いいけど元カノも凄すぎ
理工技大学の武道場、明るいけど、独特の汗臭さがある。壁際には百人ぐらいの観客が集まっていて、なんだか物々しい雰囲気。
「始め!」
あ、あの人、なんかポンポンはねている。
「あの……」
「
あたしは
「でも、
「なんか、力が入っている気がします」
「そうよ。
「どういうことですか?」
「バネを引っ張るみたいに足全体に力を入れて、床を足でつかんで。獲物を狩る野獣のように一瞬を狙っているのよ」
ポニテ女子さんが一歩を踏み出した瞬間、ポニーテールが揺れ、身体が宙に舞った。
「すごい、空気投げだ……初めて見た、すごい、すごすぎる」
「どういうことですか?」
「足払いなんだけど、普通の足払いと違って、相手の足が床に着く瞬間を狙って払うの」
「よくわからないですけど」
「つまり、相手が一歩を踏み出したときに、ああ、なんて説明したらいいのか……」
この人、なんか、すごく興奮している。
「そうすると、痛みどころか、何をされたかもわからず、まるで風にあおられたようにひっくりかえっちゃう」
「なんか、すごいです」
「しかも……
あ、ポニテ女子さんの右手を持っている。
「ああやって手を掴むと、ひっくり返った相手は後頭部を打たないから、ダメージがないのよ。もう、本当に
「あの、よくわからないですけど」
「
「うーん」
「復縁できないかしら。ねえ、私、
「ダメです」
あ、思わず言っちゃった。でも、なんか、今、すごく気になるキーワードを言われた気が……。
「猿、どうして最後のキメを入れないんだ!」
「すみません、寸止めのクセで」
「まあいい、私の負けだ」
「ちょっと待った」
「あちゃー、出てきちゃったよ」
「あの人、誰ですか?」
「副将の彼氏、空手道部の元主将でもあるわ。あ、うちは夏で交代するから。でも、なんとなく主将って呼んでいるの」
「
「嫌です」
「今、組手をやったじゃないか」
「
「じゃあ、どうしたら俺と勝負してくれるんだ?」
「ファイトマネー、いくらですか?」
「現金なやつだな。部費からは出せんが……」
「じゃあ、やりません」
「待った。わかった。千円でどうだ?」
「これだけ人が集まって、千円はせこくないですか?」
う、なんか、百人はいる気がする。
「わかった。じゃあ、三千円でどうだ?」
「三万円。どうせまた、賭けでもやっているんでしょ?」
「一万円で勘弁してくれ」
ポニテ女子さんが立ち上がった。長いポニーテールが揺れて、とても綺麗。どうしたのかな?
「猿、あの時、許してやった恩義を忘れたのか?」
あ、
「わかりました」
「あの、恩義ってなんですか?」
「さあ、私もそこまでは知らないわ。私が知りたいぐらい」
「その、猿って何ですか?」
「それは、あ、始まるよ」
「始め!」
主将さんは動かない。
「
「だから奪った訳じゃないです。合意事項です」
「うるさい」
「うるさいのは先輩の方です」
「ふっ、お前の格闘スタイルは見切っている。待ちには弱いんだろう?」
「そうでもないですよ」
――パンッ!
武道場に手を叩く音が響いた。主将さんは床で悶絶している、どういうこと?
