常日頃のトテチテタ

上月祈 かみづきいのり

常日頃のトテチテタ

 習慣とは屈強な軍隊そのものである。

 味方にすれば頼もしく、敵に回せば末恐ろしい。

 私という私にとって、何が賊軍かと問われれば、時々夜中に食べるプリンやアイスクリームの類なのかもしれない。寝ている最中にそれらが私の腹を探っているからだ。まるで落ち着かない、故に眠りは浅い。

 何が官軍かと問われれば、朝に喫する茶に他ない。時折、紅茶や珈琲が留守番のように代わって務めることもあるが、目当て看板娘というべきか、欠かすことが出来ないものは煎茶である。一度で二度美味しい、という表現もあるが、緑茶は二煎目が最も美味である。味は二煎目にして豊穣を得る。私の舌が訴えるには、煎茶は浅蒸しに限るという。

 私というものを、習慣がこのようにした。

 先に、習慣は敵味方を問わず軍隊であると述べた。国が様々なら軍隊も同様だ。人も、習慣も、その組み合わせも実に多様である。

 しかるに、各々の軍隊が得意とする武器も戦術も異なる。制するべき賊軍の形も正体も異なる。人は国でもある。人が集まって国が出来るのだからである。なれば国も国としての習慣を侮れない。

 もし。

 私の目の前に現れる人にある得手不得手、ひいてはその人の武器、その人へと反旗をひるがえす問題を分析するとしたら、これらを本当に知らなければいけないとしたら。

 その人の継続的行動、つまり習慣を知るのは重要である。

 同時に、どのような習慣を持つ人に囲まれて関わっているのか、を知るように努める。これは、その国の外交関係を知るかのように重要だ。その朱色はどこから来たのか、と問うに当たっては不可欠だ。

 忘れてはならないのが、その人にとって私も諸外国の一つであり、同じ国ではないということだ。私は独立国家であり、他国を支配せず、されない。ヤマアラシのような針を、長短はあれど我々は持っている。

 故に人間関係はうまく言語に頼ることが出来ないような難しさを持つ。文字に起こせず、言葉では伝わらず。

 ある人の習慣は、別のある人にとっては針が刺さるように迷惑だったりする。刺さってみないと分からない。鍼灸術のようだったりもする。いわゆるへきと呼ばれる概念もまた同じ道理にて刺さる。

 ところで。

 先程に賊軍、官軍といういささか古めかしい言葉を用いた。もしかしたら、『錦の御旗』という言葉が脳裏をよぎった人もいるのではないだろうか。

 錦の御旗とは、端的に述べれば官軍の象徴である。

 良い習慣が官軍で、人が国(この語を正確にするなら、朝廷や政府側)ならば、錦の御旗としてかたどるのはどのようなものだろうか。

 まず、習慣は思念なくして成立しない。

 錦の御旗たりえるのは、その官軍の、つまりは自分の味方たる習慣の根源となる考えや感覚といったものに違いないだろう。

 これに伴って、軍隊の起床にも就寝にもラッパの合図があったように(現に自衛隊では今もあると聞くが)、私の一挙一動一進一退には、習慣から発せられるトテチテタが必ず己が心身にきっかけを作っている。

 再びであるが、習慣とは屈強な軍隊そのものである。本来は自分を護るための物だ。

 それでも尚、用い方を誤れば人を害し、ければ益する。この「人」という語は、我も彼も隔てなくその折々に決まる。

 私が行う、原点にして実践は、錦の御旗たるに「紳士タレ」や、その拡大として「文明人タレ」を掲げ、私が一人の旗手として国としてそれらを保持すること。

 更に、この御旗が時勢によって私を何処へ導こうとするのかを弛まず臆せず、呼吸の継続のように捉え続けることだろう。

 それを踏まえたなら、この人生には退廃も退屈もまずしばらく来ることはない、という観念をもって文書の結びとする。

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