第16話 籠目
沖田は
二条城のすぐ南にあるこの屋敷は、一橋慶喜の宿所となっている。幕府の重鎮が京を訪れる際には二条城に宿泊するのが通例であるが、慶喜は息が詰まると言ってこちらにいる。芹沢鴨との死闘で意識を失った沖田が運び込まれたのもこの屋敷だった。
テーブルを挟んで椅子に腰掛けているのはその
「どうしてお話していただけなかったんですか」
沖田は慶喜に鋭い目を向けていた。無礼極まる行為であるが、慶喜は気にした風もなくコーヒーに砂糖を入れている。ティースプーンでくるくる回し、一口啜ってから慶喜は答えた。
「アーシア嬢がネクロノミコンの強力な触媒になるという件か」
「はい、それ以外にないでしょう」
「では聞くが、それを知っていたらお前はどうした?」
「どうしたってそれは……」
沖田は返答に詰まる。
アーシアを屯所に閉じ込めて警護するのか。あるいは護衛の隊士をぞろぞろ引き連れて探索を続行していたのか。いずれにしてもネクロノミコンの探索という任務に進展はなかっただろう。
「で、あろうな」
沖田の考えを見透かしたかのように慶喜が言う。沖田が何も言えないでいる間、酒まんじゅうをナイフとフォークで几帳面に切り分け、「お、これは美味い。バターも合うかもしれん」などと呟いている。
「それにしたって、秘密にすることはなかったと思います……」
とようやく絞り出した抗議も、
「知ればアーシアの警備を薄くすることに後ろめたさを感じただろう。これでは囮ではないか、とな。心に迷いがあれば、剣にも迷いが生じる。余はそれを避けたかった」
あっさりと切り捨てられた。
沖田は言い返せない。慶喜の指摘はそのまま事実だからだ。天然理心流はその名の通り心のあり方を重視する。自然体で心の赴くままに振るう剣こそ至高であるという教えだ。己の本意に沿わない剣は負い目をはらみ、それはすなわち負けの目となる。
慶喜の思惑は奇しくも土方と同じものであったのだが、さすがに沖田もそこまでは思いが至らない。
「ソージ様は、わたくしをまだ足手まといだとお考えデスカ?」
「あ、いや、そんなことは……」
酒まんじゅうを平らげたアーシアも話に加わる。
アーシアがいなければ、新見錦の罠から脱せられなかったのも事実だし、
「前にも言いましたが、わたくしはこの国に戦いに来たのデス。力こそ遠く及びませんが、共に戦うひとりの戦士として扱っていただきたいのデス」
アーシアの真剣な目に見つめられ、沖田は瞑目し、深呼吸をしてから頭を下げた。
「……うん、わかった。俺の心得違いだったよ。ごめん。それから助けてくれてありがとう」
「どういたしマシテ!」
アーシアは満面の笑みでふんすと胸を張る。まったくかなわないなと沖田は頭をかいた。
「さて、話がついたところで本題だ。また新たな魔物を退治したそうだな」
「ええ、人間に化ける厄介な敵でした。急所を知らなければ腕に覚えのあるものでも苦戦するでしょう」
沖田は
「なるほど、目玉を斬らねば殺せぬ敵か。弓や銃では効果が薄そうだ。聞くところ化け上手というほどでもないようだが、乱戦に紛れ込まれると脅威だな……」
慶喜はまだ見ぬ敵との戦いに思いを巡らしているようだった。こう来たらこう斬る、といった剣術屋の視点ではない。明らかに
「それから、坂本龍馬の狙いだが、ひとつ仮説がある」
慶喜は懐から地図を取り出しテーブルに広げる。土方が持っていたものよりもずっと精緻な地図だ。
「まずはここの三箇所に注目する」
言いながら、白い角砂糖を白峰神宮、常林寺、行願寺の三箇所に置いた。すると、御所(天皇の住まい)を中心とした逆三角形が出来上がる。
「次に、こことここだ」
御所の北の相国寺、南東の南禅寺に茶色の角砂糖を置く。
「そしてもし、この位置にもうひとつの点を置くとどうなるか」
仕上げに南西へ角砂糖を置く。茶色の角砂糖を結ぶと正位置の三角形になった。
「正三角形が二つ、互い違いに組み合わさった形。これが何だかわかるか?」
「籠目の紋ですね」
「ダビデの星デス!」
「そう、六芒星だ」
それぞれ違う表現をする二人を、慶喜は六芒星としてまとめる。
「陰陽道においては籠目の紋として、
「この六芒星は、この国のエンペラーを守る結界だということデスカ?」
「うむ、そのとおりだ」
慶喜は大きく頷いて続ける。
「天子様は神代の時代からこの国の霊的防御の中心だ。自然、
「でも、そのうち五つがもう汚されてしまいマシタ」
「そうだ。されば坂本龍馬の次なる狙いは明白。最後の一点を襲撃し、結界を完全に破壊する腹積もりだろう」
「しかし、それは……」
沖田は六つ目の角砂糖が置かれた場所を改めて見つめる。いかに坂本龍馬が大胆不敵な魔人とは言え、本当にその場所を襲うのだろうか。
「まさか城攻めまではすまいと思うか?」
「……やつならば、ありえるかと」
「で、あろう」
その場所とは二条城であった。神君家康公が築城し、江戸幕府と同じだけの歳月を重ねた城である。倒幕を謳う浪士であってもここに直接攻め入ろうなどとは夢想すらしないだろう。
しかし、坂本龍馬ならばやりかねない。むしろその程度はやって当然だという確信が沖田の中にはあった。
「とまあ偉そうに話したが、陰陽寮と叡山の坊主たちの入れ知恵だ」
慶喜は破顔し、軽口を叩いて空気を和らげる。
陰陽寮とは朝廷の機関で、文字通り陰陽道を司る。叡山は比叡山延暦寺を指しており、密教の総本山だ。呪術的な問題であるのなら、このふたつが日本の最高峰であり、見立てに間違いはないのだろう。
入れ知恵などと謙遜をしているが、実際は事態を見越して分析を命じていたようだ。この人は一体どこまで先を読んでいるのかと、沖田は視座の高さの違いを思い知らされた気分になる。
「それで、対策はあるのデスカ? 結界はもうほとんどが壊されてしまったということデスヨネ?」
「うむ、陰陽師と密教坊主たちが結界を張り直す儀式を執り行う。六つのうちひとつでも生きていれば問題ないそうだ」
「ということは、儀式は二条城で行うのデスカ?」
「そのとおり。すでに準備を進めているが、当然坂本龍馬の妨害があるだろう。そこで、だ」
慶喜の視線が沖田を射抜く。
「沖田君、君たち新選組にも警護に加わってほしい」
「望むところです」
差し出された右手を、沖田は迷いなく握り返した。
「望むところデスヨ!」
握り交わした手に、さらにアーシアの両手が重なる。
かつては弱々しく感じたその手が、いまの沖田には温かく心強いものに思えたのだった。
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