「猫だまし、これも初めて見たわ。
「ダメです。でも、今のは何ですか?」
「猫だましと言ってね、攻防をしている最中に相手の目の前で手を叩くの。そうすると一瞬、気がひるんで隙ができるのよ」
「じゃあ、俺、行きますんで」
「
「あちゃちゃ……あの人は、OBで、時々、私たちを指導しに来てくれているの。今日は大学祭だから来てくれたのかな。朝はいなかったのに」
「じゃあ、すごく強いんですか?」
「ええ。主将よりずっと強いわ。でも、
「ファイトマネーは?」
「五万円だ。俺はお前と違って社会人、貧乏学生とは違うからな」
歓声が上がった。
「
「そういうものなんですか?」
「ええ。連続で組手をやったら、全力を出せるのはせいぜい三分ぐらい。主将との組み手でかなり体力を消耗しているはず」
「
「ちょっと、今の状態だとやばいかも」
「それでは、始め!」
うわ、すごい。
「え?」
OBさんがいったん離れたと思ったら、
さっきまでシーンとしていた武道場の中が、急に騒がしくなっている。
「完璧だわ。あれは
どうしてこの人、驚かないんだろう? 他の人たち、すごく驚いているのに。
「ダッシュする時って、普通、足に力を入れるじゃない。後ろ足は地面を蹴って前足は身体を引っ張るように」
「はい」
それは運動音痴なあたしでもわかる。
「
「よくわからないですけど」
「普通の倍ぐらいの速度でスタートできるの。ただし、足への負担が大きいから何度も使えない」
「そうなんですか」
「それに、他の筋肉には力を入れたまま、足だけ力を抜くのは難しいから、できる人はほとんどいないのよ」
「
「いえ、いいんです。とてもかっこよかったです」
「おっと」
思わず抱きついた――のは平川君だった。あたしと
「
「そっか。それなら良かった」
「
「あのな、
「で?」
なんて答えるのかな。
「特別の上だよ」
特別の上って何? でも、きっといいことだよね。うれしい。
うわ、受付さん、前髪の隙間から片目だけ見えた。なんか、目を見開いているというか、驚いているみたい。ちょっと涙ぐんでいるようにも見える。
「
「
あたしは縦に首を振った。この人、
「実はね……」
「はい」
「私も三回生で、
「そうだったんですか?」
「
ああ、それで、準優勝したときの話、詳しかったんだ。
「それに、
いえ、
「でも、
「だから交際を申し込んだの。もっと一緒にいたくて。あたしのアパートで同棲していたのよ」
同棲? 一緒に男女がひとつ屋根の下で暮らすっていうことだよね。
「あの、さっき元カノさん、副将ですよね。同じ部にいて複雑な気分になったりしないんですか?」
「ええ。振ったのは私の方だから」
「どうして振っちゃったんですか?」
「なんていうのかな、途中で、これって恋じゃなくて、あこがれなんだってことに気づいちゃって」
「恋とあこがれですか」
あたしはどっちなんだろう?そもそも違うものなのかな。
「
「難しいです」
「でも、
「すごいです」
「ちなみに、夜のコツは私が教えてあげたの。付き合ったのは半年ぐらいだけどね」
「その、あの……」
「あ、私は副将と違って、『
「そういう問題じゃなくて」
「『付き合う』と『突き合う』っておもしろくない? 男女関係の変化をよく表していると思う」
「……おもしろくないです」
「
「えっと、あの……」
あたしは次の質問をしたいんだけど……。でも、続きも聞きたい。
「でも、今、思えば不思議だわ。『
受付さんの声がだんだん小さくなっていく。
なんか、胃の上のあたりがキリキリするけど、同時に頭の後ろが暖かくて安心感があるというか、もう、どの言葉も当てはめられないよ。
そうだ、質問、質問しなくちゃ。
「あの、どうして副将は
「噂なんだけど、
「はい」
「副将が、『ねえ、
受付さんは、なぜか、ちょっと色っぽい声で話した。あたしは、つばを飲み込んだ。
「そしたら、
「……あの、キスとかですか?」
「違うわよ、もちろん『
「え?」
「一晩で七回よ。すごくない?」
「全然、わかりません!」
「それで、猿って呼ぶようになったみたい。ほら、猿って、『
「それと別れるのと、どんな関係があるんですか?」
「『この男には勝てない』って思って別れたって話」
「その、ついていけないかも……」
「大丈夫、若さ若さ。今から鍛えておけばそれぐらい、全然問題ないから」
「……いえ、話についていけないということです!」
「まったく、
「え?」
「きっと、今なら八回は行けると思うわ。鍛えておいた方がいいと思う」
「そんな……」
「私から話せるのはそれぐらい。もっと深い話ならできるけど、聞きたい?」
「いえ、本当に、もう大丈夫です」
「えー、私なら、
「……でも、その、そっち系ですよね?」
「せいかーい。どう?」
「やっぱり、いいです」
「お、自分で
「違います……」
♪ ♪ ♪
女子の割には殺風景な自分の部屋。ベッドに寝転がって天井を見た。大学祭、とても楽しかった。でも、何ていうのかな、
スマホを取り出し、大学祭で
ソロの中の二小節、きっと、これ、あたしへのメッセージだよね、あたしだけがわかる秘密のメッセージ、そうだよね?
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あとがき
数ある小説の中から読んで頂き、ありがとうございます。
「賭け」は完全フィクションの誇張表現です。そんなことはやっていませんので、単に物語を面白くするために入れただけです。悪しからずご了承ください。
なお、空手の解説部分は、すべて本当です。
あ、ひとつだけ。「抜重」のトレーニング動画で、クッションを持ってやっている動画とかありますが、あれでクッションが持ち上がっているのは、手に力が入っているからです。
重力加速度は平等なので、クッションは上には上がりません。
おもしろいなって思っていただけたら、★で応援してくださると、転がって喜びます。
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それではまた!
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