたのは本陣を守る兵たちが持つ銃だ。古臭い火縄銃ではなく洋式のゲベール銃である。雷管を用いるこの銃は雨天に強く、火縄銃よりも取り回しがよい。会津藩では早くからオランダを通じてゲベール銃を輸入し、兵に配備していた。


「ほう、ああいうもの・・・・・・は気に入らないかと思ったがな」

「まさか。武器は武器です。選り好みなんてしませんよ」

「しかし、戦場いくさばに銃が蔓延はびこれば腰のものは無用になるかもしれんぞ」

「必ずしもそうはならないでしょう。初弾を外せば隙ができます。そのうちに駆け寄って斬ればいい」


 それはすなわち、初弾に身をさらす覚悟をして突進するということなのだが、沖田はこともなげに言う。強がりではないだろう。実際、それだけの胆力がこの若者には備わっていると慶喜は考えていた。


「ま、そういうときは俺も銃が欲しいですけどね。走るのは面倒ですから」

「ふふ、走るのが面倒だから銃か。そんな考えは思ってもみなかったぞ」


 笑う慶喜に沖田は不思議そうな顔をする。別に冗談を言ったつもりはなかったのだ。


「魔の中には銃が通じにくいものもイマス。聖騎士団でも剣技は必須デシタ!」

「そうだな。動く魔核を点で撃ち抜くのは現実的ではなかろう」


 二人の言葉で沖田の脳裏に蝕餬蚣ショゴス新見しんみの姿が浮かぶ。蝕餬蚣ショゴスの目玉は言うに及ばず、尻に魔核を隠していた新見の方も厄介だった。頭や心臓を撃っても死なない敵など、銃兵にとって悪夢でしかないだろう。


「しかしだ。少々の数であれば蜂の巣にすればよい。下手な鉄砲なんとやら、というやつだな」


 炎に照らされる慶喜の顔は自信に満ちている。

 城兵の持つゲベール銃は合計百五十丁。これが火を吹けば屍人ゾンビの十や二十は一瞬で挽き肉に変わるだろう。


 ぱちん、と祭壇の篝火が爆ぜた。

 炎が蛇のようにうねったかと思うと、火の粉となって夜闇に溶けていく。

 燃え盛っていた篝火が、生気が抜かれたかのように小さく弱々しくなっていく。


 いつの間にか風が湿っていた。

 中天の満月が白く霞がかっていた。

 陣幕を出て外を見渡すと、凪の水面みなものように重たい霧が広がっていた。


「瘴気……魔の気配デス!」


 アーシアが東を指さす。

 霧の向こうに幾百の人影が映る。

 数百の足音が津波のように押し寄せる。


「ふむ、さすがにこれは予想外だな」


 慶喜は目を細めて自分の顎を撫でた。

 粘ついた霧をまとって現れたのは、洋式の軍服を身に着け、ゲベール銃を担いだ屍人ゾンビの軍勢だった。

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